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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

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東急 7700系引退

今年は私にとって鉄道車両の引退が続く年になってしまった。まずは1月から3月にかけてJR東・豊田車両センター189系の引退に始まり、その後は小田急のLSE(7000系)の引退と続き、11月には東京メトロ千代田線の6000系の引退があった。そして東急の7700系が新7000系の増備により引退となる。2018年3月現在で7700系6本が稼働していたが、新7700系の増備が始まった7月から新車が入る度にその数に見合った本数が引退となり、7905Fが10月に引退するとついに残ったのは7901Fだけになってしまい、その最後の1編成を使ってラストラン(11月24日13:30-15:00多摩川線コース/14:30-16:00池上線・多摩川線コース)が行われることが東急からアナウンスされたので、ラストランの混乱の中の撮影は避けるべく先日撮影に行って来た。今までは池上線の撮影は五反田・洗足池・蒲田のどこかで行うことが多かったので、今回は御嶽山ー久が原で撮影して来た。

7700系はご存知の通り1962年誕生の日本最初のオールステンレスカー7000系を種車として改造して1987年から営業についている車両なので、その車体だけは50年以上の長寿車両として活躍して来た。そして引退後も15両中12両が養老鉄道に譲渡されて30年は使用する予定なので、驚異の長寿車両になりそうなのが嬉しい。 台車もパイオニアⅢ形(TS-701)から8000系と同系列のTS-832(動力車)/TS835(付随車)に変わり制御装置がVVVF化され運転席もワンハンドル化され冷房装置が取り付けられたが、その冷房装置が登場時のパイオニアスタイルを踏襲したような形であるのとパンタグラフは未だシングルアーム化されず菱型のままなので、遠目にはオリジナルの7000系のように見えるのが筆者には大変嬉しい。 養老鉄道では若干の適応化改造がなされ、パンタグラフはシングルアーム化されることになっているのが残念であるが、車体には大きな変化はなさそうなので、他の鉄道へ譲渡された7000系がそろそろ引退の時期を迎えつつある中で、これから30年は使用する予定の養老鉄道は旧7000系の聖地として鉄道ファンに愛されることになるであろうことは間違いないと確信している。

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残った1編成は以下の通り、

←五反田             蒲田→
クハ7901-デハ7801-デハ7701 竣工1987年
デハ7045(1965年製)ーデハ7114(1964年製)ーデハ7064(1966年製) 種車(7000系)

種車の7000系は全電動車だったので7700系化に際してデハ7045は電装解除されて付随制御車化(クハ7901)されている。その他のデハ7800形とデハ7700形は中間電動車と制御電動車という形態に変化はない。この編成は7700系のトップナンバーであるが種車は7000系のトップナンバーではなく、7000系のトップナンバーは7910F編成だったが惜しくも2014年に引退して廃車解体されている。 1966年は7000系が増備された最後の年なのでデハ7701は7000系の最若年グループの車両と言うことになる。

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  1. 2018/11/17(土) 11:30:10|
  2. 鉄道
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高橋手帳大賞

私はアナログ派なのでスケジュール管理は手帳を使っています。来年(2019年)の手帳が本屋さんや文房具屋さんに並び始めましたので、早速購入に走り、「手帳は高橋」のNo.376クレールインデックスグラン1を購入しました。
そして第23回手帳大賞の募集のお知らせが冊子に折り込まれていました。そのお知らせの中で過去の名言・格言部門の大賞を取った作品が紹介されていて、読んで見ると心を打たれる名言で思わず皆様とシェアーしたくなりました。

第19回手帳大賞 名言・格言部門<大賞>
「お父さんのにおいはおつかれ様のにおい」
6歳の息子が、父親にぎゅーっとして言った一言です。子供なりに父親の頑張りをわかっているのだと感動しました。

第20回手帳大賞 名言・格言部門<大賞>
「病室の夕陽より、やっぱり台所の朝陽ね」
(がンの)外科病棟を退院し、帰宅した翌日、台所に立った妻の一言。

第21回手帳大賞 名言・格言部門<大賞>
「人数もおかずのうちだね」
ひとりで暮らしている82歳の母が、誕生日に息子・娘家族7人で集まって食事をした際、ふと口にした言葉です。大勢でいただく食事は、どんなごちそうよりも心の栄養になるのかもしれません。


  1. 2018/10/14(日) 22:54:34|
  2. 侏儒の薀蓄学
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小田急LSE 最後のラストラン

7月10日に最後の定期運行を終了して、その後は次のような臨時列車で運行されていたLSEが10月13日(土曜)の「さよならツアー」を持って最後のラストランを行い本線から引退した。

9月15日 「エビスビール列車の旅」 (新宿ー小田原)
9月29日 「LSEで行く小さな旅」(新宿ー秦野)
9月30日 「わくわく喜多見・海老名車輛基地ツアー」(喜多見ー新宿ー伊勢原ー海老名)
10月6日 「M78星雲号」(新宿ー小田原)
10月8日 「神奈川地酒・利き酒会」(新宿ー小田原4番線ー秦野)
10月13日「さよならツアー」(新宿ー小田原7番線ー秦野)

当初は上記の企画列車をすべて撮影するつもりにしていたが、肺炎に罹ってしまい外出禁止が解かれた10月以降の企画ツアーを撮影しているので、仕事で撮影出来なかった10月8日を除くLSEツアーの写真を紹介させていただく。

「M78星雲号」は代々木八幡駅で上りの送り込み回送と本番を撮影しました。上りLSE送り込み回送は代々木八幡駅で下りのGSEとすれ違ったので新旧交代シーンを写真に残すことが出来ました。

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10月13日の「さよならツアー」はどこで撮るかを迷った末、初めての撮影地・開成ー栢山ー富水で撮影することにしました。
開成ー栢山間の撮影地には既にかなりの数の撮り鉄がいたので、栢山ー富水間の撮影地を選びそこで上下の「さよならツアー」LSEを撮影しました。 下りのLSEを撮影して振り向いて後追い撮影をしたら偶然見送りと撮影に来ていた一般人の姿が写り込んでいてラストランを象徴する写真となりました。

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  1. 2018/10/14(日) 11:10:19|
  2. 鉄道
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Automobile Council 2018

少し遅れての報告になるが、8月3日~8月5日に幕張メッセで開催されたAutomobile Council 2018で私の好きな車を見つけて写真を撮ってきたので、ここで紹介させていただく。

最初は主催者展示コーナーの1974年型アルピーヌA110 1600SC. 60年代~70年代の自動車黄金期、英国のロータスエランと共にライトウェイト・スポーツカーの双璧をなしていたアルピーヌA110は1962年から1977年までアルピーヌ社で造られた。 バックボーンフレームにFRP製ボディを組み合わせ、ルノー8のサスペンションとエンジンを移植。軽量コンパクトな設計とリアエンジンの強大なトラクションが功を奏し、ラリーで高い戦闘力を発揮した。 展示車は1974年型の1600SCで、サイドドラフトのツインチョークウェーバーを2連装、リアサスをA310から流用したダブルウィッシュボーンに改造したモデルである。
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下記の写真は、2018年型アルピーヌA110プルミエール・エディション
1977年を最後に生産が打ち切られたA110の名を40年ぶりに蘇らせたのがこのプルミエールエディションだ。  アルピーヌの創設年にちなみ1955台が生産される限定モデルで、日本には50台が輸入される。 価格は790万円。 ちなみにこのプルミエール・エディションは完売。  しかし近日中に「ピュア」「レジェンド」と呼ばれる2種類のカタログモデルがラインナップされる。
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次はSimple Autoの1975年型BMW3.0CS
3.0CSは1965年夏にデビューした2000CS(異形ヘッドライトを配したフロントマスクに2リッター直列4気筒ユニットの4座クーペ)を嚆矢とするモデルで、1968年に絹のようになめらかと言われた直6SOHCユニットを搭載し個性的なマスクの代わりにデュアルヘッドライトが採用されてかつての3200CSにも通じる優美な印象を持つ2800CSがデェビューし、71年春にはボアを拡大して2985ccとした3.0CSに発展、また同年秋にはその電子制御インジェクション版の3.0CSiが加わった。 しかし76年春の6シリーズのデビューによってその使命を終えた。 ちなみに筆者は6シリーズのクーペよりこの2800CS/3.0CS/3.0CSiのクーペシリーズの方が好きで、BMWのクーペを求めるなら2800CS/3.0CS/3.0CSiかベルトーネデザインの3200CSを選ぶ。
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次もSimple AutoのBMW2002A
02(マルニ)シーリーズの嚆矢である1966年に登場した1600-2(71年に1602に改称)は、1500から発展した1600/1800/2000より一回り小さい2ドアーサルーンボディに1600ccユニットを搭載したBMWのべーッシックモデルで、言ってみれば今日まで続いている3シリーズのルーツである。直4SOHCクロスフローユニット、前マクファーソンストラットコイル、後ろセミトレーリングアームコイルの4輪独立懸架といった基本的な成り立ちは既存のBMW各車と共通だった。68年には同じボディに2リッターユニットを積んだ2002/2002tiを加えるなどしてバリエーションを充実させていった。73年のマイナーチェンジではグリルがブラックアウトされ、テールランプが丸型から角型に変更された。 75年2月には1600ccユニットをデチューンし、内外装を簡素化した普及版の1502が加わったが、同年7月3シリーズの登場により生産中止となったものの、廉価版の1502のみは77年まで生産が継続された。
ちなみに筆者は中古の1972年型2002から乗り換え1974年型2002Aを所有していたが米国駐在が決まって手放してしまった。
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次はヴィンテージ湘南の1969年型Dino246GT/L。 つけられていたプライスタグには5000万円とあった、どうやっても私には手が届かない存在。
ピニンファリーナによって4台のプロトタイプが作られた後、1967年10月よりスカリエッティの工場で生産化されたDino206GTは、V6エンジンを積むスモール・フェラーリ。 正式にはフェラーリの名では呼ばれず、エンツオの亡き息子の愛称であるディーノの名が冠された。 純粋の生産モデルとしてはフェラーリ初のミッドエンジン車である。 エンジンは2リッターのV6気筒で横置きに搭載された。1969年からはパワーアップを睨んで2.4リッターの246GTへと進化して1974年まで生産された。
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KLASSISK GARAGEに参考出品として展示されていたVOLVO1800ES
1800ESは、1960年にデビューしたイタリアのフルアがデザインしたボルボ初のスポーツカーP1800を嚆矢とする。 70年には燃料噴射化し1800Eとなり、71年にはクーペボディのリアセクションを再設計してスポーツワゴンとした1800ESが発売された。 68年に登場したリライアント・シミターGTEなどとともに貴重な存在というべきスタイリッシュなスポーツワゴンの先駆けであった1800ESは惜しまれながらも73年で生産中止された。
ちなみに筆者はこの車が好きで、中古車屋でこの車を見かけると必ず購入を検討していたのだが日本の法律の関係で後部座席が一人乗りに改造されて乗車定員が3人となっていることがネックとなって、当時4人家族の我家では3人乗りの車はNGなので結局泣く泣く購入を断念せざるを得なくなっていた。今なら車2台の所有もOKなので1台は3人乗りでもいいのだが、肝心の1800ES自体が中古市場にまず出回ることはなく、例え出回ったとしてもPrice Tagは500万円(昔は200万円くらいだった)を下回ることはなさそうで、このまま幻の車で終わることになりそうである。
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【参考資料】
別冊CG「自動車アーカイヴ」Vol.2 (二玄社)
別冊CG「自動車アーカイヴ」Vol.4 (二玄社)
別冊CG「自動車アーカイヴ」Vol.6 (二玄社)
別冊CG「自動車アーカイヴ」Vol.9 (二玄社)
  1. 2018/09/08(土) 23:20:42|
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昭和鉄道写真館(14) 日本硫黄沼尻鉄道部訪問記(その3) 

沼尻に到着すると最後尾に連結されていたボハ7が切り離されて留置線へと移動された。

沼尻0030A
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沼尻駅はデルタ線のある構内なので、これを利用して機関車の方向転換を行う。ホームには上りとして折り返すボハフ1+ボハフ11が並んでいる。
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今でも駅舎は残っていると言われている沼尻駅。
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折り返しの川桁行きの上り列車には次の木地小屋駅で乗車することに決めて隣駅まで徒歩で向かった。

木地小屋駅に到着する上り列車。
沼尻0001A

会津樋ノ口に先に到着した我々の上り列車は、下り列車の到着を待った。 DC121の運転室越しに下り列車が入線してくるのがわかると思う。
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会津樋ノ口駅で下り列車から客車を一両貰いに行くDC121
沼尻0028A

左の下り列車からもらった1両を連結する場面。 乗客は連結の様子を興味深げに眺めていた。
沼尻0011A

川桁駅にて下り準急「あがの1号」を撮影。 キハ55系4連で組成されている。
沼尻0032A

「あがの1号」と入れ違いに我々の乗る郡山行き上り216レ(川桁10:20→郡山11:31)がD51に牽かれて入線して来た。
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郡山駅。 客車に「試運転」のサボは珍しいので思わずパチリ。   スハ32 2707
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郡山駅。 今となっては貴重なED71のショット。
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この日は友人Y君の母上の実家がある鉾田で一泊することになっていて、水郡線の336D(郡山12:36→水戸16:11)で水戸まで行く。  先頭車はキハユニ15または16.
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4時間弱に及ぶ水郡線の長旅の途中駅・常陸大子にての貨物列車のスナップショット。 当時の貨物列車はこのような組成で、色んな種類の貨車が見られたことを懐かしく思い出させる一コマである。 またホームの高さも電車駅でない場合は低くてホーム上は舗装されてなく砂利が敷き詰められていた事が写真からもわかるだろう。
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<参考資料>
交通公社時刻表 1963年10月号
RM Library 113 日本硫黄沼尻鉄道部(上)
RM Library 114 日本硫黄沼尻鉄道部(下)
1964年版国鉄動力車配置表(鉄道図書刊行会)
客車・貨車ガイドブック(誠文堂新光社)
気動車ガイドブック(誠文堂新光社)
列車名変遷大事典・三宅俊彦(ネコ・パブリッシング)
全国版優等列車編成順序表・列車運用図表(ネコ・パブリッシング)

  1. 2018/08/30(木) 23:06:56|
  2. 昭和鉄道写真館
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国
画像使用の問い合わせ先:n.sugii@nifty.com

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