ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。  

小田急ロマンスカー(4) VSE(50000形)

いよいよ小田急ロマンスカーの雄VSE(Vault Super Express)50000形の登場である。EXE(30000形)で着席サービスを意図したロマンスカーとなり展望席と連接車を捨てたかに見えた小田急が、本来のロマンスカーの顧客である箱根・江ノ島観光客を意識して展望席と連接車を採用して2005年3月より営業運転を始めたのがVSE(50000形)である。
新宿ー小田原間ノンストップの「スーパーはこね」を主体に一部の「はこね」にVSEが優先使用されているが、編成が2編成しかないので検査に入った場合にはMSEが代行で使用されることになる。そうならないように、もう1編成製作して予備を持っておくのが望ましいのだが、2編成の製作に34億円かかっているので、予備編成の製作は簡単には実現しそうもない。
車両の総合デザインは、建築家の岡部憲明および岡部憲明アーキテクチャネットワークが担当しており、とても素敵なロマンスカーに仕上がっている。このロマンスカーに乗って箱根に行きたいと思わせる魅力あるデザインだ。

20110521新百合泉多摩川溝の口 020A箱根を目指す下り特急「スーパーはこね9号」VSE50000形 新百合ヶ丘駅

20110521新百合泉多摩川溝の口 103A箱根を目指す下り特急「スーパーはこね13号」VSE50000形 新百合ヶ丘駅

DSC_2080A.jpg箱根を目指す下り特急「はこね23号」VSE50000形 和泉多摩川駅

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  1. 2011/05/29(日) 21:58:01|
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小田急ロマンスカー(3) EXE(30000形)とMSE(60000形)

EXEは、江ノ島行きと箱根湯本行きを分割・併合する運用を意識して作られたロマンスカー。それゆえに展望室と連接車というそれまでのロマンスカー特徴を持たない車両となっている。またそれまでロマンスカーが採用してきた色調と全く異なる色調となったことで既存のロマンスカーを愛してきたファンからはあまり歓迎されない存在となってしまった。しかし使う方からは好まれたようで、ロマンスカー中最大の勢力となり4両編成+6両編成が7本あり総勢70両の陣容を誇る。従って、駅頭で一番遭遇する機会の高いロマンスカーであるとも言える。

MSE(60000形)は最新鋭のロマンスカーで初めて地下鉄を走れるロマンスカーとなった。地下鉄仕様となった以外はEXEと似たコンセプトのロマンスカーで展望室も無く連接車でもない。4両+6両の分割併合ができる点でもEXEと同じである。塗装はEXEと異なるブルー系だが従来の明るい色を用いたロマンスカーと異なりダーク色調となっている。EXEの時に従来の展望室タイプの特急ロマンスカーを期待する声に応えて一旦はVSE(50000形)を作った小田急であるが再びMSEでEXE路線に戻ってしまった。
着席保証の優等列車「ホームウェイ」には、座席数が多く確保できるEXEとMSEが優先的に使われている

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EXE(30000形)は4両+6両の10両編成で運用される事が多くて連結面の先頭車を撮る事が難しい。

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EXE(30000形)のなかなか見れない連結面のある先頭車。小田原駅

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MSE(60000形)非連結面から見た6連 新百合ヶ丘駅 

20110521新百合泉多摩川溝の口 055A
MSE(60000形)連結面から見た6連 新百合ヶ丘駅
  1. 2011/05/28(土) 09:45:43|
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小田急ロマンスカー(2) RSE(20000形)とJR371系

小田急ロマンスカーの異端児、RSE(20000形)とJR371系の紹介です。
小田急のロマンスカー特急「はこね」「えのしま」は小田急線内の2大観光地である、箱根と江ノ島を目指しますが、特急「あさぎり」はJR御殿場線に乗り入れて富士山麓を目指します。黎明期には小田急が非電化である御殿場線に乗り入れる為に電鉄会社としては異例の気動車を作り、特別準急という種別で新宿と御殿場を結んでいました。ちなみに電鉄会社が非電化の国鉄路線への乗り入れの為に気動車を作った例としては定山渓鉄道・南海電鉄・名鉄がありました。その後御殿場線の電化に伴いSE車(3000形)を短縮編成してSSE(Short SE)として「あさぎり」に充てました、そこまでは常に小田急の車両だけが御殿場線に乗り入れる一方通行型の乗り入れでした。そしてSSEに代わって登場したのがRSE(20000形)でした。この時初めてJRも乗り入れ用の電車を1編成造り371系と名づけました。
RSEは20001Fと20002Fの2編成がありますが、JRの371系は1編成のみの為に371系が定期検査で使えない際には小田急のRSEが代走します。

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JR371系・下り特急「あさぎり3号」沼津行き 新百合ヶ丘駅

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JR371系・上り特急「あさぎり2号」新宿行き 新百合ヶ丘駅

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RSE(20000形)20002F・上り特急「あさぎり4号」新宿行き 和泉多摩川駅

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RSE(20000形)20002F・上り特急「あさぎり4号」新宿行き 和泉多摩川駅

《御殿場線直通特急「あさぎり」略史》

1955年 小田急電鉄がキハ5000形気動車2両(キハ5001とキハ5002)を製作して、「銀嶺」「芙蓉」の名前で新宿ー御殿場間2往復の運転を始める。小田急線内は特別準急、国鉄御殿場線内は準急と称した。通常は1両の単行運転だったが、多客期には2両の重連も行われた。小田急の運転士が御殿場までの運転を担当した。
1956年 キハ5100形1両増備(キハ5101)
1958年 キハ5100形1両増備(キハ5102)
1959年 4往復運転に増強。愛称は「銀嶺」・「芙蓉」・「朝霧」・「長尾」
1968年 御殿場線電化に際して既製のロマンスカーSE(3000形)を改造して編成を短縮してSSEとなり、愛称をひらがなの「あさぎり」に改称して4往復運転開始。
1991年 SSEの老朽化に伴いRSE(20000形)2編成とJR371系1編成を新製してSSEに置き換えて新宿ー沼津間で特急「あさぎり」4往復の運行を開始。この時から小田急運転士は新宿ー松田間の小田急線内だけの運転に変更し、JR線内の松田ー沼津間はJR東海の運転士が運転を担当することとなった。
沼津まで運転区間が延長されたことで富士観光だけでなく西伊豆観光も視野に入れた列車へと発展した。

しかし、最近の「あさぎり」の利用率は低調のようで、このまま推移するとRSEと371系の車両の寿命が来たところで「あさぎり」の運転廃止の可能性も在るような気がする。近年名鉄の気動車特急のJR高山線乗り入れも乗客の減少を理由に廃止されており、私鉄からの乗り入れ列車の廃止の流れが出てきているようで心配。
  1. 2011/05/26(木) 22:06:36|
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小田急ロマンスカー(1) HiSE(10000形)とLSE(7000形)

小田急のロマンスカーといえば展望室、VSEの登場で展望室付きのロマンスカーが復帰したが、一時はHiSEを最後に小田急のロマンスカーと展望室の関係が終焉かと危ぶまれたものだった。HiSEはそのデッカー構造があだとなって遠からずの引退が決まっており、4編成のうち2編成は引退済みで残りは10001Fと10041Fの2編成のみとなっている。一方HiSEより古いLSEは4編成の内7002Fが2010年の1月に廃車になっているものの未だ7001F・7003F・7004Fの3編成が活躍中で心強い。しかしLSEは登場が1980年~1983年で約30年の車歴であるからして7002Fの引退を皮切りに順次引退の可能性が高いものと見ている。HiSEと共にLSEも活躍できる期間は残り少ないことは間違いない。VSEは2編成が就任した後追加がなく、MSEが新規ロマンスカーとして登場・増備されていることから再び小田急ロマンスカーの伝統である展望室と連接車体の特徴の継続に赤信号が灯っている。

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HiSE(10000形)第4編成の10041F・新百合ヶ丘駅

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HiSE(10000形)第1編成の10001F・新百合ヶ丘駅

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HiSE(10000形)第1編成の10001F・和泉多摩川駅

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LSE(7000形) 第3編成の7003F 和泉多摩川駅

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LSE(7000形)第4編成の旧塗装仕様7004F 和泉多摩川駅

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LSE(7000形)和泉多摩川駅

旧塗装仕様7004Fは2007年に登場して2008年終了の予定であったが、その後も旧塗装のまま継続使用されている。個人的にはLSEにはこの塗装が一番似合っていると思うので できれば 引退の日までこのまま走り続けて欲しいと思っている。各地の私鉄で保存に値する車両の静態・動態保存が行われているが、小田急は極力走れる状態で、かつ編成単位で保存していることを私は高く評価したい。編成単位で保存するのは保存場所の問題があって難しい筈であるが、小田急の英断には賞状を差し上げたい気持ちである。東武がDRC(1720系)をカットして保存したり、東急が5000形の車体を切り詰めて保存したりしているのは、ちょっと残念な保存方法である。東急の5000系の場合は、保存目的で傍系の上田交通から引き上げてきたにもかかわらず、保存先の東急車輛で寸詰めしてハチ公前に公開展示しているのは歴史的価値ある車両の展示方法としては感心できるものではなく、東急の保存意図が理解できない。このままではいづれ荒れて朽ちて解体という道しか無いように感じるのは私だけではないと思う。ハチ公前のデハ5001は今更戻せないので、唯一熊本電鉄で現役活躍中の5000を引退時に引き取って東急車輛の5200とペアにして保存してもらいたいと願っている。
小田急は、歴代のロマンスカーをSE(3000形)以降NSE(3100形)も編成で保存しているので、ブルーリボンを受賞したLSEも間違いなく編成での保存になるものと確信しているが、微妙なのはハイデッカーというバリアフリー化に対応できず消えて行くHiSE(10000形)が保存対象となるかどうかである。幸い永の電鉄に売られていった1021Fと1061Fが短縮編成となって活躍してくれているので、彼らが引退する時に引き取って保存という手も在る。東京メトロが長野電鉄に売った日比谷線の3000系を引退時に引き取って復元保存した例も在るので、東急にも同じ轍を踏んで欲しいと期待している。
  1. 2011/05/26(木) 00:20:59|
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1ヶ月遅れでの南武線・快速運転開始

当初は3月12日のダイヤ改正で実施される予定だった南武線の快速運転は前日に起きた東日本大震災の影響で実施されず、その後も節電運転の影響もあり実施が見送られ続けていた。しかし、徐々に電力事情も漢和されてきたこともあって、4月9日から快速運転が実施されることになった。
ここしばらく南武線とはご無沙汰であったが、先日久し振りに利用する機会があり、しかも運良く快速電車に乗車する機会があり、登戸ー武蔵溝口間で初乗車をした。幸いカメラを持っていてスナップ撮影をできたので、走り始めた南武線・快速の様子をご紹介させていただくこととする。

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快速運用に就いていたのは貴重な209系0番台(横ナハ32編成)。
20110523溝の口 002A
  1. 2011/05/24(火) 12:27:44|
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東急・大井町線平日昼間の急行運転復活

東電の福島原発事故に伴う節電運転で東急・大井町線の平日昼間(11時~16時)は急行が運転されず、各駅停車のみ二子玉川ー大井町間折り返し運転だったが、5月23日(月曜)から平日昼間の急行運転が再開された。
しかし、節電運転は続いており、各駅停車は相変わらず二子玉川ー溝の口間では運転されず二子玉川ー大井町間での運転のみで平日昼間には昔懐かしい二子玉川の鉄橋に折り返し電車の留置中の姿をみることができる。再開されることになった平日昼間の急行運転も同じく二子玉川折り返しと思いきや、なんと長津田駅での折り返し運転。
つまり長津田ー大井町間の運転という変則運転。おかげで平日昼間の大井町線ホーム(2番線と3番線)に留置されていた急行用6000形との並びのツーショット写真も撮る事ができるというありがたいことになった。

20110523溝の口 004A
左側の3番線の6000系は溝の口ー二子玉川間運休中のためにパンタを降ろしてホームで昼寝中で、右側の4番線の田園都市線の上りホームには長津田発大井町行きの急行6000系が見える。これは普段のダイヤでは見れない貴重なワンシーンとなった。
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これまた節電ダイヤのお陰で実現した変則運行の写真。6000系急行長津田行きが走る線路は田園都市線の下り1番線に入る線路なのである。通常ダイヤであれば左隣の大井町線の下り2番線ホームに入る線路を走る筈なので
変則の節電ダイヤさまさまと感謝している。
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  1. 2011/05/24(火) 11:54:19|
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小田急電鉄 総合検測車 クヤ31

小田急の電車の撮影で泉多摩川駅にいた時に運良く、総合検測車クヤ31を見かけましたので撮影できました。
この手の列車の運行時間は非公開であるあるために偶然出会うしか写真を撮る機会がありませんが、本当に運良く出会えて撮影が可能となりました。愛称は「Techno-Inspector」で、車体側面にそのロゴが描かれているのがわかると思います。この日は動力車として1000形4連(1051F)を連結しての運転でした。
京王にも同じく総合検測車クヤ900がありますが、京王より早く2004年3月の登場なので、日本初の1両
で架線も軌道も調べられる総合検測車という称号を持つ事になりました。

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京王線のクヤ900と異なり本格的に本線を運転できる運転台が在るために、このように列車の先頭に立って運用される。
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  1. 2011/05/22(日) 16:35:43|
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昭和の遺構(1) 多摩川スピードウェイ観客席跡

「昭和の遺構」と題して遠くなりつつある昭和の香りを今に伝える昭和の遺構を紹介していくシリーズである。
その第1回目は、昭和11年(1936年)に作られた日本初の常設自動車レース場の遺構の紹介である。
東横線で上り電車に乗ると新丸子駅を発車してまもなく多摩川の鉄橋を渡るが、その時上流側の河原の土手に階段状の構築物があるのに気づかれた方も多いのではないだろうか。なにげなく見過ごしてしまっているかも知れないが、これが今回ご紹介する日本初の常設自動車レース場の観客席の遺構である。
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日本での自動車レースは意外にも早くて明治時代に始まっていたが、大正年間に活発化して競馬場や埋立地などを使って開催されていたもののレース場は雨が降ると泥沼と化して使えず、常設の舗装をされたレース場の必要を感じて金子恒雄氏(自動車レースの後援をしていた報知新聞企画部)と藤本軍次氏が東京横浜電鉄(現在の東急)が多摩川河川敷に所有するオリンピア球場跡地(オリンピア→東映フライヤーズ→日本ハムファイターズ)に目をつけて、東京横浜電鉄を口説いて昭和11年に完成させたのが「多摩川スピードウェイ」だった。長径450m、短径260m、幅20m、1周1200mのコースだった。河川敷のために本格的な舗装が出来ず簡易舗装だったと言われているが諸説あり、ダートコースだったと記している書物もある。しかし競馬場のダートコースよりは舗装に近い状態だった筈で、そうでなければ競馬場のダートコースや埋立地での間借りを逃れて本格常設自動車コースを作った意図と合わないことになる。
「多摩川スピードウェイ」の開設時期についても諸説あり、昭和18年発行の『東京横浜電鉄沿革史』と昭和48年発行の『オートレース20年史』では昭和10年(1935年)の開設と在る。ちなみに東京横浜電鉄は建設資金総額10万円の内7万円を出資したそうである。ただ『東京横浜電鉄沿革史』には総工費8万円と記載されており費用分担の記述は無い。『東京急行電鉄50年史』(1972年発行)には多摩スピードウェイの記述が一切ないので不明点の解消はできてない。東急は沿線への学校の誘致や娯楽施設(遊園地や田園コロシアムなど)の経営や誘致に熱心で、慶應義塾の日吉誘致で地価が上がり乗車人員も増えて経営に大いに役立っているので、多摩スピードウェイに投資することは想像に難くない。
多摩スピードウェイでは、昭和11年6月7日に第1回全日本自動車競走大会が開催されて、本田技研創業者の本田宗一郎氏が弟弁二郎氏と一緒に参加しておりスピードはだんとつだったそうだが、後半のステージで前方の立ち往生した車に接触して転覆して優勝を逃している。その後も自動車レースは昭和14年(1939年)まで6回開催され、オートバイレースなども行われたが第二次世界大戦の影響でレースは行われなくなり、オートバイの草レースなどが続けられた後、戦後ほどなく閉鎖された。

多摩スピードウェイの跡地は、もともとの野球場に戻り日本ハム2軍の施設として使われた後に普通に野球場として使用されている。当時の記述には収容人数3万人のスタンドとあるが、遺構を見ても3万人は無理で数千人が良いところだと思う。3万人という数字の算出根拠はオーバルコースを囲む草地での立ち見席も含んでの総数であろうと筆者は見ている。
長径450mをカバーする長さのスタンド席が土手に作られており、コンクリートの段が11段ありその下にコンクリのスロープがあり、各段と斜面に穴がありそこにイスが設置されていあt模様。閉鎖後しばらくの間はイス席が残って場違いな景観を呈していたとの報告もあるのだが、現在がイスは残っておらず土台となったコンクリートの階段とスロープの構築物が残るのみである。良く観察するとイスが乗っていたと思われる穴が等間隔で残っているのでそれと知ることができるのみである。

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対岸の多摩川駅側から東急東横線・目黒線の鉄橋越しに眺めた多摩スピードウェイの観覧席跡。電車の後ろにほぼ画面いっぱいに左から右へ伸びている土手の斜面の灰色に見える部分が観覧席跡。結構長い距離である。

20110520多摩川雪谷大塚 004A
上記と同じところから撮った写真で、これは望遠で拡大してみた写真。観覧席らしく見えることと思う。

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今はなきレーストラックがあった思われる位置から観覧席を見上げた写真。階段状の部分とその下のコンクリート斜面にはイスを設置した穴の跡があるが、それ以外の部分にはイスはなく多分土や草の上に座って観覧したのではないだろうか。

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コンクリートの斜面に等間隔で草が顔を出しているのは、昔のイスを設置した時の穴の跡。

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階段状の部分に残るイスの穴の跡。ここで70年以上前に本田宗一郎兄弟の出走したレースを眺めた人々がいて、その歓声が響いていたのかと思うと感慨深いものがある。

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左側の幅の狭い段数の多い部分が通路として使われた階段部分で、右側の広い段数の少ない部分がイスを設置した観覧席部分と推察している。

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右側の階段部分は観覧席の中央部分にあって他の階段より幅が広い。ここがメインスタンド部分だったのだろう。
  1. 2011/05/22(日) 09:05:30|
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第13回国際バラとガーデニングショー (その12)

第13回国際バラとガーデニングショーの最終回です。まだご紹介して無い画像としてハンギングバスケット部門がありますが、それはまた改めてのご紹介として、ひとまず第13回国際バラとガーデニングショーの画像の紹介を終わりたいと思います。

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  1. 2011/05/20(金) 21:23:35|
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第13回国際バラとガーデニングショー (その11)

第13回国際バラとガーデニングショーの続きです。

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  1. 2011/05/20(金) 21:07:35|
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第13回国際バラとガーデニングショー (その10)

第13回国際バラとガーデニングショーの続きです。

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  1. 2011/05/20(金) 07:47:47|
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第13回国際バラとガーデニングショー (その9)

第13回国際バラとガーデニングショーの続きです。

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  1. 2011/05/20(金) 07:26:38|
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第13回国際バラとガーデニングショー (その8)

第13回国際バラとガーデニングショーの続きです。

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  1. 2011/05/19(木) 10:08:59|
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第13回国際バラとガーデニングショー (その7)

第13回国際バラとガーデニングショーの続きです。

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  1. 2011/05/19(木) 09:46:01|
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第13回国際バラとガーデニングショー (その6)

第13回国際バラとガーデニングショーの続きです。

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  1. 2011/05/19(木) 08:12:52|
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第13回国際バラとガーデニングショー (その5)

第13回国際バラとガーデニングショーの続きです。

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  1. 2011/05/18(水) 20:30:54|
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第13回国際バラとガーデニングショー (その4)

第13回国際バラとガーデニングショーの続きです。

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  1. 2011/05/17(火) 22:04:03|
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第13回国際バラとガーデニングショー (その3)

第13回国際バラとガーデニングショーの続きです。

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  1. 2011/05/17(火) 18:19:04|
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第13回国際バラとガーデニングショー (その2)

第13回国際バラとガーデニングショーのスナップ写真の続きをお送りします。

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  1. 2011/05/17(火) 10:39:27|
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10年前の鉄道風景(4) 東急・東横線「渋谷」駅

やはり10年ひと昔である、これからご紹介する写真でお分かりのように既に見る事の出来ない光景が多々ある。
そして渋谷駅自体がが大きく生まれ変わることになっていて、東横線は地下にもぐり、山手・埼京線はホーム位置が変わり、地下鉄銀座線も大きく変わる。東急東横店もなくなる。

(1) TOQ-BOX仕様(シャボン玉柄)の9000系 9013F

今は見ることのできない「桜木町」の行き先方向幕が10年の歳月を感じさせる。尚TOQ-BOX仕様は東横線ではもう1本あり9006F(虹・音符柄)がその任に就いていた。東急ではTOQ-BOXは商標登録してないようで、2010年6月にはTOQ-BOXの装飾を解除してしまったらしいが筆者は確認してない。

199703渋谷4A

(2) 急行「桜木町」行8590系

すでに8590系は東横線の運用からはずれており、現在では大井町線と田園都市線でしか見ることはできない。

199703渋谷3A

(3) 電光掲示板の「桜木町」行きの表示や「日吉で急行待ち」の表示が貴重

現在は特急や急行の追い越し待ち合わせは「自由が丘」と「菊名」になっているので日吉での各駅停車接続や急行待ちの表示は貴重な記録写真となってしまった。

199703渋谷5A

(4) 電光掲示板の「先発電車の停車駅」は路線が桜木町迄あった時のもの

私にとっての東横線は渋谷~桜木町の路線で、未だに「元町・中華街」行きの表示に違和感を感じる。もうじきこの見慣れた渋谷駅の地表ホームともお別れとなるのだと思うと感慨深いものがある。

199703渋谷1A

(5) 通常は2番線から発着が主体の急行電車の1番線発着

現在は2・3番線が優等列車(特急・急行)の発着に使われているが、それ以前は2番線が優等列車の発着ホームだった。それでもたまにはこうして急行「桜木町」行きが1番線から発着することもあった。

199703渋谷8A
  1. 2011/05/15(日) 14:04:10|
  2. 10年前の鉄道風景
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オーディオの話し

オーディオの話をしてみたい。実は高校時代からオーディオに興味を持ち始めて、秋葉原などに入り浸ってはオーディオの聞き比べをしたりしていた。手作りのオーディオの神様であった長岡鉄男氏の本はむさぶるように読んだ。彼の記事を参考にしてスピーカーボックスを作り秋葉原の電気部品店で買ったスピーカーユニットを組み込んで悦にいっていたり、3極真空管を使ってアンプ作りにもチャレンジしたことがある。
社会人となってお金で解決できることを覚えてからは、完成品で理想のオーディオを構築することになった。幸いオーディオメーカーに就職したことで、それらのものを手に入れ易い環境だったことも手伝って、1970年代の終り頃にほぼ理想のオーディオ装置を取り揃える事ができた。あとは装置に合う部屋の調達だけであったが、それだけは未だに実現できずにいる。
私が目指した理想のオーディオの音は好きなJAZZの音を満足行く形で鳴らしてくれる装置であった。当時友人が大手レコード会社のレコーディングエンジニアだったこともあり、録音現場の機材の音を聞く機会があった。そこのスタジオでは一番良い音で鳴っていたのは、モニタースピーカーがアルテックのA7や604Eで、アンプはマッキントッシュだった。これで聴くストリングスの音は本物の音と区別が付かないほどで、しばらくの間は私にとっての理想の組み合わせであった。
しかし、その後アルテックはかなり癖の在るスピーカーで、アンプとの相性が難しくて鳴らすのが大変なスピーカーであることを知る。そして、それに代わって私のリストに登場したスピーカーはJBLだった。
その結果、私の目指す理想のオーディオ装置のラインアップは、スピーカーはJBL、アンプはマッキントッシュ、カートリッジはシュアー、プレイヤーとテープデッキはティアックと決まった。

そして、その理想のラインアップは私のアメリカ駐在時代に実現することとなった。

スピーカー: JBL4343
アンプ: Accuphase E-202
チューナー: Accuphase T-101
プレイヤー: MICRO & TEAC
カートリッジ: SHURE V15TypeⅣ
テープデッキ: TEAC A-7030SL & A-450 & C-1

予算の関係でマッキントッシュのアンプはあきらめたが、その他は自分の理想に叶ったラインアップとなり、当時住んでいたアメリカの西海岸の家の40畳以上在るリビングルームに設置して音楽を楽しんだ。

通常音の出口(スピーカー)と入り口(カートリッジ)のどちらかを変えると音の変わったのが認識できるといわれるが、私の場合には一気に出口と入り口の両方を変えてしまったのだから大変、音は画期的に変わって今までのレコードでは聞こえてこなかった音が聞こえるようになった。うれしくて手持ちのレコードをすべて聴き直して新しい音を楽しんだ。

オーディオファンは自宅で生の音楽演奏を再現できることを最終目標とする訳だが、未だにそれを実現した人は居ない筈だ。部屋まで改造してそれに近いところまで到達した人はいると思うが、それでも未だ及ばない筈と思っている。特にクラシックのオーケストラの演奏を100%忠実に再現することは不可能であると私は思う。
ホールの床を通して伝わってくるあの重低音はまず再現不可能だと思っている。

私の到達した究極のオーディオ装置(アンプだけは理想どおりではないが)で、かなりの程度生音の再生が可能になっている。音楽をやる友人などを家に呼んで聴いてもらうと、ピアノはほぼ本物を目の前で弾いているのと同じであると言ってくれたし、ギターの音も本物の音と同じように聞こえると言っていた。私はJAZZが事のほか好きで聴く機会が多いが、ウッドベースの音だけがやや忠実度に欠けるところがあるものの、他の楽器(サックス・ペット・ドラムス・ギター・ピアノ・エレキベース等)は、ほとんど生音に近い形で再現できているいると言って良いと思っている。今の唯一の難点は、日本の家が狭くてリビングがわずか17畳しかないのでJBL4343を音量を上げて聞く事ができないことである。通常はアンプのボリュームの位置は1/8の位置で在るが、音楽好きな友人が来てくれて昼間の場合に限ってボリュームを1/4強まで上げて生音に近い音を出して聴いている。ボリュームを上げて隣の部屋へ行って聴くと、まるでリビングルームで本物のピアなのが鳴っているかのように聞こえる。

音楽愛好家の間で繰り広げられる、音楽は本当にレコード(CD)で忠実に再現できるのかという論争は永遠の課題で在る。特にレコーディングでの音作りの問題はそれだけで1冊の本ができてしまうほどで、けんけんがくがく語られている。デジタル時代になり、レコーディングに於ける編集は前にも増して自由自在になり、演奏家のミスを取り直して小節単位で入れ換えることなど朝飯前であるから、なんでもありの時代になっている。
クラッシクのスタジオ録音では費用の節約や人の拘束の観点から、楽団員の数を一番要する最終楽章から録音し始めるなどのことが結構行われているようである。それが嫌なバーンスタインはライブ録音派であるなどの話もあるが、そのような話はまた稿を改めてお話しすることにしたい。
  1. 2011/05/14(土) 17:54:31|
  2. 音楽
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第13回国際バラとガーデニングショウ (その1)

毎年恒例の5月の祭典「第13回国際バラとガーデニングショウ」に行ってきました。
混雑を嫌って平日の空いている時期を狙っていったつもりだったのですが、開場の9時30分より前に到着したにもかかわらず入り口には既に長蛇の列が出来ていて、入場に10分以上を要してしまった。
会場に入っても人、人、人で、とても落ち着いて見れる状況ではなく、来年もこんなに混むのなら来るのはどうしょうかと考えるほどであった。
去年よりも人出の多い状況に反して、みるべき展示作品は去年の方が上回っていたように感じた。片岡鶴太郎と阿部容子とのコラボによる「印象派の庭」が今回の作品の中では出色の出来てあったが、後はコンテスト部門のガーデンの中の数点を除いて見るべきものが少なかったようで、今年は低調なショウであった。

目に付いた作品とバラたちをアットランダムにスナップしたので、下記に紹介して行く。

DSC_1498A.jpg
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(続く)
  1. 2011/05/14(土) 15:20:18|
  2. 季節
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10年前の鉄道風景(3) JR水戸線「下館」駅

1999年の下館駅でのJR水戸線、関東鉄道、真岡鐵道の写真を紹介する。
当時仕事の訪問先が下館にあり、東北新幹線「小山」で乗り換えて水戸線で「下館」まで行く事が多くなって、ある時カメラ持参で出かけて仕事の帰りに下館駅で撮影したのが今回ご紹介する写真である。冬ということもあって太陽の光線がかなり傾いていて逆光気味の写真があるが、かえって趣のある写真になっているかもしれない。
恥ずかしいことにも、水戸線に乗るまでは水戸線が交流電化されていた事に気が付かず、小山駅を出て小田林駅へ向かう途中に車内の電気が消えて初めて交直接続のデッド区間を通過した事が判り、水戸線はその全線がほとんど交流区間だったと知った次第。大部分の鉄道ファンは、常磐線の取手ー藤代間の交直接続と東北線の黒磯駅の交直接続は認識していても、水戸線の小山ー小田林の交直接続は意外と知らないのではないかと自分の例をして思ったりする。その延長で行くと、つくばエキスプレスのみらい平ー守谷間の交直接続も普段は忘れられている存在かもしれない。
415系1500番台(ステンレス車)だけになってしまった415系普通鋼車も、割と最近まで秋葉原駅の横に在る引き上げ線に留置されていたのを頻繁にみかけたものだった。
そして近郊型電車の代名詞のような存在だった113系・115系も最終局面にあり、首都圏でその姿を見る事ができるのもあとわずかである。

(1) ファサードの窓が印象的な駅舎となっているJR「下館」駅本屋

杉崎行恭著の『日本の駅舎ー残しておきたい駅舎建築100選』にはもれたものの、次点として「残しておきたい駅舎38」の中にはこの下館駅が見事選ばれている。

19990120下館1A

(2) 駅舎を裏側のホーム側から眺めたところ。

小山方面行きの上りホームに停車中の電車は415系普通鋼電車。2007年で引退して今はその姿をみることはできない。現在はステンレス車体の415系1500番台とE501系が運用に就いている。

19990120下館3A

(3) 関東鉄道の下館駅に停車中のキハ2201

画面左側のJRホームの奥に真岡鐵道の車両が見える。

19990120下館10A

(4) 関東鉄道 キハ2201 

19990120下館11A

(5) 下館駅 友部方面行き下りホームに停車中の415系普通鋼電車

19990120下館12A

(6) 真岡鐵道の気動車 モオカ14形

19990120下館13A

(7) 跨線橋上の関東鉄道下館駅舎

”取手・水海道・下妻方面のりば”の文字が見えるのが関東鉄道の駅舎。

19990120下館9A
  1. 2011/05/13(金) 21:37:44|
  2. 10年前の鉄道風景
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10年前の鉄道風景(2) 京王線「笹塚」駅

10年ひと昔とは良く言ったものである。今の笹塚駅では見ることのできない光景をご紹介する。

(1) 京王線6000系5扉車

6000系最後の編成となって今年の3月まで動物園線で活躍して引退した6022Fが6000系5扉であったのは記憶に新しい。この6000系5扉車はラッシュ寺の乗降時間短縮を狙って5両編成4本が1991年に導入されたが、その成果が認められずに6023Fと6024Fは4扉車に改造されてしまった。その後残った2本の
6021Fと6022Fが最後まで5扉車として活躍して、その中の6022Fが動物園線専用となったことで奇しくも最後の6000系1本となり今年3月に引退していった。
この写真は笹塚駅で客扱い中の6023Fである、撮影した1999年6月時点では4本とも5扉車で活躍して時である。塗装も登場時のオリジナルのアイボリーにエンジの細帯なのが懐かしい。
1999FILM015A.jpg

(2) 京王線6000系 2連4扉車+5連5扉車

6415F2連+6023F5扉車5連。未だ登場時と同じのエンジ色の細帯を巻いている。平日朝のラッシュ時には5扉車5連の後ろに3連を連結して10両編成で運用されていた。
この1999年の時点では既に6000系の初期の車の廃車が進んでいたが、依然として京王線内の最大数量を誇る系列であることには変わりなく駅にいれば次から次へと6000系がやってきたものだった。
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(3) 都営新宿線10-000形 初期編成(2次車)

第14編成(10-140F)は側窓が2段窓で、既に廃車になっていて今は見る事が出来ない。登場時は6両編成で営業に入りその後2両を増備して8両編成となったが、1999年の時点では既に8両編成である。増備の2両は1段下降式の側窓なので編成美を欠く結果となっている。ついこの間まではお馴染みの編成(側窓2段のセミステンレス車)だったのだが、一気に廃車が進み気が付いたら初期車はすべて消えていた。
1999FILM012A.jpg

(4) 都営10-000形と京王6000系

笹塚駅下りホームで顔を揃えた笹塚止まりの10-210F8連と橋本行き6010F8連。10-210Fは未だ健在であるが、6010Fは既に引退しているのでその姿を見ることは出来ない。
1999年当時は、6000系が当たり前のようにホームに止まっている光景を見る事が出来たのだが、それが過去のものになってしまったことが今でも信じられない思いがする。
1999FILM014A.jpg

  1. 2011/05/12(木) 14:25:46|
  2. 10年前の鉄道風景
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原宿 -無国籍迷宮地帯ー

40年ぶりに原宿を散策して、あちこちでシャッターを切って今の原宿をカメラに収めてきた。
学生時代に友人と洒落たアイテムを求めて訪れたり、独身時代にデートで訪れてレストランで美味しい白ワインを味わったりした。当時はキディランドが表参道に面した場所にあり、その近くに洒落た食器を扱う店があって時々彼女(今の女房)と行ったが、その店も今はもうない。
メンズクラブ御用達の好みそうな紳士洋品店が表参道と明治通りの交差点から少し行ったところにあったが、その店もなかった。
当時の原宿の街の雰囲気はアメリカンの気分があるところだったような気がするが、今の原宿は違ってしまった。一言で言うなら「無国籍迷宮地帯」という雰囲気の街になっている。同潤会アパートは原宿ヒルズに変身しているのだが、青山通りよりの一部が同潤館という名前で同順会アパートを模した形で在るのはわざとらしくて好きではない。出来るものなら本物を一部でもいいから残して欲しかった。

私が見つけた今の「原宿」を写真に切り取って以下にお見せする。

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20110501代々木上原原宿 038A
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  1. 2011/05/10(火) 11:39:32|
  2. 未分類
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伊勢原市 渋田川の芝桜

多摩ニュータウンや目黒区呑川緑道の桜を紹介してきたが、シーズンの締めくくりとして神奈川県「渋田川の芝桜」を紹介したい。芝桜は富士山山麓や秩父羊山が有名で在るが、東京の近場として神奈川県伊勢原市の渋田川の芝桜が在る。スケールの大きさでは羊山などにかなわないが川沿いでしかもソメイヨシノと一緒に楽しめるという 点でお薦めである。

最寄り駅は小田急線の「伊勢原」駅で、新宿から急行に乗れば1時間の距離である。バス情報は以下の通り、

伊勢原駅南口(3)番乗場
「大田経由平塚駅北口行」バス
下谷バス停下車(170円)

地域の人の手作りの川沿いの芝桜なので規模は小さいが風情があり、私は好きである。最近は伊勢原市の観光協会も力を入れて宣伝しており、年々見学者が増えてきており、満開の頃の土曜や休日は結構な数の人出となる。

200904010渋田川 004A
200904010渋田川 017A
200904010渋田川 025A
200904010渋田川 029A
200904010渋田川 029A
200904010渋田川 036A

  1. 2011/05/07(土) 09:50:40|
  2. 季節
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生誕100年特別展 「白洲正子」

世田谷美術館で開催中の「白洲正子」特別展に行ってきた。平日にもかかわらずかなりの数の来館者で賑わっており、ゆっくりと見れる状況ではなかったことに驚いた。白洲正子の人気の凄さに改めて気づかされた次第である。

阿修羅特別展示でも経験したが、人気のある展示の時には落ち着いて鑑賞することができず、パンダ見学と一緒で歩きながら通過してみるだけという味気ない結果に終わってしまう。それと仏像などは本来置かれている場所において周りの雰囲気も含めてお参りするのが正しい作法であるから、恐らく白洲正子が生きていてこの展示会を見たらばかばかしいことをしているとして、鼻で笑われてしまうような気がする。
わかっていた筈なのに、愚を繰り返してしまった私自身に会場で気が付き、大変恥ずかしい思いをした。

そんな訳で、白洲正子が訪ねた寺社の名宝約120件を一挙公開した「白洲正子展」、たいした収穫もなく展示会場を後にしたが、唯一「能面」だけが会場で異彩を放っていたのが不思議だった。能面も本来の居場所は能の舞台である筈だが、そこを離れた場所で鑑賞してもちゃんと存在感を持ってオーラを発していた。場所を選ばずに存在感を示せる何か不思議な力を持っているのかも知れない。

白洲正子の著書は未だ読んでないものが数点在るので、これを機会に残りの著者を手に入れて呼んでみたいと思っている。白洲正子といい、夫の白洲次郎といい、こんな時代だからこそ求められている人物ではないかとつくづく思わされる。

20110506世田谷美術館 004
20110506世田谷美術館 012
20110506世田谷美術館 024
  1. 2011/05/06(金) 23:44:53|
  2. 文学
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小田急 1000形 七変化

1988年に営業開始した小田急1000形、総数196両は3000形<312両)に次いで車両数の多い形式なので、小田急に乗ると当たる確立の高い車両である。
小田急初のステンレスカーで、VVVFが本格採用(2600形で試験採用)された形式でも在る。また貫通扉に行き先表示窓を持たないものの貫通扉の両脇に手摺があり小田急顔に近い正面意匠を残す最後の形式ということも
云える。
1000形は、10連4本、8連1本、6連12本、4連19本の構成で、6連12本のうち1751F~1756Fの6連6本が側扉がワイドドアーで1600mmと標準扉幅車の1300mmよりも広い。実は元々2000mm幅で登場しているがその効果が薄く閉散時に座席数が減るという問題があり、その後登場した2000形の広幅扉と同じ1600mm幅に改造となった経緯がある。

(1) 1000形 10両編成

20110503新百合溝の口 003A1093F10連
1093F10連。10連4本はすべて地下鉄乗り入れ可能車であるが現在は4000形が乗り入れのメインとなって1000形は普段は地上線に運用されている。

(2) 1000形 8両編成

20110503新百合溝の口 015A1081F8連
1081F8連。 8連はこの一本のみで、これに連結できる2連の編成がないので、急行や快速急行の運用には入らない。各駅停車又は区間準急の運用のみ。写真の列車は唐木田発新宿行きの区間準急として多摩線から本線に
転線してくるところ。

(3) 1000形 6両編成 ワイドドアー版

20110503新百合溝の口 001A1754F6連ワイド
多摩線の区間運用に入っている1754F6連ワイドドアー。正式称号ではないが1700形とも呼ばれている。1754Fは登場時は4連だったが、後に編成の組み換えで6連になった編成。
20110503新百合溝の口 095A1754Fワイド
ワイドドアー車でも、先頭車両は運転室がある為に運転室側の側扉だけはワイドではなく1300mmの標準扉。
20110503新百合溝の口 094A1754Fワイド
中間車はすべてワイドドアーなのでこのような側面景観となる。

(4) 1000形 4連+6連 

20110503新百合溝の口 012A1062F(4+6)
1062F4連を先頭にした4連+6連の10両編成急行新宿行き。

(5) 1000形 4連 箱根登山線の区間運転の為の箱根登山色仕様

20090916箱根登山 113A
1159F4連の箱根登山色仕様の区間各駅停車。
  1. 2011/05/05(木) 12:07:39|
  2. 鉄道
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代々木上原駅にて

代々木上原駅にて地下鉄千代田線及び小田急線の車両を撮りました。
千代田線では、JRの車両が203系からE233系2000番台への置き換えが進みつつあり、東京メトロの車両は6000系から06系への置き換えが進行中。JRの置き換えはかなり進んでおり2011年度中にも置き換えが完了する模様。小田急線では、なんと言っても5000形の廃車の進行状況が気にになるところであるが40分ほどの滞在中には残念ながら5000形はやってこなかった。その代わりロマンスカーLSE7000形の旧塗装車がやってきて写真を撮る事が出来た。個人的には手間のかかる旧塗装がロマンスカーには合っていると思うので一日でも長くこのままの塗装で走り続けて欲しいと願っている。JR209系の1000番台も2編成しかない希少車両ということで今回の撮影中には姿を現さなかった。試作編成の207系900番台と一緒で希少編成はじっくり待ってでも撮っておかないと、いつの間にか撮らずしまいで引退ということになるから、要注意である。

DSC_1215A.jpg
LSEにはこの塗り分けが一番しっくりとくる。車歴の新しいHiSEがハイデッカーゆえにバリアフリーの観点から早く引退になりそうで、LSEの方が長く残る事になったのは皮肉で在るが、私の持っている小田急ロマンスカーのイメージが一番色濃く残るLSEが3本共に健在で活躍中なのは嬉しいかぎりである。
DSC_1201A.jpg
急速に数を減らしつつある203系。写真の「東マト54編成」は203系の4番目の編成で車歴は古いのでいつ置き換えられても不思議ではない。
20110501代々木上原原宿 017A
こうやって折り返しの留置線に203系同士で2編成が並ぶ光景が見れるのも後少しかもしれない。
20110501代々木上原原宿 027A
これからは、このように203系とE233系、あるいはE233系同士だけの写真しか撮れなくなることだろう。
20110501代々木上原原宿 019A
東京メトロ6000系は量産車の登場が昭和45年なので車歴40年を越す長寿命車。写真の第12編成は昭和45年製造の量産第一次車。側窓も4次車以降の1枚下降式とは異なり2段式となっている。
  1. 2011/05/03(火) 09:33:50|
  2. 鉄道
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昭和の残像

日本ほど街の景観の移り代わりの激しい国はないと思う。久し振りに訪れた場所で、「あれ!前はここにタバコ屋があった筈なのに?」という様なことが頻繁にある。古い建物を惜しげもなく壊してしまうのが、本当にそれでいいのと問い掛けたくなる。

陣内秀信著『東京ー世界の都市の物語』に次のような下りがある。

”伝統的な町並みとの出会い”

 東京は世界でも類まれなる都市だろう。4百年間という比較的長い歴史をもちながら、表面的には過去の痕跡をほとんど失ったかにみえる。ここでは、百年前の住宅を1軒探し出すのにも骨が折れるのだ。
(中略)
 といって、東京の中から木造の伝統的な住宅地が消え去ってしまったわけではない。すでに見た佃島、月島も、歴史的町並みをよく残している。だが、東京で古い住宅を探す上での最大の宝庫は、上野の周辺地域である。上野台地の東側の下谷・根岸、あるいは台地の西側の谷中・根津を歩けば、古い町屋や長屋、そして戦前の立派な邸宅を数多く見ることができる。江戸時代には、周辺のはずれの町だったこれらのゾーンが、今、最も下町らしい風情を受け継いでいるともいえるのだ。
(後略)

 今回、ご紹介する写真はそんな根津・谷中・千駄木地区を歩いて目にとまった風景である。私にとっての昭和の残像ということなので、私の大学時代までの昭和期にあたりまえのようにあった建物などの紹介ということで実際に作られたのはもっと昔の物も含んでいる。つまり50年くらい前にはよく目にすることの出来た風景ということである。

DSC_1115A.jpg
根津神社のすぐ近くに見つけた由緒正しき昔の商家。未だ現役と思われるがいつまで残ってくれるだろうか?
DSC_1119A_20110502154726.jpg
昭和生まれには懐かしい由美かおるとアース渦巻きのホーロー看板。
DSC_1152A.jpg
まるで映画のセットのようにポツンと残る町屋。周囲と溶け込んでないのが惜しい。
DSC_1160A.jpg
DSC_1162A.jpg
「スペース小倉屋」というギャラリー。江戸時代の質屋を維持する目的で利用されている。
DSC_1167A.jpg
1階部分は近代化されているが、2階には昔のままの町屋の風景が残っている。
DSC_1173A.jpg
20110427谷根千 032A
私の子供時代の典型的な商店の建物。左2軒は近代的に改装されているが右の雑貨屋さんは昭和の風情をそのまま保っている。看板のタイガー魔法瓶とニギリ矢印(那須アルミ→日軽アルミ)の文字が懐かしい。
DSC_1174A.jpg
店の看板が無いが店先のビール箱から酒屋であることがわかる。立派な店構えで陣内秀信著『東京』に写真の掲載されている「足立屋食料品店」に匹敵する。
DSC_1182A.jpg
DSC_1185A.jpg
DSC_1187A.jpg
いかにも下町の中のお店という雰囲気のある「谷中堂」。招き猫などを売っている。
  1. 2011/05/02(月) 16:44:05|
  2. 歴史
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国

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