ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。  

昭和の鉄道世界 (30) 江ノ電・極楽寺車庫

昭和の鉄道世界 (2~5)で昭和38年10月に撮影した江ノ電の写真を紹介させていただいた。 今回はその時の写真の追加である。

手前の本線越しに車庫を眺めた写真。 当時は最新鋭の車両が旧500型だったので、車庫に見える車両は1番左端に見えるタンコロ108号以外はすべて引退して今はその姿を見ることはできない。
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昭和38年(1963年)時にはタンコロ(100型)は106号・107号・108号・110号の4両が稼働していて、白丸板の続行票を掲出して特殊続行運転をして2両編成の電車を補っていた。
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  1. 2015/03/01(日) 23:53:11|
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<昭和の鉄道世界 29> 1969年8月 花巻駅ED75

今回は昭和の東北地方で交流電気機関車の標準機として大活躍していたED75を花巻駅で撮影した写真をお目にかける。1963年から1976年までに302両が製造されて当初の東北地方だけに限らず60Hz用も作られて九州の交流電化地域でも使用された汎用電気機関車である。徐々にその姿を消しつつあったが2012年3月16日のダイヤ改正を持って定期運用が無くなってしまった。現在JR東日本に残る5両は工臨などの不定期運用で活躍しており、JR貨物の7両は2012年の定期運用終了後は休車となって稼働していない。

私が旅した1969年時はED75は旅客列車や貨物列車の先頭に立ち大活躍していた時なので、どこでカメラを向けてもED75が写っているという状態だったことも手伝って、あえて積極的にED75にカメラを向けてなかった。そんな中、花巻電鉄の撮影の為に降り立った花巻駅で、なにげなく停車中の列車の先頭に立つED75にカメラを向けたのが紹介する写真である。

花巻FH000032A
  1. 2013/10/01(火) 10:19:03|
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昭和の鉄道世界(28) 1969年8月 米坂線のキューロク

SL末期において米坂線のキューロクは数少ない旅客列車を牽く例として人気があった。筆者は高校時代に川越線でキューロクの牽く旅客列車の写真を撮っているが、なぜかそれ以来キューロクに愛着を持っていた。ということで北海道合宿の集合地札幌までの寄り道候補の筆頭に米坂線が上がった。翌日は花巻で花巻電鉄を訪問する予定を立てていたので、本数の少ない米坂線であまり奥まで行くことはできず、「手ノ子」駅付近での撮影を考えた。上野発の夜行急行列車で早朝の米沢駅に降り立つと米坂線の坂町行き一番列車はDCであった。当時は米坂線の普通列車はキューロク牽引の旅客列車とDC(気動車)がほぼ半々の比率で運行されていた。
手ノ子に7時14分に到着して手ノ子発14:13のキューロク牽引の128レで米沢へ戻るまでの7時間が手ノ子で私に与えられたキューロク撮影時間である。この7時間の間に上下10本のキューロク牽引の貨物と旅客列車が撮れる計算であった。ただし2本の不定期貨物列車が含まれており、それが当日運転されるかどうかはわからなかった。
例によって筆者は撮影時にメモをとってないので撮影した列車の列車番号が特定できない写真が多いのはご勘弁いただきたい。

「キューロク」は9600形蒸気機関車を鉄ちゃんが呼ぶ時の呼称で、同じように「ハチロク」と呼ばれた8620形蒸気機関車もある。昭和44年当時の国鉄の蒸気機関車は1928年(昭和3年)の形式称号規定改正以来アルファベットが頭に付く形式名(例えばD51)になっており旧形式称号が継続して使われていたのは9600形と8620形の2形式だけだった。1928年の改正で18900形はC51形に、8200形はC52形に、9900形はD50形に変更となっているが9600形と8620形はそんなに遠くない将来代替え機にとって代わられて消滅するものと思われて旧形式称号が継続されたようだ。しかし、皮肉なもので蒸気機関車淘汰の中で最後の国鉄蒸気機関車は北海道の追分機関区で入換え用として残っていた9600形だった。

国鉄営業用蒸気機関車最後の日は1976年3月2日で、当時39679、49648,79602の3両のキューロクが配置されていて、最終日に任に就いたは39679だった。残りの2両は最終日は庫内から僚機39679が入換え作業に従事しているのを黙って見つめていた。その後39679と79602は惜しくも解体されてしまいその姿をみることはできないが、49648のみが中頓別の寿公園で静態保存されている。この機関車がここで保存されている理由は、1975年5月の宗谷本線SLさよなら列車の重連の先頭機関車が49648だったことによるそうである。くしくも理由は異なるものの、国鉄営業用蒸気機関車最後の日を迎えたキューロク3両のうちの1両が静態保存されているのは喜ばしいことである。

手ノ子FH000001A
下り貨物列車の161レまたは163レ
手ノ子FH000005A
上りの貨物列車(7180レ・162レ・164レ)又は旅客列車(124レ)、わずかに見える後方から判断してたぶん貨物列車ではないかと思われる。
手ノ子FH000007A
下り123レまたは125レ
手ノ子FH000008A
手ノ子FH000009A
ダイヤで見る限り米坂線には混合列車は設定されてないのだが、客車の最後にポツンと1両貨車が連結されて臨時の混合列車の様を呈していた。これは、もしかしたら貴重な一コマになるかも知れないと思い掲載させていただいたのが、この写真である。
手ノ子FH000010A
手ノ子駅へ到着するキューロク牽引の下り貨物7165レ
手ノ子FH000011A
手ノ子FH000012A
下り貨物と交換で手ノ子駅へ進入してくるキューロク牽引の旅客列車128レ

今や第二次SLブームといえるかのように動態保存されて運転される蒸気機関車が増えている。C60に続いてC58もJR東日本の手で復活されるべく大宮総合車両センターで復活整備中である。しかしこれだけいろいろの形式の蒸気機関車が保存運転される中で国鉄最後の営業用蒸気機関車であったキューロクが1台も動態保存されてないのは不思議でもある。旧形式称号のもう一つの仲間であるハチロクはJR九州で復活して動態保存運転されているのに、なぜかキューロクにはその機会が一切なかった。しかし、今年の4月完全な動態保存とはいえないものの動くキューロクの姿が真岡鐡道の真岡駅に隣接する「SLキューロク館」で見れるようになった。近くの公園に静態保存されていた49671が整備の上圧縮空気で動くSLとして動態保存されたのだ。毎週日曜・祝日には100m位の線路を走っているとのこと。
この49671は北海道に新製配属されて道内(黒松内→岩見沢→函館→五稜郭→北見→滝川)から出たことがないSLで、函館時代に青函連絡船への航送貨物の入換え機として便利なように非公式側(進行方向右側)に運転台が移転されている異色蒸気機関車。
  1. 2013/09/21(土) 23:58:51|
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昭和の鉄道世界(27) 1969年8月 仙台市電

人間の記憶とは如何に浅薄なものであると思い知らされた。実は最近まで仙台市電は訪れたことがないものと思っていたのだが、なんと仙台市電を撮った写真が出てきたことで、自分が仙台に立ち寄り仙台市電を撮影していたことを知ることとなった。未だに自分が仙台に降り立って仙台市電の写真を撮ったのだという記憶が蘇らない。実に不思議である。
この年の北海道合宿に米坂線のキューロク撮影と花巻電鉄の撮影後に北海道入りしている。米坂線には上野発の夜行急行列車で向い米沢駅で米坂線の始発で手ノ子に行きそこでキューロクを撮影している。そして米沢・福島・仙台経由で花巻の駅へ早朝に到着していることだけははっきりと記憶しているのだが、米沢から花巻までの行程がまったく記憶から飛んでしまっていた。

仙台市電をどこで撮ったのか定かでなかったが、仙台にいたことのある鉄友にこの写真を見てもらったら仙台駅前であることがわかった。とりあえず出てきた写真は3枚であるが、運よく違う形式の三枚であった。

109号は100形で、仙台市電初のボギー車。121号がシドニー路面電車博物館で保存され、123号は仙台市電保存館で保存され、117号は譲渡先の長崎電気軌道で動態保存されている。203号は200形で100形の後継形式だが1両の保存もなく今は見ることができない。412号は400形で仙台市電最後の新造形式で市電廃止時まで活躍していた。415号が仙台市電保存館で保存されている。この400形は縁のある車両で、新車完成して仙台に送られる時に、運よく東海道線を撮影していて出会い、貨車に載せられた400形を大船駅で撮影している。

仙台FH000015A
100形の109号

仙台FH000014A
200形の203号

仙台FH000013A
400形の412号
  1. 2013/09/19(木) 10:12:58|
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昭和の鉄道世界(26) 1969年8月 野幌駅 夕張鉄道

1969年8月北海道合宿の行程の中で札幌を立ち、野幌駅で夕張鉄道へ乗り換えて鹿の谷駅へ出て国鉄夕張線に乗り換えて清水沢駅へ、三菱石炭鉱業大夕張鐡道を訪問し、その後再び夕張線で沼ノ沢へ出て、北炭真谷地線を訪問した。当時は函館本線の小樽ー旭川間の交流電化が完成したばかりで真新しい交流専用電車(新幹線と試作車を別とするなら国鉄初の交流専用電車である)711系で札幌から野幌まで行ったのである。

野幌FH000034A
札幌から乗ってきた711系を野幌駅1番線で見送る。右に見えるホームが2・3番線で、夕張鉄道の列車は3番線から発着していた。

野幌FH000035A
野幌駅から我々が乗車した夕張鉄道の列車キハ254(キハ252形)。夕張鉄道は貨客分離が進んでいて旅客列車はすべて気動車であった。

野幌FH000036A
キハ254の運転席。マスコンが右でブレーキが左に配置されている。

夕張鉄道FH000037A
途中駅での交換風景。駅はたぶん錦沢ではないかと思う。交換列車は国鉄の07系と同系の機械式気動車キハ202(キハ200形).

  1. 2013/08/17(土) 11:14:20|
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国

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