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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

高橋手帳大賞

私はアナログ派なのでスケジュール管理は手帳を使っています。来年(2019年)の手帳が本屋さんや文房具屋さんに並び始めましたので、早速購入に走り、「手帳は高橋」のNo.376クレールインデックスグラン1を購入しました。
そして第23回手帳大賞の募集のお知らせが冊子に折り込まれていました。そのお知らせの中で過去の名言・格言部門の大賞を取った作品が紹介されていて、読んで見ると心を打たれる名言で思わず皆様とシェアーしたくなりました。

第19回手帳大賞 名言・格言部門<大賞>
「お父さんのにおいはおつかれ様のにおい」
6歳の息子が、父親にぎゅーっとして言った一言です。子供なりに父親の頑張りをわかっているのだと感動しました。

第20回手帳大賞 名言・格言部門<大賞>
「病室の夕陽より、やっぱり台所の朝陽ね」
(がンの)外科病棟を退院し、帰宅した翌日、台所に立った妻の一言。

第21回手帳大賞 名言・格言部門<大賞>
「人数もおかずのうちだね」
ひとりで暮らしている82歳の母が、誕生日に息子・娘家族7人で集まって食事をした際、ふと口にした言葉です。大勢でいただく食事は、どんなごちそうよりも心の栄養になるのかもしれません。


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  1. 2018/10/14(日) 22:54:34|
  2. 侏儒の薀蓄学
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小田急LSE 最後のラストラン

7月10日に最後の定期運行を終了して、その後は次のような臨時列車で運行されていたLSEが10月13日(土曜)の「さよならツアー」を持って最後のラストランを行い本線から引退した。

9月15日 「エビスビール列車の旅」 (新宿ー小田原)
9月29日 「LSEで行く小さな旅」(新宿ー秦野)
9月30日 「わくわく喜多見・海老名車輛基地ツアー」(喜多見ー新宿ー伊勢原ー海老名)
10月6日 「M78星雲号」(新宿ー小田原)
10月8日 「神奈川地酒・利き酒会」(新宿ー小田原4番線ー秦野)
10月13日「さよならツアー」(新宿ー小田原7番線ー秦野)

当初は上記の企画列車をすべて撮影するつもりにしていたが、肺炎に罹ってしまい外出禁止が解かれた10月以降の企画ツアーを撮影しているので、仕事で撮影出来なかった10月8日を除くLSEツアーの写真を紹介させていただく。

「M78星雲号」は代々木八幡駅で上りの送り込み回送と本番を撮影しました。上りLSE送り込み回送は代々木八幡駅で下りのGSEとすれ違ったので新旧交代シーンを写真に残すことが出来ました。

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10月13日の「さよならツアー」はどこで撮るかを迷った末、初めての撮影地・開成ー栢山ー富水で撮影することにしました。
開成ー栢山間の撮影地には既にかなりの数の撮り鉄がいたので、栢山ー富水間の撮影地を選びそこで上下の「さよならツアー」LSEを撮影しました。 下りのLSEを撮影して振り向いて後追い撮影をしたら偶然見送りと撮影に来ていた一般人の姿が写り込んでいてラストランを象徴する写真となりました。

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  1. 2018/10/14(日) 11:10:19|
  2. 鉄道
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Automobile Council 2018

少し遅れての報告になるが、8月3日~8月5日に幕張メッセで開催されたAutomobile Council 2018で私の好きな車を見つけて写真を撮ってきたので、ここで紹介させていただく。

最初は主催者展示コーナーの1974年型アルピーヌA110 1600SC. 60年代~70年代の自動車黄金期、英国のロータスエランと共にライトウェイト・スポーツカーの双璧をなしていたアルピーヌA110は1962年から1977年までアルピーヌ社で造られた。 バックボーンフレームにFRP製ボディを組み合わせ、ルノー8のサスペンションとエンジンを移植。軽量コンパクトな設計とリアエンジンの強大なトラクションが功を奏し、ラリーで高い戦闘力を発揮した。 展示車は1974年型の1600SCで、サイドドラフトのツインチョークウェーバーを2連装、リアサスをA310から流用したダブルウィッシュボーンに改造したモデルである。
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下記の写真は、2018年型アルピーヌA110プルミエール・エディション
1977年を最後に生産が打ち切られたA110の名を40年ぶりに蘇らせたのがこのプルミエールエディションだ。  アルピーヌの創設年にちなみ1955台が生産される限定モデルで、日本には50台が輸入される。 価格は790万円。 ちなみにこのプルミエール・エディションは完売。  しかし近日中に「ピュア」「レジェンド」と呼ばれる2種類のカタログモデルがラインナップされる。
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次はSimple Autoの1975年型BMW3.0CS
3.0CSは1965年夏にデビューした2000CS(異形ヘッドライトを配したフロントマスクに2リッター直列4気筒ユニットの4座クーペ)を嚆矢とするモデルで、1968年に絹のようになめらかと言われた直6SOHCユニットを搭載し個性的なマスクの代わりにデュアルヘッドライトが採用されてかつての3200CSにも通じる優美な印象を持つ2800CSがデェビューし、71年春にはボアを拡大して2985ccとした3.0CSに発展、また同年秋にはその電子制御インジェクション版の3.0CSiが加わった。 しかし76年春の6シリーズのデビューによってその使命を終えた。 ちなみに筆者は6シリーズのクーペよりこの2800CS/3.0CS/3.0CSiのクーペシリーズの方が好きで、BMWのクーペを求めるなら2800CS/3.0CS/3.0CSiかベルトーネデザインの3200CSを選ぶ。
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次もSimple AutoのBMW2002A
02(マルニ)シーリーズの嚆矢である1966年に登場した1600-2(71年に1602に改称)は、1500から発展した1600/1800/2000より一回り小さい2ドアーサルーンボディに1600ccユニットを搭載したBMWのべーッシックモデルで、言ってみれば今日まで続いている3シリーズのルーツである。直4SOHCクロスフローユニット、前マクファーソンストラットコイル、後ろセミトレーリングアームコイルの4輪独立懸架といった基本的な成り立ちは既存のBMW各車と共通だった。68年には同じボディに2リッターユニットを積んだ2002/2002tiを加えるなどしてバリエーションを充実させていった。73年のマイナーチェンジではグリルがブラックアウトされ、テールランプが丸型から角型に変更された。 75年2月には1600ccユニットをデチューンし、内外装を簡素化した普及版の1502が加わったが、同年7月3シリーズの登場により生産中止となったものの、廉価版の1502のみは77年まで生産が継続された。
ちなみに筆者は中古の1972年型2002から乗り換え1974年型2002Aを所有していたが米国駐在が決まって手放してしまった。
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次はヴィンテージ湘南の1969年型Dino246GT/L。 つけられていたプライスタグには5000万円とあった、どうやっても私には手が届かない存在。
ピニンファリーナによって4台のプロトタイプが作られた後、1967年10月よりスカリエッティの工場で生産化されたDino206GTは、V6エンジンを積むスモール・フェラーリ。 正式にはフェラーリの名では呼ばれず、エンツオの亡き息子の愛称であるディーノの名が冠された。 純粋の生産モデルとしてはフェラーリ初のミッドエンジン車である。 エンジンは2リッターのV6気筒で横置きに搭載された。1969年からはパワーアップを睨んで2.4リッターの246GTへと進化して1974年まで生産された。
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KLASSISK GARAGEに参考出品として展示されていたVOLVO1800ES
1800ESは、1960年にデビューしたイタリアのフルアがデザインしたボルボ初のスポーツカーP1800を嚆矢とする。 70年には燃料噴射化し1800Eとなり、71年にはクーペボディのリアセクションを再設計してスポーツワゴンとした1800ESが発売された。 68年に登場したリライアント・シミターGTEなどとともに貴重な存在というべきスタイリッシュなスポーツワゴンの先駆けであった1800ESは惜しまれながらも73年で生産中止された。
ちなみに筆者はこの車が好きで、中古車屋でこの車を見かけると必ず購入を検討していたのだが日本の法律の関係で後部座席が一人乗りに改造されて乗車定員が3人となっていることがネックとなって、当時4人家族の我家では3人乗りの車はNGなので結局泣く泣く購入を断念せざるを得なくなっていた。今なら車2台の所有もOKなので1台は3人乗りでもいいのだが、肝心の1800ES自体が中古市場にまず出回ることはなく、例え出回ったとしてもPrice Tagは500万円(昔は200万円くらいだった)を下回ることはなさそうで、このまま幻の車で終わることになりそうである。
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【参考資料】
別冊CG「自動車アーカイヴ」Vol.2 (二玄社)
別冊CG「自動車アーカイヴ」Vol.4 (二玄社)
別冊CG「自動車アーカイヴ」Vol.6 (二玄社)
別冊CG「自動車アーカイヴ」Vol.9 (二玄社)
  1. 2018/09/08(土) 23:20:42|
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昭和鉄道写真館(14) 日本硫黄沼尻鉄道部訪問記(その3) 

沼尻に到着すると最後尾に連結されていたボハ7が切り離されて留置線へと移動された。

沼尻0030A
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沼尻駅はデルタ線のある構内なので、これを利用して機関車の方向転換を行う。ホームには上りとして折り返すボハフ1+ボハフ11が並んでいる。
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今でも駅舎は残っていると言われている沼尻駅。
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折り返しの川桁行きの上り列車には次の木地小屋駅で乗車することに決めて隣駅まで徒歩で向かった。

木地小屋駅に到着する上り列車。
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会津樋ノ口に先に到着した我々の上り列車は、下り列車の到着を待った。 DC121の運転室越しに下り列車が入線してくるのがわかると思う。
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会津樋ノ口駅で下り列車から客車を一両貰いに行くDC121
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左の下り列車からもらった1両を連結する場面。 乗客は連結の様子を興味深げに眺めていた。
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川桁駅にて下り準急「あがの1号」を撮影。 キハ55系4連で組成されている。
沼尻0032A

「あがの1号」と入れ違いに我々の乗る郡山行き上り216レ(川桁10:20→郡山11:31)がD51に牽かれて入線して来た。
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郡山駅。 客車に「試運転」のサボは珍しいので思わずパチリ。   スハ32 2707
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郡山駅。 今となっては貴重なED71のショット。
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この日は友人Y君の母上の実家がある鉾田で一泊することになっていて、水郡線の336D(郡山12:36→水戸16:11)で水戸まで行く。  先頭車はキハユニ15または16.
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4時間弱に及ぶ水郡線の長旅の途中駅・常陸大子にての貨物列車のスナップショット。 当時の貨物列車はこのような組成で、色んな種類の貨車が見られたことを懐かしく思い出させる一コマである。 またホームの高さも電車駅でない場合は低くてホーム上は舗装されてなく砂利が敷き詰められていた事が写真からもわかるだろう。
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<参考資料>
交通公社時刻表 1963年10月号
RM Library 113 日本硫黄沼尻鉄道部(上)
RM Library 114 日本硫黄沼尻鉄道部(下)
1964年版国鉄動力車配置表(鉄道図書刊行会)
客車・貨車ガイドブック(誠文堂新光社)
気動車ガイドブック(誠文堂新光社)
列車名変遷大事典・三宅俊彦(ネコ・パブリッシング)
全国版優等列車編成順序表・列車運用図表(ネコ・パブリッシング)

  1. 2018/08/30(木) 23:06:56|
  2. 昭和鉄道写真館
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昭和鉄道写真館(13) 日本硫黄沼尻鉄道部訪問記(その2) 

乗り換えの沼尻鉄道下り一番列車の発車予定時刻は6時55分で、発車まで30分弱の余裕があるので構内で留置中の車輛を撮影することにした。

日本硫黄沼尻鉄道部 川桁駅全景
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ホームに据え付けられていた下り一番列車。 通常は小型のディーゼル機関車が3-4両の客車・貨車を牽いて走ることになっている。 この日の下り一番列車の編成は、DC121+貨車+ボハフ1+ボハフ11+ボハ7
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1953年(S28年)以降は通常の列車はすべてディーゼル機関車の牽引となったが、ディーゼル機関車は協三工業1953年製のDC121とDC122の2両のみだったので、予備機がないことも手伝ってほぼ毎日稼働し続けたようである。 路線廃止の年の1968年3月に宮城バス鉄道線からDC103が購入され入線しているが、ほとんど使われるチャンスはなかったようである。
DC121の側面の扉は夏のオーバーヒート抑止の為なのか走行中も開けたままだった。
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ホハフ1は、元中国鉄道稲荷山支線のシハ5、姉妹車としてボハフ2(中国鉄道シハ7)とシボフ3(中国鉄道シロハ1)の2両がある。
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ガソリン動車ガソ101用の付随車として昭和8年に新造された2軸客車サハ9、姉妹車として昭和6年製のサハ8と昭和8年製のサハ10がある。 写真のサハ9の左隣はサハ10
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シボフ3(元中国鉄道シロハ1) 旧中国鉄道では2・3等合造として使われていたが沼尻鉄道に来てからもそのまま使用されたので車内の造作が異なるまま3等としていた。
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1929年雨宮製作所製の単端式(製造当初は両端に運転台を有していた)のガソリン動車ガソ101.運転台の無いエンドに折り畳み式の荷台があり冬のスキー客のスキーを載せる場所として重宝された。 しかし前述したように戦後は使われる頻度が低くてディーゼル機関車の定期検査の折に使用される程度でほとんど車庫で休眠していた。
機関車と同じく廃止直前に宮城バス鉄道部から2両のディーゼル動車(キハ2401・キハ2402)が導入されたが、ほとんど活躍することなく廃車となってしまった。
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貨車改造で造られた除雪車(簡易ラッセル車)セタ36. 記号番号は無蓋貨車時代のままで変更されなかった。
写真からも無蓋貨車からの改造であることが見てとれる。
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川桁駅構内で下り一番列車を後ろから撮影
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沼尻鉄道唯一の交換駅「会津樋ノ口」にて乗ってきた下り1番列車を撮影
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会津樋ノ口で交換した上り列車。DC122が牽引する上り列車は通学の学生が沢山乗っていた。
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会津樋ノ口を出ると景色は一変して高原地帯を走り、人家がほとんど見れなくなった。
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積み荷は郵便袋?と何故か石炭?
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沼尻に着くとDC121は貨車の入れ替えに忙しく動き回っていた。
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<参考資料>
交通公社時刻表 1963年10月号
RM Library 113 日本硫黄沼尻鉄道部(上)
RM Library 114 日本硫黄沼尻鉄道部(下)
1964年版国鉄動力車配置表(鉄道図書刊行会)
客車・貨車ガイドブック(誠文堂新光社)
気動車ガイドブック(誠文堂新光社)
列車名変遷大事典・三宅俊彦(ネコ・パブリッシング)
全国版優等列車編成順序表・列車運用図表(ネコ・パブリッシング)

                       ー続くー
  1. 2018/08/23(木) 23:10:51|
  2. 昭和鉄道写真館
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国
画像使用の問い合わせ先:n.sugii@nifty.com

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