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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

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甲州猿橋

大学OB会の写真クラブの撮影会で甲州猿橋に行って来た。 
橋のたもとにあるソバ屋「大黒屋」は、元は旅館で往来の旅人はもとより数々の文人・墨客・才人達がこの橋を訪れた際に大黒屋に宿泊して、さまざまな足跡と作品を残していきました。

以下、大黒屋のホームページからの甲州猿橋の解説文を引用致します。

猿橋の歴史は古く、江戸期の甲州街道時代をはるかにさかのぼり、初めて架けられたのは、七世紀(推古天皇の時代)頃ではないかといわれています。渡来した百済の工人が、川岸の梢から猿たちが群れをなして川を渡る姿をヒントに、橋脚を用いず棟木と横桁を何段も重ねて中央で結合するという独自の構造を考案し、この橋を架けたという伝承が語り継がれています。
現在の猿橋は、総工費3億8千万円を費やして昭和59年(1993年)に架け替えられたもので、国の名勝文化財指定の地として、平成の旅人たちを迎えています。

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◆◆◆ 松尾芭蕉 ◆◆◆

猿橋や 月松にあり 水にあり
猿橋や 蝿も居直る 笠の上
うき我を 淋しがらせよ かんこ鳥
            松尾芭蕉

俳聖、松尾芭蕉は甲州への旅路で猿橋を吟じた。漂泊の旅を愛し、拝諧を芸術の域に高めた俳聖松尾芭蕉も甲州への道中吟にて、この猿橋を句にしています。

◆◆◆ 野口雨情 ◆◆◆

「甲州さるはし、
お山の猿がお手手つないで、
掛けた橋」

雨情はやさしい眼差しで
この猿橋を眺めた


◆◆◆ 歌川広重 ◆◆◆
広重は、猿橋の景勝を
「甲陽猿橋之図」に残した。


◆◆◆ 国定忠治 ◆◆◆

橋のたもとにある大黒屋は、国定忠治の常宿であった。
『赤城の山も今宵かぎり・・・・』の名台詞で知られる国定忠治。
最後の山発ちをした国定忠治は、中山道から甲州街道へ、そして
ここ猿橋の当時旅館だった大黒屋にしばらく逗留したといいます。
国定忠治とは、渡世人でしたが、自分の資財を投げ打って縄張り
の農民達を飢餓から救った人でもありました。

◆◆◆ 日立製作所創業会談の場 ◆◆◆

明治39年、この大黒屋に、渋沢元治と小平浪平が宿泊。(株)日立製作所の創業の打ち合わせが行なわれました。写真は日立創業80年を記念して、日立工場「特称会」から寄贈された作品。
写真の左側に広重の「甲陽猿橋之図」が見える。

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  1. 2016/05/18(水) 23:36:49|
  2. 歴史
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東急プラザ 渋谷 3月22日閉館

渋谷の街から再びランドマークが消える。東急文化会館・東急東横線渋谷地上駅・東急デパート東館に続いて「東急プラザ 渋谷」が3月22日をもって閉館となる。 渋谷再開発の一環で、跡地にはバスターミナルも含む新しい商業施設ができることになっている。
東急プラザの紀伊国屋書店は、独身時代親元の都立大学から勤務先のある新宿まで通う折に帰宅時によく立ち寄った書店。渋谷での大型書店は、他に東急文化会館の三省堂とハチ公前の大盛堂があったが、紀伊国屋に行く回数が一番多かった。あと東急プラザ5階にはメルクリンの鉄道模型を扱う店「メルクリンセンターレオ」があって時々立ち寄っていたが、いつの間にか店は無くなっていた。 そして、9階のレストラン街にあるロシア料理の店「ロゴスキー」にも何回かお世話になっている。紀伊国屋書店は東急プラザの閉館を早々と見越して西武デパートの中に書店を昨年12月からオープンさせている。
東急デパートの東館がそうだったように、東急プラザもリニューアルで外観が大きく変わってしまい昔の写真を見ると大変懐かしい思いがする反面、閉館となると次のビルには東急プラザの名称はつかないものと思うので、東急文化会館と同じく名称も過去帳入りして、昔はここに東急プラザがあったんだってという会話がなされることになるのだろう。

<東急プラザ 渋谷>
所 在 地:東京都渋谷区道玄坂 1-2-2
開業年月:1965年6月
建物携帯:地上9階地下2階
店舗面積:16,386㎥
店 舗 数:約90店舗

<新商業施設> 東急プラザ渋谷および隣接する街区の建て替えとなる街区

□建物の概要 事業主体 道玄坂一丁目駅前地区市街地再開発組合
所在 東京都渋谷区道玄坂一丁目2番地・8番地
用途 商業施設、事務所、駐車場等
敷地面積 約3,330㎡
延床面積 約59,000㎡
階数 地上18階、地下4階
高さ 約110m
予定工期 2015年度~2018年度
開業予定 2018年

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東急プラザを裏から見ると結構鋭角な形だったことがわかる。
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右に東急プラザ、正面に東急デパート南館、その奥に東急ヒカリエという過渡期の渋谷の景観。
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  1. 2015/02/05(木) 19:37:41|
  2. 歴史
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新宿御苑 旧洋館・御休所(ごきゅうしょ)

新宿御苑には10回以上訪れているが、 いつもは一般公開日(原則として毎月第二・第四土曜日)と合わなくて見学出来ずにいた「旧洋館・御休所(ごきゅうしょ)」を初めて見学することができたので、その報告である。

平成13年(2001年)に国の重要文化財に指定された「旧洋館・御休所」は、天皇や皇族が新宿御苑内の温室で植物を鑑賞する際の休憩所として明治29年(1896年)に創建されました。
建物は宮内省内匠寮により設計され、アメリカの住宅を中心に流行したスティック・スタイルを基調に建てられています。外観には装飾のついた切妻屋根、張り出した車寄せを、石敷のベランダ、レース状の軒飾り、ガラス窓やガラス戸など、洋館ならではの特徴が見られます。

一般公開日は原則として毎月の第二・第四土曜日ですが、時々変則するようなので、事前に新宿御苑に確認することが望ましい。
2015年の一般公開日は以下の通り。

1月10日(第二土曜日)、24日(第四土曜日)
2月14日(第二土曜日)、28日(第四土曜日)
3月14日(第二土曜日)、21日(第三土曜日)

公開時間は10:00-15:00となっているが、2月28日のみ10:00-12:00となっているので要注意。

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下の写真は建物の見取り図で見学順路に従って時計回りに巡回するようになっている。紫色の部分が創建時の部屋で、明治42年に薄緑色の部分の部屋が増設されている。大正11年にはベージュ色の部分の部屋(風呂場)増築されており、大正13年にはピンク色の部分が増築されて今あるような形となっている。館内は撮影禁止で室内の写真はお見せ出来ないので、一般公開日を狙って訪問して見学していただければと思う。
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最後に増築されたお風呂場などの水回りがある部分を外から見た写真。
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左側が車寄せのある玄関で、右側の窓の部分が回り廊下でその奥に御居間室がある
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右側が車寄せのある玄関で、左側の窓部分が御食堂
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  1. 2015/01/11(日) 19:47:48|
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明治学院大学vs東京大学 明治神宮球場

エッ?と思われる方もあるかも知れないが、11月24日に明治神宮球場で開催された明治学院大学対東京大学の野球の試合を観戦して来た。東京六大学リーグの東京大学と首都大学リーグの明治学院大学が普段は対戦することがないのであるが、この日はそれが実現した。
明治学院創立150周年記念・野球プログラムとして開催されたこの試合は、日本の野球史を知る者には、なるほどと思わせる試合の意味があった。
1872年に第一大学区第一番中学(後の開成学校)で生徒にアメリカ人教師がメリカから持参したバットとボールで野球を教えたのが、野球の始まりとして知られている。その後の「新橋アスレチッククラブ」が黎明期の球界に君臨する1883年頃から、東京一致英和学校(後の明治学院)・東京英和学校(後の青山学院)・工部大学校(後の東京大学)などに野球チームが結成されて、このころから野球の普及は学生野球の時代へと移り始めた。
1886年に東京一致神学校・東京一致英和学校・英和予備校が合併して明治学院となり校地を白金に移してベースボール部は「白金倶楽部」と呼ばれ学生野球界では抜きんでた存在となっていた。そして、明治学院が華々しい活躍をしていた1890(明治23年)年5月、好敵手の第一高等中学校(後の東大)との対校戦において野球史に残る「インブリー事件」が起こりました。
午後一時、向ヶ丘の一高グランドにて試合が開始され6回終了時点で明治学院が6点リードしていたところで、遅れて教え子たちの応援に駆け付けたのが明治学院の教師であるウリアム・インブリーだった。彼は正門から入ろうとしたが守衛が英語を理解できず、やむなく外野側の垣根を飛び越えてグランドに入ったのを、一校側が無礼と受け取り、問答無用でインブリーに暴行を働き、インブリーは重傷を負った。この事件は瞬く間に海外に知れ渡り国際問題にまで発展しかねない状態でしたが、外務省・一高校長などが奔走しインブリーも矛先を収め自ら駐日アメリカ大使を説得して穏便に解決されました。
この事件を契機に一高はベースボールを球技として猛練習を重ね、インブリー事件の和解が成立した同年11月8日にふたたび向ヶ丘の一高グランドにて明治学院と対戦して一高が勝利して、球界の覇者として「一高時代」が始まったのです。

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  1. 2013/11/25(月) 11:26:13|
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高輪消防署・二本榎出張所

昭和8年12月に落成した高輪消防署(現在は二本榎出張所)は、近代建築の遺産(ドイツ表現主義)として、学術的、文化的にも貴重な建築物で、平成22年3月に「東京都選定歴史的建造物」に選定されています。
昔の消防署は組織上は警察に属していたようで、最初は「内務省警視局消防本署の第二消防署二本榎派出所」として明治41年7月に発足、そして昭和8年現在の庁舎が落成して「高輪消防署」に昇格。そして昭和59年10月に高輪消防署の本署が港区白金2丁目に移転して、ここは二本榎出張所となった。
この出張所は海抜25mの位置にあり、新築当時は周囲に高い建物が無く、東京湾を眼下に眺望できたことから、「岸壁上の灯台」とか「海原を行く軍艦」と評されていたようだ。

3階の円形講堂は公開されていて、1階の受付で見学を申し出ると案内の係員をつけて案内してもらえるようになっています。しかし、6階?の望楼は急な階段を上がって行かなくてはならず、危険なので一般には公開されてない。

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円形講堂。8本の梁が中心に集まり、10個の窓部アーチと一体になった独特の意匠。第一大戦後「ドイツ表現派」というデザインで、曲線や局面をモチーフにして力強く流れる躍動感のある設計が特徴。
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落成時から設置されていた停電用の照明「アールヌーボー風のガス灯」
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船の明かりとり窓のような形をした窓、これもドイツ表現主義なのだろうか。
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2階から見た階段、左の階段は3階の円形講堂へ昇る階段で、右の階段は1階の受付ロービーへ降りる階段。
  1. 2013/05/10(金) 10:37:54|
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国
画像使用の問い合わせ先:n.sugii@nifty.com

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