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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

見沼通船堀「閘門開閉実演」

一年に1回の機会しかない見沼通船堀「閘門開閉実演」の見学に行って来たので、そのご報告をさせていただく。

国指定史跡となっている見沼通船堀、灌漑用水路として開削された「見沼代用水路」と「芝川」を舟運の為に結ぶ運河として開削されたのが「見沼通船堀」で享保16年(1731年)に完成して、以来昭和6年まで使われておりました。芝川と見沼代用水路との間には3mの水位差があり、これを克服して船を通す為の仕組みが閘門という施設です。パナマ運河も閘門式運河として有名ですが、見沼通船堀はパナマ運河より古く、わが国有数の古さの閘門式運河である。

昭和6年以降は自然廃止されていた見沼通船堀閘門が近年復元されて、年に1回閘門開閉実演を行うようになった。見沼通船堀は橋や植栽などの状況が往時と変わってしまったことや芝川の水位の状況などの変化などの理由で閘門を通過して船を通す実演はできないが、閘門を作動させて1の関と2の関との間の水位を変化させていく様子を見てとることができる。

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見沼通船堀西縁の様子。こちらにも1の関と2の関はあるが閘門は復元されておらず、実演は閘門が再現されている見沼通船堀東縁で行われる。

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国指定史跡「見沼通船堀」の碑

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閘門が復元されている見沼通船堀西縁。

20110825河口湖 015A
閘門に落とし板が数枚設置されて1の関と2の関愛あだの水位が上昇してしているのがわかる。

20110825河口湖 012A
板を落とし込む様子。

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当時の1/2の大きさで復元された船が水位の上がった1の席の閘門へ向かう様子。

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  1. 2011/08/29(月) 11:22:19|
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東京の交通100年博

1911年(明治44年)東京市が東京鉄道を買収して、東京市電気局を開設して東京市電となって100周年を迎えた節目の年である2011年に、江戸東京博物館で「都営交通100周年記念特別展《東京の交通100年博》」が開催されている。
筆者が見たかった展示物は、2009年に個人宅での保存から30年ぶりに都電荒川車庫に復帰した6000形(6086号)、函館市電から里帰りした元東京市電ヨヘロ1形から改造された除雪車両(通称ササラ電車)、そしてそのヨヘロ1形を復元した実物大模型だった。

東京鉄道(東鉄)は東京電車鉄道と東京市街鉄道と東京電気鉄道の市内電車3社が1906年に合併して誕生した鉄道である。東京電車鉄道は1903年(明治37年)に東京馬車鉄道が動力を馬から電気に改めたことによって誕生しているのでルーツは100年以上前になる。
ちなみに、今唯一の都電となって存続している都電荒川線の元は1911年に大塚ー飛鳥山上間を開業した王子電気軌道(王電)なので奇しくも荒川線も100周年を迎えた事になる。

東京の交通100年博001A
東京の交通100年博002A

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原則として屋内は撮影禁止なので、屋内展示では例外だったヨヘロ1形の再現模型以外は撮影できなかったのが残念。ヨヘロ1形の再現した実物大模型は大変良く出来ていて屋外展示のヨヘロ1形改造のササラ電車と比較して楽しめた。
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運転席周りの機器もそれなりに忠実に再現されていた。

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昭和30年代を再現した町並みをバックに屋外展示されていた6000形。6000形は戦後都電の最盛期の代名詞のような車両で、筆者も一番お世話になった。それだけに都電を知る世代にとってはこの6000形を見ると往時を思い出すのではないだろうか。

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76年ぶりに里帰りした函館市電除雪車(元東京市電ヨヘロ1形)と都電の代表6000形とのご対面。二人でどのような会話を交わしたのだろうか?とちょっと気になった。

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函館へ行ってもなかなか見る事ができないササラ電車、まさか東京で見る事ができるとは思わなかった。

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6000形の運転台。最近電車の運転台に比べるとシンプルなのが良い。

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6000形の室内。大学へ通う時、模型屋へ通う時など沢山お世話になった懐かしい室内だった。昔の鉄道車両の定番である木の床、これを踏みしめると昭和の音がする。
  1. 2011/08/22(月) 12:02:30|
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東京湾遊覧船「ヒミコ」

東京湾遊覧船で人気の在る「ヒミコ」は、松本零児氏がデザインした宇宙船のような不思議な形をしている。
この「ヒミコ」は浅草とお台場を結ぶ航路に就航しており、2009年11月に浅草からお台場まで乗船したことがあり、その時の様子を写真で紹介する。

20091105お台場 011AB
まるでジェットファイターのコックピットのような形をした「ヒミコ」の操舵席。

20091105お台場 016A
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1970年11月29日を最後に跳開が停止となり開閉しない可動橋となった勝鬨橋をくぐる「ヒミコ」、下から見ると橋の開閉する部分が良くわかるし、開閉操作をしたコントロール室の建物も趣の在る姿で残っているのが新鮮に見える。

20091105お台場 032A
よくぞ松本零児氏のデザインを具現化したと感心する「ヒミコ」の横顔。

20091105お台場 035AB
正面から見ると魚の頴娃のようにも見える「ヒミコ」
  1. 2011/08/21(日) 21:28:31|
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お台場の「ゆりかもめ」

東京臨海新交通臨海線というのが正式名称で在るが、「ゆりかもめ」という通称の方が普及してしまい正式名称を呼ばれてもピンとくるのは鉄道ファンだけではないだろうか。ちなみに同じお台場を走る「東京臨海高速鉄道」と名称が似ているので「東京臨海新交通」と言われるとそちらを想像するかもしれない。

さて、そんな「ゆりかもめ」を台場駅付近で撮影した写真があるので紹介したい、

20091105お台場 051AB
AQUA CITYお台場前を行くゆりかもめ

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台場駅へ到着するゆりかもめ。バックは日航東京ホテル。

20091105お台場 057AB
レインボーブリッジと東京タワーをバックにして人とゆりかもめを配して見たが、対象を欲張りすぎてしまい散漫とした写真になってしまった感があるのは否めないけど、意図的に頑張って撮影した写真がこれである。
  1. 2011/08/19(金) 11:36:12|
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青函連絡船「羊蹄丸」

8月15日の朝日新聞夕刊に「青函連絡船譲ります~船の科学館閉館で維持できず~」という記事で青函連絡船の羊蹄丸が引き取り手を捜していることがわかり驚いている。

1988年3月青函トンネンルの開通により廃止となった青函連絡航路、客船は第二の人生を送っていたが、その中で半数近くが既に解体されている。海外に譲渡された船は、中国で余生を送っている{大雪丸」を除いてすべて解体ないし廃船となっていて、日本に残った「八甲田丸」(青森港)・「摩周丸」(函館港)・「羊蹄丸」(お台場)の三隻はほぼ恒久的に静態保存される体制にあり安心していたが、船の科学館の閉館は予想外の出来事で貴重な産業遺産である「羊蹄丸」が消えるのではないかとの危機感を持つに至った。
羊蹄丸は1988年3月13日の函館発の最終便となった経歴があり、同じ年の6月~9月の復活運航の折には十和田丸と共に最後の運航にも供されている記念すべき青函連絡船の1隻なので、このまま引き取り手が見つからず廃船・解体となるのは、なんとして避けたいと思うのだが・・・・

筆者は大学の鉄道研究会での夏期合宿で1969年と1970年の2回北海道を訪れていて、当然のことながら渡道の折には青函連絡船を使っているので、都合4回青函連絡船にお世話になっている。4時間弱の船旅であるが津軽海峡という外洋も横切るので独特の船旅を楽しむことができて、今でもその時の情景を鮮明に思い出す事ができる。東京に羊蹄丸があることでいつでも訪問して当時を思い出すよすがになると安心していたのだが、いつでもいけるものと思い羊蹄丸見学には未だ行ってないことに気が付いた。9月30日の閉館までには是非とも訪れたいと思っている。

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9月に老朽化の為に閉館となる予定の、船の形を模した「船の科学館」本館。2009年11月撮影。

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こちらは本館閉館後も維持される予定の、南極観測船「宗谷」

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こちらは引き取り手が見つからないと解体の運命が待っている、青函連絡船「羊蹄丸」。2009年11月撮影。

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日本には3隻しか残っていない貴重な青函連絡船のひとつなので、なんとかして引き取り手が見つかることを祈っている。
  1. 2011/08/16(火) 23:40:46|
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総天然色の鉄道風景 (その5) 三井埠頭3号機

1968年に撮影した三井埠頭の3号機を紹介したい。この年代の蒸気機関車の写真をカラーで撮るのは珍しいかもしれないので敢えて紹介することにした。三井埠頭の3号機はこの年の10月に引退している、結構多くの方がブログや雑誌などで3号機を紹介しているが河口湖自動車博物館に保存展示されている写真を除くとほとんどがモノクロの写真であるので、現役の三井埠頭で働く3号機のカラー写真は貴重になるのかもしれない。

相鉄三井埠頭他1968005A
三井埠頭には1968年の6月と10月の2回訪問をしているが、この写真は6月の訪問の時に撮影したものと思う。

三井埠頭の3号機は、ドイツ・コッペル製で鶴見臨港鉄道(今のJR鶴見線)が購入して302号機として活躍して戦時中に鶴見臨港鉄道が鉄道省(今のJR)に買収された折に鉄道省1190号機となった。そして戦後1950年に三井埠頭へ移籍して3号機となり1968年10月に引退。その後保存されて最終的に河口湖自動車博物館にて保存展示されている。保存場所が屋外の為に保存状態は余り良くないと聞いているが、筆者はまだ確認の機会がない。この博物館は何故か8月の1ヶ月しか開館しておらず訪問が難しい。
  1. 2011/08/14(日) 22:32:59|
  2. 総天然色の鉄道風景
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小田急 さよなら9000形フェスタ

過去形でのお話で在るが、2006年5月13日に小田急多摩線「唐木田検車区」にて<さよなら9000形フェスタ>が開催された。雨模様にもかかわらず多数の人が訪れて入場する為に長蛇の列ができた。
当日は秦野ー唐木田間でさよなら運転が行われて入場制限で外の列にいる内にさよなら運転の列車が到着して撮影用に東京メトロの6000系と並んで据付られる光景を遠くに望む事ができた。

小田急9000形は1972年から1977年にかけて営団地下鉄千代田泉乗り入れよう車両として導入され、当初は地上線で使用された後に1978年から1990年まで直通運転に供された。しかし直通運転用車両として1000形が登場してからは地上線用となり乗り入れの為の機器なども撤去されて地上線全線で使用されて2006年に引退した。1973年にはローレル賞を受賞している。

唐木田11A
撮影待ちの列が見える「新宿方撮影ポイント」に地下鉄6000系と頭を揃えて据え付けられた9000形10両編成。

唐木田1A
唐木田4B
撮影ポイントに辿りつくまでにも長蛇の列で大変だったが、その撮影ポイントから撮った地下鉄6000系と9000形の並び写真。

唐木田5A
戦前の車両にはあったが久し振りに採用された一段下降式窓が新鮮ですっきりとした側面を提供した9000形。直通運用から引退後は同形式の10連を組む事が少なかったので、最後に小田急の粋な計らいで実現した9000形同士の4連+6連のすっきりとした編成美には感謝・感激。

唐木田7A
車止め側から撮影した9000形。 直通運転から退いて久し振りに見る「綾瀬」行きの行先方向幕。
乗り入れ当初は、本厚木から綾瀬までの直通準急だったので「準急」と「綾瀬」の表示自体が懐かしい。現在は直通の運転系統が唐木田からの多摩急行主体に変わってしまい、本厚木発の準急の直通は朝のみの設定で本数が少ない。
  1. 2011/08/13(土) 12:14:53|
  2. 鉄道
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NHK BSプレミアム 「Amazing Voice」

毎週木曜日にNHK BSプレミアムで放送されている「Amazing Voice」、7月28日の放送は「北欧シリーズ」の3回目で「北欧 #3 ハイトーン伝説 ABBA」だった。

元ちとせと藤井フミヤの司会で進められるこの番組はなかなか興味深い、今回は特にハイトーン伝説と名うって私の好きなABBAを取り上げていたので録画してじっくりと見る事ができた. 文章では表現しきれないところも多々あろうかとは思うが、その紹介をしていくこととする。

20110807自宅TVアバ 008A番組の進行役、元ちとせ(左)と藤井フミヤ(右)の軽妙な掛け合いの中番組が進んで行く。

番組最初に紹介されたのは牛飼いの歌声である「キュールニング」。声を遠くへ届かせる為に森を見て風を読んで声を出すと言う。キュールニングは主に女性が担ったとのことで、レーナウィッツレマルクはこの伝説的唱法を今に伝える歌い手の一人である。番組の中でキュールニングで牛飼いの呼び声を実演してみせてくれた、その声は3-4Km先まで届くと言う。そして、彼女は数年前から、このハイトーンボイスを使い歌を歌っているという。

そしてABBAが紹介される。ABBAは4人組のグループで、裏声にならずに高い声を出すVocal二人・フリーダとアグネスタ、そしてキーボード担当のベニーとギター担当のビヨルン。

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1977年発売のアルバム「THE ALBUM」が記録的な売上となり英国レコード協会からシルバーアルバムを授与されているが、全世界で3億7千枚以上のレコード類を売り上げてビートルズ・プレスリー・マイケルジャクソンに次ぐ記録の持ち主であるABBAは解散しなければもっと記録を伸ばしていた可能性がある。
ビートルズ・プレスリー・マイケルジャクソンにコピーバンドが沢山在るように、ABBAにもコピーバンドは沢山存在しており、その数は40-50とも言われている。イギリスでは「ABBA GOLD」、デンマークでは「ABBA THE SHOW」、オーストラリアでは「BABBA」などがあり、地元スウェーデンでは「ARRIVAL」がある。テレビで紹介されたコーピーバンドはなかなかうまくコピーしていてそれなりに楽しめたが、何故か違和感があった。その違和感はスウェーデンのコピーバンド「ARRIVAL」のボーカル二人がテレビでうまく説明してくれた。そして「ARRIVAL」にはその違和感が少なくて本当にABBAのコピーバンドだと感じさせてくれた。

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ARRIVALのボーカル二人が次のような説明をしてくれた。
フリーダやアグネタの声の特徴は、ベルティングと言ってお腹から声を響かせる特別な歌い方をしていることである。ベルティング唱法(お腹を押して鼻から声を出すような感じと二人は説明する)がABBAサウンドの原点。
ポイントはお腹であると二人は言う。
元ちとせもボイストレーナーの指導でベルティング唱法を学び、その成果を番組で披露してくれたが、確かに裏声ではなくてハイトーンボイスを出していた。彼女の説明では、裏声は声帯を開いている状態で、声帯をくっつけて歌うのがベルティング唱法であるという。喉を締めて太い声を出すのがベルティング唱法である.

ABBAのボーカルの二人のハイトーンが何故耳に心地良く響くのかをスウェーデン王立工科大学の音声学の権威ヨハンスンドベリ教授がわかりやすく解説をしてくれた。
彼女達の長いトーンにはビブラートがある。ビブラートには2種類あり、一つは咽頭から来る筋肉ビブラート、そしてもう一つはPOPミュージックでも使われる腹式ビブラート。アグネスタは腹式ながら自然なビブラートを出していて、早くて揺れ幅は少なくて、1秒間に6.4でとても細かいナチュラルビブラートになっている。

ABBAのハイトーンが好きで5歳の時からそのモノマネをしながら育ちオペラ歌手になったというマレーナエルンマンは言う、「若い世代が今聞くレディガガやブリトニースピアーズに比べるとアグネタとフリーダの声はシンプルである。でもシンプルに歌うことは難しいことである」「ポップス歌手のビブラートは大抵おおげさで不自然だが、アグネタとフリーダのビブラートは自然で透き通ったビブラート。そのシンプルなビブラートは難しいもので、それはオペラの世界でも同じである」「ABBAのビブラートはビブラートってわからないほど細かい」

ABBAが目指したのは、二人が一緒に歌うと一つの声に聞こえることだそうです。普通歌い手が違えばビブラートのパターンも違うが、ABBAの二人はビブラートのタイミングが同じになるように歌っている。それがあのABBAサウンドとなっているのである。

20110807自宅TVアバ 012A





  1. 2011/08/07(日) 14:14:33|
  2. 音楽
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2011年8月5日「前田武彦」氏逝去

タレント・放送作家として日本のテレビの黎明期に置いてけん引役として大きな足跡を残した「前田武彦」氏が肺炎の為に8月5日逝去した。ご冥福をお祈りする。

前田武彦氏は「前武」の通称で知られ、日本のテレビの黎明期に大活躍をしている。私もその頃「前武」のファンとして彼の出演番組にはテレビ・ラジオを問わず耳を目を傾けたものだった。フリートークの天才とも賞賛されているが、私は彼の見事な毒舌ぶりがことの他好きだった。

1959年から始まり1971年まで続いたラジオ関東(現ラジオ日本)のトーク番組「昨日のつづき」に永六輔氏の後釜として入り大橋巨泉氏と絶妙のトークをくりひろげて私を楽しませてくれた。「今日の話は昨日のつづき、今日のつづきは又明日、提供は参天製薬?・・・・・」の名文句は今でもはっきりと記憶に残っている。

色んなテレビ番組やラジオ番組に出演しているが、主なところを拾ってみると、

◇ 夜のヒットスタジオ 初代司会者 フジテレビ
◇ ゴールデン洋画劇場 初代解説者 フジテレビ
◇ 巨泉・前武ゲバゲバ90分    日本テレビ
◇ 笑点 2代目司会者       日本テレビ

上記はすべてテレビ番組になってしまったが、フリートークの天才だった「前武」の魅力が生きていたのはラジオ番組だったように思う。テレビの寵児だったように言われている「前武」ゆえに訃報に伴う報道では代表番組として「巨泉・前武ゲバゲバ90分」を取り上げているが、私だったら代表番組として前掲の「昨日のつづき」をあげたい。

  1. 2011/08/07(日) 08:50:37|
  2. 時事問題
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国

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