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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

昭和鉄道写真館(14) 日本硫黄沼尻鉄道部訪問記(その3) 

沼尻に到着すると最後尾に連結されていたボハ7が切り離されて留置線へと移動された。

沼尻0030A
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沼尻駅はデルタ線のある構内なので、これを利用して機関車の方向転換を行う。ホームには上りとして折り返すボハフ1+ボハフ11が並んでいる。
沼尻0005A
沼尻0003A

今でも駅舎は残っていると言われている沼尻駅。
3993-4A_20180830224802931.jpg

折り返しの川桁行きの上り列車には次の木地小屋駅で乗車することに決めて隣駅まで徒歩で向かった。

木地小屋駅に到着する上り列車。
沼尻0001A

会津樋ノ口に先に到着した我々の上り列車は、下り列車の到着を待った。 DC121の運転室越しに下り列車が入線してくるのがわかると思う。
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会津樋ノ口駅で下り列車から客車を一両貰いに行くDC121
沼尻0028A

左の下り列車からもらった1両を連結する場面。 乗客は連結の様子を興味深げに眺めていた。
沼尻0011A

川桁駅にて下り準急「あがの1号」を撮影。 キハ55系4連で組成されている。
沼尻0032A

「あがの1号」と入れ違いに我々の乗る郡山行き上り216レ(川桁10:20→郡山11:31)がD51に牽かれて入線して来た。
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郡山駅。 客車に「試運転」のサボは珍しいので思わずパチリ。   スハ32 2707
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郡山駅。 今となっては貴重なED71のショット。
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この日は友人Y君の母上の実家がある鉾田で一泊することになっていて、水郡線の336D(郡山12:36→水戸16:11)で水戸まで行く。  先頭車はキハユニ15または16.
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4時間弱に及ぶ水郡線の長旅の途中駅・常陸大子にての貨物列車のスナップショット。 当時の貨物列車はこのような組成で、色んな種類の貨車が見られたことを懐かしく思い出させる一コマである。 またホームの高さも電車駅でない場合は低くてホーム上は舗装されてなく砂利が敷き詰められていた事が写真からもわかるだろう。
006-013A.jpg

<参考資料>
交通公社時刻表 1963年10月号
RM Library 113 日本硫黄沼尻鉄道部(上)
RM Library 114 日本硫黄沼尻鉄道部(下)
1964年版国鉄動力車配置表(鉄道図書刊行会)
客車・貨車ガイドブック(誠文堂新光社)
気動車ガイドブック(誠文堂新光社)
列車名変遷大事典・三宅俊彦(ネコ・パブリッシング)
全国版優等列車編成順序表・列車運用図表(ネコ・パブリッシング)

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  1. 2018/08/30(木) 23:06:56|
  2. 昭和鉄道写真館
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昭和鉄道写真館(13) 日本硫黄沼尻鉄道部訪問記(その2) 

乗り換えの沼尻鉄道下り一番列車の発車予定時刻は6時55分で、発車まで30分弱の余裕があるので構内で留置中の車輛を撮影することにした。

日本硫黄沼尻鉄道部 川桁駅全景
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ホームに据え付けられていた下り一番列車。 通常は小型のディーゼル機関車が3-4両の客車・貨車を牽いて走ることになっている。 この日の下り一番列車の編成は、DC121+貨車+ボハフ1+ボハフ11+ボハ7
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1953年(S28年)以降は通常の列車はすべてディーゼル機関車の牽引となったが、ディーゼル機関車は協三工業1953年製のDC121とDC122の2両のみだったので、予備機がないことも手伝ってほぼ毎日稼働し続けたようである。 路線廃止の年の1968年3月に宮城バス鉄道線からDC103が購入され入線しているが、ほとんど使われるチャンスはなかったようである。
DC121の側面の扉は夏のオーバーヒート抑止の為なのか走行中も開けたままだった。
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ホハフ1は、元中国鉄道稲荷山支線のシハ5、姉妹車としてボハフ2(中国鉄道シハ7)とシボフ3(中国鉄道シロハ1)の2両がある。
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ガソリン動車ガソ101用の付随車として昭和8年に新造された2軸客車サハ9、姉妹車として昭和6年製のサハ8と昭和8年製のサハ10がある。 写真のサハ9の左隣はサハ10
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シボフ3(元中国鉄道シロハ1) 旧中国鉄道では2・3等合造として使われていたが沼尻鉄道に来てからもそのまま使用されたので車内の造作が異なるまま3等としていた。
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1929年雨宮製作所製の単端式(製造当初は両端に運転台を有していた)のガソリン動車ガソ101.運転台の無いエンドに折り畳み式の荷台があり冬のスキー客のスキーを載せる場所として重宝された。 しかし前述したように戦後は使われる頻度が低くてディーゼル機関車の定期検査の折に使用される程度でほとんど車庫で休眠していた。
機関車と同じく廃止直前に宮城バス鉄道部から2両のディーゼル動車(キハ2401・キハ2402)が導入されたが、ほとんど活躍することなく廃車となってしまった。
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貨車改造で造られた除雪車(簡易ラッセル車)セタ36. 記号番号は無蓋貨車時代のままで変更されなかった。
写真からも無蓋貨車からの改造であることが見てとれる。
沼尻0016A


川桁駅構内で下り一番列車を後ろから撮影
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沼尻鉄道唯一の交換駅「会津樋ノ口」にて乗ってきた下り1番列車を撮影
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会津樋ノ口で交換した上り列車。DC122が牽引する上り列車は通学の学生が沢山乗っていた。
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会津樋ノ口を出ると景色は一変して高原地帯を走り、人家がほとんど見れなくなった。
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積み荷は郵便袋?と何故か石炭?
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沼尻に着くとDC121は貨車の入れ替えに忙しく動き回っていた。
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<参考資料>
交通公社時刻表 1963年10月号
RM Library 113 日本硫黄沼尻鉄道部(上)
RM Library 114 日本硫黄沼尻鉄道部(下)
1964年版国鉄動力車配置表(鉄道図書刊行会)
客車・貨車ガイドブック(誠文堂新光社)
気動車ガイドブック(誠文堂新光社)
列車名変遷大事典・三宅俊彦(ネコ・パブリッシング)
全国版優等列車編成順序表・列車運用図表(ネコ・パブリッシング)

                       ー続くー
  1. 2018/08/23(木) 23:10:51|
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昭和鉄道写真館(12) 日本硫黄沼尻鉄道部訪問記(その1) 

本編は1964年8月26日に鉄道ファンの友人達に誘われて日本硫黄沼尻鉄道部を訪問した記録である。当時は乗った列車の記録を一切取ってないので、1963年の交通公社時刻表10月号に基づいて列車名などを調べて掲載していることをあらかじめご承知おきいただきたい。

この旅は、1964年8月25日上野駅の11番線から23:45に発車した準急「しのぶ2号・ひばら」(109レ)で始まった。この列車は「しのぶ」が上野―福島、「ひばら」が上野ー会津若松の2列車が併結されていて郡山で分割されて前5両が「ひばら」として磐越西線に入り、後ろ6両が「しのぶ」として東北本線をそのまま終点の福島まで行く形で運行されてました。
当時は東北本線を走る客車列車の牽引電機は黒磯まではEF57かEF58だったのだが、この時点で牽引電気機関車の確認をしていないのでどちらの牽引だったのかは不明である。
黒磯から先は交流区間なのでED71に牽引機が変わる、当時はISO100(ASA100)のフィルムで撮っている為にシャッタースピードが遅くて手振れを起こしていて見苦しい写真ですが、ED71が連結される間際の黒磯駅での写真をご覧ください。

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そして109レは早朝の郡山駅5:04に到着、一旦ED-71は仙台方面の引き上げ線まで行き、代わりに前5両「ひばら」を牽引するDF50が入線してくる。左手奥の引き上げ線にED71が見えます。 1964年版国鉄動力車配置表(鉄道図書刊行会)で確認すると当時郡山機関区にはDF50564/565/566の3両が配置されているので、貴重な3両のディーゼル機関車の内の1台が準急「ひばら」に充てられていたことになる。
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そしてDF50にけん引されて「ひばら」は5時10分に出発、その後ED71が戻ってきて残りの6両「しのぶ」を牽引して5時17分に出発してゴールの福島を目指す。
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本来なら準急「ひばら」でそのまま磐越西線に入れば楽なのだが、残念なことに沼尻鉄道の接続駅川桁には準急「ひばら」は止まらないので、我々は磐越西線の一番列車215レ(5時23分発)に乗り替えて川桁へ向かう。
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途中の磐梯熱海駅?で上りの貨物列車と交換した。
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川桁を目指して山道を登っていくD51.。 最近の沿線では見かける機会がめっきりと減った通称「ハエたたき」がしっかりと線路に沿って見える風景に懐かしさを感じる。
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下り始発列車215レは川桁駅に6時29分に到着、駅前にある沼尻鉄道の川桁駅へ向かい沼尻鉄道の下り一番列車(6時55分発)に乗る。
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<参考資料>
交通公社時刻表 1963年10月号
RM Library 113 日本硫黄沼尻鉄道部(上)
RM Library 114 日本硫黄沼尻鉄道部(下)
1964年版国鉄動力車配置表(鉄道図書刊行会)
客車・貨車ガイドブック(誠文堂新光社)
気動車ガイドブック(誠文堂新光社)
列車名変遷大事典・三宅俊彦(ネコ・パブリッシング)
全国版優等列車編成順序表・列車運用図表(ネコ・パブリッシング)

                       ー続くー

  1. 2018/08/23(木) 21:06:07|
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昭和鉄道写真館(11) 鹿島参宮鉄道 キハ42202 

1964年夏、筆者は高校の友人達と日本硫黄・沼尻鉄道を訪れて、東京への帰り道で友人の祖父の家がある鉾田に1泊している。 沼尻鉄道の帰りは郡山から水郡線で水戸に出て、そこからは常磐線で石岡まで行き、鹿島参宮鉄道に乗り換えて鉾田まで行っている。石岡に着いた時にはすでに夕闇が迫るころだった為に鹿島参宮鉄道の写真は石岡でしか撮影出来なかった。
鹿島参宮鉄道は常総筑波鉄道と合併して1965年6月に関東鉄道鉾田線となったが、合理化の為に1979年3月関東鉄道が100%出資する子会社「鹿島鉄道」として発足したが、自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送の中止や筑波エキスプレスの開業の影響で2007年3月31日で営業廃止となっている。

石岡駅に到着するキハ42202。 キハ42200形はキハ42201と42202の2両があり、元東京横浜電鉄のキハ2とキハ8で五日市鉄道(現JR五日市線)・南武鉄道(現JR南武線)を経て国鉄買収後の1951年(昭和26年)に鹿島参宮鉄道へ払い下げられた。キハ42201は1967年7月に流線型の両端を切妻型に改造されてキハ651となり1976年7月に廃車となっている。キハ42202は改造されず流線形のまま1976年7月に廃車となっている。
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キハ42202の運転台。
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石岡駅を出発する玉造町行きキハ201. キハ201は1936年日本車輌東京支店製で鹿島参宮鉄道で最初のボギー車、車体長が11mと小さかった為に、ほかの車両が大型化していくにつれ使われることが少なくなり、1970年8月に廃車となっている。
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私の乗ったキハ42202の下り列車と常陸小川駅で交換するキハ0726他2連の上り石岡行き列車。 薄暮れの為シャッタースピードが低くて写真が鮮明でないのはお許し願いたい。   国鉄から1963年2月に設計認可されてキハ0730がキハ42501として登場、その後1964年11月設計認可でキハ0726がキハ42502として入線、更に1965年3月設計認可でキハ0729がキハ42502として加わっている。 写真のキハ0726は1964年8月の撮影なので、認可前にすでに入線して使われていたことがわかる、車号がキハ42502となってないのは認可前の入線なので国鉄からの貸し出しという形で入線していたのかもしれない。偶然のしわざであるが国鉄の車号のまま鹿島参宮鉄道を走る姿は貴重な写真となった。
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《参考資料》 RM LIBRARY106 鹿島鉄道

  1. 2017/03/26(日) 23:33:30|
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昭和鉄道写真館(10) 都電8系統 恵比寿駅前ー中目黒間

都電8系統は中目黒と築地を結ぶ路線で、その内の中目黒と天現寺橋との区間は玉川電気鉄道によって開設された路線であったが昭和23年(1948年)に東京都に譲渡されて都電の路線に編入されている。(東京市への運行委託はそれより早く昭和13年から行われていた) 8系統の運行担当営業所は「広尾営業所」で天現寺橋電停の前に位置していた。 広尾営業所の主力車両は1200形で、写っている写真からもそれは見てとれる。8系統は昭和42年12月9日(1967年)に廃止になっているが、筆者の撮影は廃止の年(1967年)の6月である。

恵比寿駅前にて1200形(1213号)。今の恵比寿駅西口の変わり様からは想像できない昭和42年(1967年)の昭和の恵比寿駅が写真に写しだされている。
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下通五丁目電停付近を走る築地行き2000形。 狭軌(1067mm)の杉並線に居た2000形は改軌(1372mm)して広尾車庫と三田車庫に転属した。
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下通五丁目電停付近を走る中目黒行き1200形
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旧山手通りとの交差点を走る1200形の中目黒行き1251号(左)と築地行き1213号(右)。
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中目黒を出て下通五丁目へ向かう築地行き1200形(1250号)
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中目黒電停で折り返しを待つ1200形。手前の橋は目黒川に架かる皀樹橋。
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中目黒電停の後ろに明治通りとの交差点が見える。
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中目黒電停を明治通り側から見る。
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  1. 2016/08/14(日) 21:52:46|
  2. 昭和鉄道写真館
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国

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