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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

総天然色の鉄道風景(その14) 1966年の小田急

1966年と言えばまだカラーフィルムが貴重な時代。そんな折小田急の電車をカラーフィルムに収めるべく登戸ー向ヶ丘遊園間の築堤で当時の小田急の代表的電車を撮影してきているのでご紹介する。

NSE(3100形) デビューが昭和38年で名鉄の7000系(昭和36年登場)に遅れて日本初の前面展望電車の称号を逃した小田急のNSE。
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2600形 2400形(HE)の後継として昭和39年誕生したNHE。
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2400形 全電動車方式(オールM車)の高性能車2200~2320形に代わって昭和34年に誕生したMT比率が1:1の高性能・高経済車HE(High Economical car)
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「ロクサン」形の更新車として昭和32年・33年に誕生した1800形。
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新聞輸送車として活躍中のデハ1300形、昭和44年にデニ1300形に形式称号が変更されて荷電となった。
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  1. 2017/07/13(木) 11:07:59|
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総天然色の鉄道風景(その13) 1968年の相模鉄道

1年ぶりの「総天然色の鉄道風景」である。今回ご紹介するのは1968年にかしわ台検車区にて撮影した相模鉄道の車両である。それまでは星川にあった車庫がかしわ台に移設されたのは1967年のことだった。新設されたばかりのかしわ台検車区を筆者が訪問した時は5000系や6000系や3010系が登場した時のオリジナルの塗装を身にまとっていた時で、そして5000系登場以前の2000形がみかん色の車体で残っていた。
1968年は鉄道ファンに寛大な時代で、事務所に見学・撮影を申し出ると自由に構内に入れたので、このような写真を撮影することができた。1970年台後半から1980年台初めの頃にかけてファンへの規制が厳しくなり、車庫見学や撮影は難しくなった
相鉄三井埠頭他1968001A
新設後1年未満でバラストも新しいかしわ台検車区留置線に並ぶ、2000形・3010系・5000系・6000系
相鉄三井埠頭他1968002A
3010系・5000系・6000系
相鉄三井埠頭他1968003A
大塚本町駅(1975年に500mほど海老名寄りに移設されて「かしわ台駅」に改名された)の6000系急行「横浜」行
相鉄三井埠頭他1968004A
大塚本町駅(1975年に「かしわ台駅」に改名)を出発して海老名方面へ下る6000系急行。 最後尾はアルミ試作車の6021号。


  1. 2013/11/03(日) 23:56:47|
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総天然色の鉄道風景(その12) 定山渓鉄道ED500形

今はバス事業のみになっているが、かつて鉄道事業を行っていた定山渓鉄道の電気機関車ED500形の写真をお伝えする。ED500形は1957年に2両(ED5001とED5002)が製造されて定山渓鉄道廃止まで使われていたが、廃止後1970年に長野電鉄に譲渡されてED5100形(ED5101とED5102)として貨物列車牽引で活躍、長野電鉄の貨物事業が廃止になると越後交通長岡線に譲渡されて、同線が廃止となる1995年まで活躍していた。2両仲良くペアーで定山渓鉄道→長野電鉄→越後交通と渡り歩いて活躍していたが、晩年はED5102の調子が良くなくて休車状態だったようである。定山渓鉄道時代は青色に白色の帯を巻いていたが、長野電鉄では青色に黄色の帯に変わっていた。長野電鉄時代にはカラー写真で貨物列車を引く姿が紹介されているが、定山渓鉄道時代のカラー写真は未発表のようなので、ここにご紹介しようと思った次第。

鉄道画像 324
1969年8月豊平にてED5002撮影。
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  1. 2012/10/04(木) 11:23:10|
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総天然色の鉄道風景(その11) 急行「ニセコ」長万部出発

前回の小樽ー塩谷間でのニセコに続いて今回は長万部出発の「ニセコ」の写真をお届けする。函館ー長万部間を単機で牽引してきたC62はここ長万部で前補機をつけて山越えに備える。長万部出発後蕨岱に向けて15パーミルの勾配が待ち受けており、長万部出発からスタートダッシュをかけているのでその迫力は凄かった。前補機はC623.
鉄道画像 336

  1. 2012/10/03(水) 09:40:02|
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総天然色の鉄道風景(その10) 急行「ニセコ」

「総天然色の鉄道風景」の記念すべき10回目には1970年8月に小樽~塩谷間で撮影したC62重連が牽引する急行「ニセコ」をご紹介する。列車が峠を越える際に補助の機関車を連結してその力を借りて峠越えを果たすことがよくあるが、その際に補助の機関車を列車の後ろに付けるのが後補機、前に付けるのが前補機で、前補機1台付けると重連、2台付けると3重連になる。ファンの間で伝説になっているのが、東北本線「奥中山」の三重連・花輪線「竜ヶ森」ハチロク三重連・伯備線「布原」D51三重連であるが、重連でも三重連に負けない迫力でファンの間の伝説になっているのが、この函館本線(通称山線)のC62重連である。
ジェット機のような音とファンに形容されるC62重連の音はその現場に立ち会ったもののみが知る至高の世界である。レコードに映像にその活躍する姿は沢山残されているが、実際の姿と音はリアルタイムで感じたものとは異なる。その貴重な体験をさせてもらったことは私にとっては大切な宝となっている。今でもこの写真を目にすると当時のジェット機のような音がだんだんと近付いてきた時の情景が昨日のことのように鮮明に浮かびあがってくる。昭和32年までに北海道に揃ったC62の7両は急行「あかしあ」・「大雪」・「まりも」の牽引にあたったが、「あかしあ」と「大雪」はほどなく気動車化されて「まりも」のみが客車列車として残りC62重連で活躍した。その後列車名は「まりも」→「ていね」→「ニセコ」と変遷している。

1970北海道 007A
重連となるのは長万部~小樽で蕨岱付近の15パーミル、上目名付近の20パーミル、倶知安付近の20パーミル、銀山付近の20パーミル、小樽・塩谷間の20パーミルといくつかの峠越えがあり、この写真はその峠越えの一つ小樽ー塩谷間で撮影したものである。前補機はファンに人気のスワーローエンジェルことC622.

  1. 2012/09/27(木) 10:13:36|
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国

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