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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

田端界隈・鉄散策(その2)

田端運転所留置線から移動して田端駅に隣接するJR貨物の田端信号場駅出発線へくるとEF64重連が先頭に立つ貨物列車が出発線にいるのを発見。この時間に田端信号場駅に停車する貨物列車は「JR貨物時刻表」には見当たらない。しかも89レ以外にEF64重連の貨物は聞いたことがなく、謎の貨物で在るが確認の方法がなく謎のままカメラに収まった・

20110914田端 026A
先ほどまで田端運転所留置線にいたEF641009+EF641034(重連)が先頭に立つコンテナ貨物。この時間に該当する列車が時刻表に見当たらない謎の列車。

20110914田端 027A
出発線に着いた時点で停車中だったEF651092.まもなく北側の留置線方面に走り去っていった。多分単機回送だったと思われる。

DSC_1768A.jpg
同じく先ほどまで留置線にいたEF651127(広島更新色)が単機回送で隅田川方面へ走り去っていった。

DSC_1773A.jpg
この日の収穫第二弾「EF65国鉄色牽引の工臨」。田端運転所所属の貴重品・国鉄色EF65の少ない活躍場所の一つがこの工臨なので、留置線でパンタを降ろして昼寝の多い国鉄色EF65だが運用に就く貴重な活躍中の姿が撮れた。

DSC_1779A.jpg
隅田川方面から来た単機回送のEF65国鉄色。EF651103.工臨に続いてのパンタを上げて走行中のEF65国鉄色が撮れた幸運に感謝。

DSC_1785A.jpg
続いて先ほどまで留置線にいた赤プレートのEF651091が単機回送で隅田川方面へ行く姿を後追いで撮影。

20110914田端 046A
20110914田端 049A
DSC_1789A.jpg
DSC_1792A.jpg
2078レが隅田川から到着。一旦機関車を切り離して今度は反対側に機関車をつけて隅田川方面へ戻っていく。

DSC_1799A.jpg
隅田川駅寄りに機関車が連結されて2078レ(左側のコンテナ貨物)は出発、入れ替わりに右から2番目の線にEF641003牽引の貨物列車が到着。この時間に到着する貨物列車はJR貨物時刻表に該当するものがなくて列車番号は不明。到着後まもなくそのまま赤羽方面に引き上げて転線して手前から3番目の線路に推進運転で戻ってきて隅田川駅寄りに数両留め置きされていたコンテナ貨物と連結して発車待ちとなる。
この予期せぬ貨物列車の出現がこの後到着する安中貨物の到着場面撮影時の邪魔になることになるが、この時点ではすぐに発車して行くものと思っていた。

DSC_1814A.jpg
謎の貨物出現後ほどなくして手前の線路を田端運転所留置線にいたEH500-31が単機回送で隅田川方面に通過していった。
20110914田端 056A

DSC_1816A.jpg
3054レ(札幌→隅田川)がEH500-82に牽引されてまもなく最終駅となる隅田川目指して通過していった。
DSC_1817A_20110929094212.jpg
3054レは寒冷地仕様の貨物列車らしく最後尾の貨車には赤色反射板ではなく赤色灯が付いているのがわかる、

DSC_1835A.jpg
ファン人気の安中貨物の到着時刻が迫り撮り鉄も数名来るものの予期せぬ貨物列車の出現に到着風景の撮影が出来ないと判断して別の撮影場所を求めて立ち去っていった、私は連結される貨車の写真も撮りたかったので到着はあきらめて出発して横のEF64牽引貨物と並んだところを撮影した。安中貨物(5781レ)はここに20分ほど停車してその間に機関車交換をする。この日は泉から牽引して来たのはJR東日本のEF510ー502(昨年12月までは同じくJR東日本のEF81だった、基本的に常磐線の交直接続を跨いで運用される貨物列車にはJR東日本の交直両用電気機関車を借用している)田端信号場ー安中間はさきほどまで留置線にいたEF510-513が牽引する。

DSC_1838A.jpg
この日の安中貨物の機関車の後ろ2両のタキは新型のタキ1200だった、その後ろのタキは旧型のタキ15600形。タキ15600の引退は時間の問題となっているので、この日の私の狙いはこのタキ15600の撮影だった。左隣の予期せぬ貨物列車が停車中でなければ、安中貨物の停車中にゆっくりとタキ15600を横から撮影するつもりだったが、それは叶わず発車していくところを順番に追いかけながら撮影する羽目になった。
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運良くタキ15600形(亜鉛焼鉱専用)のトップナンバータキ15600の写真が撮れた。

DSC_1854A.jpg
こちらは亜鉛精鉱専用のトキ25000形。

安中貨物は亜鉛焼鉱(酸化亜鉛)と亜鉛精鉱の両方を東邦亜鉛の小名浜製錬所から安中製錬所へ運ぶ為の貨物列車なのでタキ15600形・タキ1200形・トキ25000形で組成される。亜鉛の精錬過程は大きく2つに分かれて前半が亜鉛精鉱を亜鉛焼鉱にする焙焼工程で、後半が純度の高い亜鉛地金とする電気分解工程。小名浜製錬所で焙焼工程の2/3の数量を担当するが残りの1/3の数量の焙焼工程は安中製錬所で行われるので亜鉛精鉱の1/3は貨車で安中製錬所へ運ばれ、亜鉛焼鉱の2/3が貨車で安中製錬所へ運ばれる按配となっている。
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  1. 2011/09/28(水) 21:24:57|
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田端界隈・鉄散策 (その1)

JR田端駅を降りて東側に出ると鉄にとっては魔境ともいえるエリアがある、今注目を集める安中貨物列車が通る「田端信号場駅」(元田端操車場)、JR貨物の機関車やJR東日本の機関車が留置されている「田端運転所」(元田端機関区)、今や風前の灯火状態で貴重な夜行寝台特急列車の客車が所属する「尾久車両センター」(元尾久客車区)、JR貨物の乗務員配置区である「田端機関区」(機関車の配置は無く乗務員のみ)、新幹線電車のネグラである「東京新幹線車両センター」などがあり、バラエティに富んでいて鉄が一日中いても飽きないエリアである。

今回は、その中でも田端運転所と田端信号場駅出発線をメインにカメラハイクしたので、そのルポ記としてご案内したい。

田端運転所は道路を挟んで尾久車両センター側と田端信号場駅側に別れて留置線を持っており、その間にある道路を踏切で横切る連絡線で結んでいる。尾久車両センター側の留置線は道路からは見通せないが、田端信号場駅側は金網越しに写真が撮れるので、まずは田端運転所から散策を開始した。
田端運転所にはJR東日本の機関車が配置されていて、EF510-500番台・EF81・EF65-1000番台・EF58の61号機(お召し牽引指定機)など41両が配属されているが、EF5861は保留車となって東京総合車両センターの御料車庫に留置・保管されているし、EF81も配置17両中稼動状態にあるのは80・81・95・97・98・133の6両のみで定期運用は無く予備車扱いでEF510異常時の代役として活躍しかその姿をみることは無い、残りの11両は保留扱いで通常は活動することは無い。田端運転所はJR東日本の施設なのでJR貨物の機関車の配置は無いが、JR貨物の牽引機の待機・留置場所としても利用されており、田端信号場駅側の留置線にはJR貨物の機関車が多く見られる。田端運転所の所属ではないが定期運用で入出区する車両としてはJR東日本ではEF64(長岡車両センター&高崎車両センター)・DE10&DE11(宇都宮運転所)があり、JR貨物ではEF64(高崎機関区)・EF65(新鶴見機関区&高崎機関区)・EH500(仙台総合鉄道部)・DE10(新鶴見機関区川崎派出)があるので、首都圏では貴重なバラエティに富んだ機関車ウオッチングができる場所でもある。

田端EF64茶ガマ
田端運転所の留置線で最初に目に飛び込んできたのは貴重なEF6437茶ガマ(高崎車両センター所属)。なかなかお目にかかれない機関車なので幸先の良いめぐり合いに今日の成果への期待が高まった。

田端EF510-513
EF510-513.これは後ほど機関車交換で安中貨物の牽引機として出庫していくことになっている。

田端踏切
珍しく踏切を渡る機関車を撮影できた。国鉄色のEF65はパンタを上げてないので後ろのEF510が推進で移動してきているのがわかる。尾久車両センター側から田端信号場駅側への移動風景である。

田端入換EF510
推進運転するEF510の運転士が運転席の窓から顔を出して前方と操車・誘導担当を注視しているのが良くわかる。

20110914田端 009A
稼動機ではあるが普段はここで休んでいることの多いEF81133.ここにはEL2両とDL4両が留置されていた。DE111043(宇都宮運転所)の後ろにもDLが2台、EF81133の後ろにはDLとEL(多分EF65)が各1台づついる。

DE101752
宇都宮運転所所属のDE101752.

田端EF64&EF65
EF641004とEF651127、EF651127は貴重な広島更新色(機関車正面の扉もからし色に塗装されていて通称「からし色」とも呼ばれる機関車)隣のEf64のブルーと比べると良くわかるがこちらのブルーは明るいブルーで伊豆急のハワイアンブルーに近い色だ。一度客車を引いて伊豆急行の線路を走らせて見たい機関車だ。

20110914田端 015
頭がちょこっと見えるだけだったが、車庫に寝ているEF81133より綺麗で今すぐにも運用に入れる位置に留置されていたEF8181.

20110914田端 023A
尾久車両センター側の留置線はほとんど見えないが、かろうじてスキマから覗くとレインボー塗装のEF651118のいるのがわかった。

20110914田端 001A
留置線でパンタを上げてヘッドライトを点灯していたEF641034+EF641009.すぐにも動き出しそうな雰囲気だったが、その通りで留置線の赤羽寄りまで写真を撮りに行っている間に姿が見えなくなり、1時間後に田端信号場出発線に行ったらそこで貨物列車の先頭に立っていた。


  1. 2011/09/25(日) 20:12:53|
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JSバッハの世界 淀橋教会インマヌエル大聖堂

本日淀橋教会・インマヌエル大聖堂で開催された「JSバッハの世界」に行ってきた。日独交流150周年記念コンサートとして昨年夏に企画され準備が進められてきたが、今年3月11日の東日本大震災が起きたことで東日本大震災チャリティコンサートと言うサブタイトルも加わる事になった。
主催はメサイヤを歌う会グレイス合唱団で、そこに所属する合唱団の一員である知人の案内でこのコンサートを知るところとなった。私としては、バッハの教会カンタータが「教会」で聞けるというのが今回のコンサートに行くモチベーションとなった。そして、その目論見はは見事あたり、私としては最高のカンタータが聞けたと思っている。久し振りにクラッシクのコンサートで鳥肌が立つほどの感動を味わうことができた。

JSバッハの世界001A

出演はドイツから招待された「室内合奏団アクロアマ アニマータ」と下記のプロ声楽家の方々とグレイス合唱団。

ソプラノ:遠藤久美子
アルト:広川 恵
テナー:鏡 貴之
バスバリトン:稲垣俊也

演目はアクロアマ アアニマータだけの演奏が第一部で、第二部がアクロアマアニマータとグレイス合唱団で、以下の通り。

第一部:ブランデンブルグ協奏曲 第3番 ト短調 BWV1048
    管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BWV1067
    チェンバロ協奏曲 第3番 ニ短調 BWV1054

第二部:カンタータ「キリストは死の縄目に縛られ葬られた」 BWV4
    カンタータ「神は我らの砦」BWV80

主催がメサイヤを歌う会グレイス合唱団で会場が淀橋教会ということからも察しがつくように、来場者のほとんどが教会関係者、つまりクリスチャンであることに入場してすぐに気が付いた。会場のあちこちでやあやあとご挨拶をしているのだが、その会話の中であなたはどちらの教会ですかとの質問が飛び交っていた。そのうち私にも同じような質問が来るのではと恐れていたが、幸い私への質問はなかった。幸か不幸か、私はミッション系の私立大学の出なので、いざとなったら大学の教会名を答えようかと真剣に考えてしまった。

そして、素晴らしい演奏会のアンコール曲は「ふるさと」だった。今回の東日本大震災でもコンサートの中で好んで歌われた曲で、中越地震の時には平原綾香の「ジュピター」だったが、その時その時で人の心を打つ曲は変わるようである。アンコールの拍手に対して指揮者の方が上を指していたが、その意味は神も降臨してこのコンサートに参加しているよということだったようである。神聖な場所で聞くカンタータ、そして神聖な場所で歌う「ふるさと」、どちらも私の心を揺さぶる出来事であった。
  1. 2011/09/17(土) 20:19:47|
  2. 音楽
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中村とうよう氏逝く

迂闊にも最近になって知った事であるが、音楽評論家の中村とうよう氏が7月21日逝去された。ご冥福をお祈り申し上げる。

中村氏は月刊誌『ニューミュジックマガジン』(現在の『ミュージックマガジン』)を立ち上げた方でも在る。その他音楽のProduceもしており、氏の楽器や音楽資料のコレクションは武蔵野美術大学に寄贈されて展示されている。私がポピュラー音楽に目覚めた頃、既に中村とうよう氏の名前が音楽雑誌に見られており、ポピュラー音楽の私の知識は中村とうよう氏によって触発され育まれていったと言っても過言ではない。もちろん中村氏が創刊した『ニューミュジックマガジン』は創刊号からある時期まで、私は熱心な愛読者であった。
しかしながら、いつの間にか『ニューミュジックマガジン』ともご無沙汰になってしまい、中村とうよう氏の事も私の頭から消えてしまっていた。ところが、今年の1月に図書館で中村とうよう著『ポピュラー音楽の世紀』(岩波新書)を借りて読む機会があり、再び中村とうよう氏の世界に引き込まれてしまった。中村とうよう氏のポピュラー音楽に対する見識の深さに感銘して、他の中村氏の著作も読みたいと思っていたところ、『藝術新潮』誌に2007年から2008年にかけて「Toyo’s Invitation」が連載され、そこで中村氏が健筆を奮っているのを発見して読み漁った。その連載の中で紹介される音楽やCDはどれも興味深く一度手にとって見たくなるものばかりだったが、その中でも一番興味を惹かれたのは、華乃屋ケイと渋谷毅の「たそがれの夢」というCDだった。インディーズレーベルなので入手が難しいそうだが是非手に入れて聴いて見たい。

藝術新潮のバックナンバーを図書館で読み漁っていたのがちょうど中村氏が旅立った7月であったが、それほど大きく報道されなかったせいか、私は中村氏の逝去に気が付かなかった。そして本屋でミュージックマガジン社の発行する『レコードコレクターズ9月号』が私の好きなロバート・ジョンスンの特集だったのと、やはり私の好きな山下達郎氏の特集を組んでいた『MUSIC MAGAZINE』9月号を見つけて購入、そこに追悼・中村とうようと題して湯川れいこ氏と原田尊志氏の追悼文を発見して愕然としてしまいました。
長年忘れていた中村とうよう氏に今年の1月図書館で借りた本で出会い、藝術新潮の連載を追いかけたのは偶然とは言え何か不思議な縁を感じずにはいられません。中村とうよう氏はかなり以前から死を予期していたようで、最近の氏の文章にそれが語られていたことがわかりました。そうした中村氏の魂が私に働きかけたのか今年になってから氏の著作に目を通す機会が増えたのは不思議な事としか思えません。『レコードコレクターズ9月号』には大鷹俊一氏の連載「レコードコレクター紳士録」の特別編としてムサビで開催される「中村とうようコレクション展」が掲載され、その冒頭で中村とうよう氏の逝去について触れていた。

まだまだ中村とうよう氏の音楽紹介や音楽論を続けて欲しいと願うのだが、叶わないことになってしまった。昨年の加藤和彦氏に続いて今度は中村とうよう氏、なんともやりきれない虚しさだけが私の胸を占める。

『MUSIC MAGAZINE』の連載「とうようズトーク」も9月号が最終回になってしまった。そこで、とうよう氏は次のような言葉を残している。

・・・・でも自分ではっきりと言えますよ。ぼくの人生は楽しかった、ってね。この歳までやれるだけのことはやり尽くしたし、もう思い残すことはありません。

私の人生の最後でとうよう氏と同じ事が言えたらいいなと思います。







  1. 2011/09/15(木) 18:01:43|
  2. 音楽
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羊蹄丸ー船の科学館ー訪問記

9月末で休止になるなる「船の科学館」へ行って来ました。本館と羊蹄丸は休止になりますが屋外施設と南極船「宗谷」は引き続き維持されて見学も可能だそうです。本館は改装されるそうですが、羊蹄丸は維持管理が難しいので無償譲渡先を探しているそうですが見つからないと廃船の運命を辿る事になります。

休止を知ってなのか、夏休み最後の日曜だったからかはわかりませんが8月28日は大変な人出で駐車場も満杯状態でした。羊蹄丸は青函連絡船で最後の運航を果たして後「国際見本市船」として活躍して船の科学館にやってきてここを安住の地にするものと思っていたので、突然の船の科学館休止に驚いております。

恐らく引き取り手が簡単には見つからないものと思っておりますので、お別れの意味も兼ねて「羊蹄丸」を重点的にご紹介したいと思います。

DSC_1641A_20110911204900.jpg
展望塔から見た「羊蹄丸」と「宗谷」

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巨大な「羊蹄丸」のスクリュウ

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青函連絡船の特徴が良くわかる「羊蹄丸」の船尾。船内に貨車を積むための線路が見える。

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操舵室は余裕の広さで明るいのが印象に残った。

DSC_1596A_20110911230955.jpg
航海の無事を祈願する立派な神棚。

DSC_1600A.jpg
操舵室から船首を眺めるとこのような光景となる。

20110828お台場船の科学館 003A
20110828お台場船の科学館 004A
昭和30年代の青森を再現したジオラマ。そういえば昔は卵を籾殻を敷いた箱に入れて売っていたこと思い出した。そういえば今は何でもプラスチックなどの化学製品に梱包されているが、納豆は経木に包まれて売られていたし、おにぎりを竹の皮でくるんだり自然の素材が使われていたことを思いだして懐かしかった。

20110828お台場船の科学館 007A
残念ながら昭和30年代の青森駅に降り立った経験がないので検証はできないが、昭和30年代の青森駅の雰囲気はしっかり再現されているのではないかと思う。

20110828お台場船の科学館 009A
昭和44年と45年に北海道に行く時も帰る時も客車急行にお世話になっているから、この光景は覚えがある。

20110828お台場船の科学館 017A

20110828お台場船の科学館 025A
煙突のJNRマークはオリジナルではなくて見本市船から船の科学館へ転身してくるときに再現されたもののようである。
  1. 2011/09/11(日) 21:02:21|
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9月の新宿御苑(その1)

9月といっても7日はまだ夏、気温も31度あり空に浮かぶ雲の形も典型的な夏雲だった。

DSC_1653A.jpg
何故かこの時期の新宿御苑の訪問者はカップルが多かった。年齢は広範囲で若いカップルから高齢者まで変化に富んでいた。

DSC_1658A.jpg
木漏れ日の作る影がおもしろくてシャッターを切った。

DSC_1663A.jpg
年輩のカップルで散策を楽しんでいた。

DSC_1673A.jpg
この時期は花が少ないので樹形のおもしろさに誘われてカメラを向けてみた。

DSC_1681A_20110908184700.jpg
中国風の建物「旧御涼亭」から日本庭園を望む。

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ぽっかり浮かんだ夏雲と池を取り入れてみた。

20110907新宿御苑2 013A
ベンチで読書する人も見かけた、それぞれがマイウェイで御苑を楽しんでいる。
  1. 2011/09/08(木) 18:55:46|
  2. 新宿御苑
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東京総合車両センター・2011夏休みフェアー

年に1回の機会である東京総合車両センターの一般公開「2011夏休みフェアー」に行ってきました。

入り口のかつて101系が展示されていた線路には代わって「クハ901-1(引退時クハ209-901)」が展示されていた。
今回の車両展示には185系《湘南色)・EF510(北斗星色)・E233系・209系(MUE-Train)・E217系・クモヤ143(事業用牽引車)が並んで展示されていました。恒例の試乗車は豊田車両センターの115系3連が供されてました。房総の113系は風前の灯火状態で、高崎地区と中央本線の115系もいつ廃車が始まるか予断を許されない状況なので、試乗車乗車は人気がありました。

DSC_1417A.jpg
お昼頃の入場だったがまだまだ入場者の列が続いていた。正門を入ってすぐ左側に展示されている209系試作車(クハ901-1)がちらっと見える。

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引退時のクハ209-901から試作車として登場したした時のクハ901-1に書き直されているのが良くわかる。

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1番目の車両展示区画に並ぶE217系・クモヤ143。

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2番目の車両展示区画に並ぶ209系(MUE-Train)・E233系・EF-510-513・湘南色185系。
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何度か写真を撮りに高崎線に出向いたが、湘南色185系には遭遇できず、初めてその姿を見る事ができた。

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人気の試乗車115系。

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東京総合車両センターのお守りのように大事に維持管理されているナデ6141の壁画。鉄道100周年を記念して日立電鉄からデワ101を引き取りナデ6141として復元後国鉄大井工場(東京総合車両センター)の保管されていたが鉄道博物館の開館時に博物館に移されている。

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2009年夏休みフェアーではノントラによる車両牽引の実演が見られたが、今回は実施が無くノントラは車庫でひっそりと佇んでいた。

  1. 2011/09/06(火) 11:25:23|
  2. 鉄道
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勝鬨橋開閉

1970年11月29日を最後に可動橋としての役目を終了して開かずの橋となった勝鬨橋であるが、過日久し振りに開閉された勝鬨橋を見る機会があり、その写真を撮ってきたのでご紹介したい。

DSC_1088A.jpg
まさか本当の話だと思った方はいないと思うが、Nゲージの鉄道模型の世界での話しで在る。現在江戸東京博物館で開催中の「東京の交通100年博」でNゲージモデルを使って昔の都電の走った主なエリアをジオラマで再現しているうちの一つで勝鬨橋のジオラマが作られており、橋の可動部分の開閉にあわせて都電が通過したり停車したりする様子が再現されていた。
DSC_1094A.jpg
本物の勝鬨橋を開閉させようという市民活動もあり、実現に向けての調査なども行われており物理的には可能性があることになっているが、10億円くらいのお金がかかることがわかっており現実的には開閉の実現の見通しは低い。
  1. 2011/09/02(金) 22:34:22|
  2. 歴史
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富士山麓に眠る三井埠頭3号機

河口湖自動車博物館の駐車場に三井埠頭の3号機が保存展示されていることは知っていたが、夏の8月の一ヶ月間しか開館しないという不思議な博物館の為に訪れる機会がなく、インターネットや雑誌での紹介で眺めるしかない私であった。
しかし、ようやく重い腰を上げて8月も終りに近い閉館期限間の迫っている平日に河口湖自動車博物館へ行ってきた。雨の平日にもかかわらず駐車場には見学者とおぼしき車で結構埋まっていた。従って3号機の展示されている柵の前にも車の列があり最初は引きの在る写真が撮れなかった。駐車場は無料なので3号機だけ撮って帰ればお金はかからないものの、それでは博物館に失礼なので、3号機の前の車が出るまで館内見学をと自動車博物館を見学した。私の好きなランチアフルビアクーペも展示されていて、この車の前ではしばし時が停止してしまったかのように立ち止まって見入っていた。

20110825河口湖 591
巷の噂では荒れ果てた状態での展示を心配していたが、予想外に綺麗な状態で展示されていた。ちょっと厚化粧の感はあるがサビが浮いている様子は外からは見えなかった事に一安心した。1968年10月の引退運転以来43年ぶりの再会に思わず駆け寄ってホディを触って見たかったが、柵に囲まれていて出来なかった。

20110825河口湖 597
オリジナルの3号機には施されていなかったロッドへの赤色塗装や車輪タイヤへの白色塗装は私的には厚化粧の上塗りとしか見えなかった。

20110825河口湖 599
残念ながら斜め横前からの撮影位置には白樺の木が邪魔していてまともには撮影できなった。展示が目的で在るならここに白樺の木を残したのは理解できない。

20110825河口湖 603
かろうじて正面のアップ写真を撮れたのはこの角度だった。

20110825河口湖 617
赤と白の色入れがあるせいか私の知っている3号機とは違う機関車のように見えてしまい、銘板等がはずされていて外的証拠はないが外観の形からかろうじて元三井埠頭の3号機であることを確認した。

20110825河口湖 623
野外での保存とは言えここまで3号機を維持保守して保存してくれた河口湖自動車博物館に感謝したい。
しかし、これからのことを考えるとどこか適切な鉄道系の博物館で引き取り保存してもらうほうが良いなと老婆心ながら思う。
  1. 2011/09/01(木) 12:27:59|
  2. 鉄道
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国

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