ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。  

私の子供時代を訪ねる(5)~岡田の森と岡田家長屋門~

さて、お寺や神社も格好の遊び場であったが、一番私が子供の時にお世話になった遊び場と言えば「岡田の森」と呼ばれた個人の敷地であった。今でこそ岡田家から目黒区に寄贈されて「中根公園」となっているが、当時は個人の所有地であった。岡田家は代々名主をつとめた家柄で、江戸時代に造られた母屋と長屋門は屋敷林に囲まれ、茅葺の大屋根だった頃には、いかにも名主屋敷らしい風情があったそうだが、私の小学校時代には茅葺から瓦葺き換装されていて、その風情はなかった。しかし立派な門構えと大きなお屋敷はいかにも由緒ありそうな風情があり畏敬の念を持ってみていた。

私の小学校の頃は「岡田の森」はお屋敷とは垣根で仕切られた外側にあり、誰でも自由に出入りできる庭となっていて子供達の格好の遊び場となっていた。青大将などの蛇も生息しており、いたずらでそれらの蛇を小学校へ持ち込み女子の机の引き出しに隠したりして事を思い出す。昭和20年代の東京の郊外は未だ蛇も居たし、畑もあり肥溜めもあったのである。渋谷から電車で10分の場所にそのような光景が展開していた事は今の人には想像できないものと思う。

DSC_2211岡田の森
私の生家から数分歩くとこのように正面に「岡田の森」が見えた。行く道の家並は変わってしまったが遠くに見える森の光景は当時を偲ばせてくれる。

DSC_2212岡田の森
目黒区立中根公園として整備されているこの辺りには当時の面影はない。

DSC_2216岡田の森
当時は泥の崖を滑り降りて遊んでいたが、現代の子供は立派な滑り台でスリルを楽しんでいた。

DSC_2217岡田の森
唯一このあたりに当時の森に近い面影をみつけることができた。当時蛇が生息していたのもこのあたりで、木には大きな瘤ができていて、そこに蛇などが住み着いていた。

DSC_2239岡田の森
中根公園の西側の入り口からみた岡田の森。当時はこんな立派な階段はなくて斜面を苦労して登ったことを思い出す。

DSC_2220岡田家
岡田家の長屋門を寺郷の坂から眺めた光景。

DSC_2225岡田家
手入れが良くて私の小学校時代より綺麗になったように感じた、岡田家長屋門。

DSC_2223岡田家
目黒区の「みどりの散歩道」の「呑川・自由が丘コース」に載っている場所なので立派な案内板が立っていた。
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  1. 2011/10/31(月) 11:07:59|
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10月の新宿御苑

10月の新宿御苑を紹介します。
秋にも咲く「さくら」があります。名前もそのものズバリ「10月さくら」と言います。春のさくらのような華やかさはありませんが、ひっそりと咲いているのがいじらしい「桜」です。でも秋の桜は珍しいので注目を集めて通る人々が次々と立ち止まっては写真を撮ったりじっくりと鑑賞したりと、かなりの人だかりができてました。
10月の御苑は紅葉には未だ早いようで木々は緑の葉をつけてました、しかし落葉結構見られて、今回はその落葉もテーマにて写真を狙って見たりしました。

DSC_2025新宿御苑1
木々が面白い幾何学模様を作っていたので思わずシャッターを切ってしまった。

DSC_2030新宿御苑2
1本だけでひっそりと咲いていた「10月さくら」。結構な人気者になっていた。

DSC_2032新宿御苑3
楚々とした花をつけていた。

DSC_2052新宿御苑5
訪問者が結構多い新宿御苑。都会人を引き寄せる魅力を持ったオアシスなのかもしれない。

DSC_2056新宿御苑5
DSC_2059新宿御苑6
落葉はいたるところにあり、素敵な画材を提供してくれていた。

DSC_2065新宿御苑7
鏡のような湖面が対照的な絵を作っている。

DSC_2071新宿御苑11
DSC_2077新宿御苑13
  1. 2011/10/29(土) 21:14:56|
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多摩市 一本杉公園 旧有山家住宅

一本杉公園にて保存・公開展示されているもう一つの古民家「旧有山家住宅」を紹介。「旧加藤家住宅」の隣に位置する「旧有山家住宅」は典型的な多摩市エリアの農家だったようで、「旧加藤家住宅」より規模も小さく質素である。畳敷きの部屋(オク)には床の間も無く江戸時代から明治にかけての関東エリアの標準的な農家はこうだったのではと思い、興味深く見学させていただいた。

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ちょっとわかりつらいかも知れないが、広間(ざしき)は竹敷きである。

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風呂場とあるが、風呂桶が置いてない。どのような風呂桶を使用していたのだろうか? 五右衛門風呂だったのではないかと想像してみた。

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「旧加藤家」と同じく、こちらの住宅も移築に際して屋根は茅葺き屋根から銅版葺き屋根に換装されている。
  1. 2011/10/27(木) 21:36:53|
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多摩市一本杉公園と古民家

多摩市には計画都市として開発された為か公園が要所要所に配置されており、多摩ニュータウン開発の中で自然を生かした公園が多く設置されている。その中の一つである「一本杉公園」には公式野球の出来る立派な野球場とテニスコートがあり、公園の南側一帯は里山の景観を生かして移築された古民家が2軒復元・保存されている。

DSC_2153A_20111025093800.jpg
野球場の側には人工の流れが作られている。節水対策なのか、この日は水が流れていなかった。

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未だ紅葉の始まってない園内だが、一部の葉っぱが黄色くなっていた。

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多摩ニュータウン開発前の光景がそのまま残されている公園南側。多摩ニュータウンのあたりは起伏があって稲作には適さず、農家は畑と蚕で生計を営んでいたそうだ。

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比較的裕福な農家だった「旧加藤家」の住宅が移築されて保存・展示公開されている。

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土間(ダイドコロ)・広間(座敷)・デイ(オク)・納戸(ヘヤ)から構成されており、トイレは外に作られるのが一般的である。デイは接客主体の部屋で畳敷きで床の間もあり、現在の我々の和式居室のイメージに一番近い。
広間(ザシキ)は本来は竹敷きであるが移築に当たって板敷きに換装されている。納戸は現代の我々にとっては物を仕舞う場所のように捉えているが、当時は閉鎖性の強い場所として主に寝室として使われていた。
移築に際して藁葺き屋根は銅版葺き屋根に換装されている。

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旧加藤家の土間。かまどは移築後に設置されたので泥ではなくセメントでそれらしく作られている。のせられているお釜は羽根付きで筆者の子供の頃は自宅で使用されていたのを思い出した。我々団塊の世代がこの手のお釜の実体験をした最後の世代だろう。

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多摩は竹やぶが多かったことから板敷きではなく竹敷きだったそうであるが、換装されて板敷きになっている。
西洋人にとっては暖炉が、日本人にとってはイロリが欠かせない設備で灯・暖房・煮炊きに大活躍した家族団らんの場所である広間には絶対必要だった設備である。

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デイ(オク)と呼ばれる客間。立派な床の間があって裕福な農家であったことが知れる。
  1. 2011/10/25(火) 10:16:41|
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東京文化財ウィーク (10月29日~11月6日)

東京文化財ウィークと題して約460件の文化財が都内270箇所で一斉に公開される。普段公開されていても非公開になっているものもこの週だけは特別に公開されたり、普段は非公開になっているところがこの週だけは公開されたりと貴重なウィークとなる。

ガイドブックの前書きを下記に掲載させていただく:

 東京文化財ウィークは、より多くの皆様に文化財を身近に感じていただく為に行われるもので、都内にある約460件の文化財を一斉にお見せする公開事業と、文化財めぐりや講座などを行う企画事業の二つの柱があります。このガイドブックでは、そのうち特別公開を行う文化財約90件と、企画事業を掲載しています。

 公開事業期間は平成23年10月29日(土)~11月6日(日)の9日間。どのように巡るかはあなた次第。各場所には、文化財解説カードを用意してます。(在庫がない場合もありますのでご了承ください)カードだけを集めてあなただけの解説書を作るもよし、写真集としてファイルするもよし。地図を見て自分独自の旅を計画してみるなど、楽しみ方はいろいろです。

 企画事業は平成23年10月1日(土)~11月30日(水)の2ヶ月間です。
文化の秋、身近な文化財に触れ、東京の歴史や文化を学んでみてはいかがでしょうか?

主催:東京都教育委員会
後援:文化庁


ということで、筆者もこのウィークを利用して東京の歴史や文化を学んで見たいと思ってます、そしてその成果をこのブログでお知らせしていきたいと思っております。

参考までに、下記が東京文化財ウィーク のWebアドレスです。

http://www.syougai.metro.tokyo.jp/sesaku/week.html

「東京都生涯学習情報」のキーワードでも入れます。

ちなみに、ガイドブックは、都及び区市町村教育委員会窓口、都内公立文化施設等で配布されているとのことです。
  1. 2011/10/24(月) 11:15:44|
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私の子供時代を訪ねる(4)~円融寺~

このお寺の歴史は古い。平安時代の仁寿3年(853年)、天台宗の高僧慈覚大師がこの地に寺を開き、法服寺と名づけて、これが円融寺の起源となっている。400年後、日源上人によって日蓮宗に改宗され、法華寺と名が改められた。最盛期には境内3万坪、坊舎18、末寺75を数えるほどの勢いがあったが、徳川幕府と対立して元禄11年(1698年)に法華寺は取り潰しにあい、再び天台宗の寺に戻されて、その後円融寺と名を改めて今日に至っている。

筆者は自宅に寄り近い「碑文谷八幡」には良く遊びに行ったが、さすがそれより遠かった円融寺には足を伸ばす事は少なかった。今回久し振りに訪問して見ると流石に歴史在るお寺らしく厳かな雰囲気がただよいちょっと近寄り難い雰囲気があり、門を入るのに若干の躊躇を覚えたほどだった。こぎれい整備された境内はさながら京都・奈良の名刹・古刹を思わせる雰囲気が漂い子供の遊び場となる要因がない。もしかすると私の小学生時代からそのような雰囲気があり子供心に敬遠して近付くことを少なくさせていたのかもしれない。

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正面入り口(山門)を見る限りそれほどの規模のお寺には見えないが、中へ入ると奥行が深くかなりの規模のお寺であることに驚かされる。法華寺だった頃の最盛期の規模を想像させられる雰囲気は十分にある。

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山門から仁王門に至る趣がある参道。まるで京都の名刹を訪れているかのような錯覚に陥らせてくれた。

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碑文谷の「黒仁王」として江戸時代中期に人気のあった仁王さまが左右に納められて寺を守っている、仁王門。

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仁王門から釈迦堂を望む。

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木造建築では都区内最古と言われている「釈迦堂」。 室町初期の建立といわれて、国の重要文化財に指定されている。入母屋造りの優美な屋根は、もともとは茅葺であったが、昭和27年の大修理の際に現在の銅板にふき替えられている。

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鐘つき堂
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円融寺東門。この写真の左側に碑文谷八幡から移ってきた碑小学校がある。



  1. 2011/10/21(金) 21:35:26|
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私の子供時代を訪ねる(3)~すずめのお宿公園~

「私の子供時代を訪ねる」の3回目は『すずめのお宿公園』である。今までご紹介した場所は私の小学校時代に実際に遊んだ場所で在るが、今回の場所は正確に言うとそれのカテゴリーにははずれてしまう。この場所自体は個人のお屋敷で昔からあり小学校時代にその前は何度も通ってはいるが多分足を踏み入れてはいない。その点変則の回となることをなることをお許しいただきたい。

この竹林を含む『すずめのお宿公園』は個人のお屋敷だったところで、所有者の角田セイさんがの遺志で国に寄贈された後に、目黒区の緑地公園として整備されて昭和56年に『すずめのお宿公園』として一般公開されました。

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公園の一隅には古民家が公開されている。これは衾村の旧家・栗山家の母屋を移築して復元したものだそうです。

筍の特産地として知られた目黒は江戸の外に位置する一寒村に過ぎなかったのですが、関東大震災や東急東横線の開通を契機に人々が移り住んできて宅地化が進み、いまでは都内有数の東京のベッドタウンとなってます。私の祖父母が深川で営んでいた材木屋が破綻して移り住んできたのも正にそんな頃だったようです。

  1. 2011/10/17(月) 10:31:08|
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私の子供時代を訪ねる(2)~碑文谷八幡宮~

碑文谷八幡宮は私が通った幼稚園の少し先にある古刹・名刹で、創建年代が不明で鎌倉時代ともむ町時代とも言われている。現在の社殿は1674年に建てられ、その後明治5年に再建、明治20年に改築されたものである。
私の通った幼稚園は今は廃園となりその姿を見ることはできないが、碑文谷八幡宮は数百年の時を経て健在である。

桜森稲荷に比べるとあまり大きく変容しておらず、小学校の頃自転車でここまで遊びに来て野球や鬼ごっこなどして遊んだことを思い出させてくれた。敷地の半分くらいが武蔵野の雑木林風の広場のようになっていて子供達の格好の遊び場で在ったが、何故か子供達の姿は見えなかった。ふと立ち看板が気になって見てみるとボール遊び禁止とかいくつかの禁止事項が書かれている。なるほど、子供達が遊んでない謎が解けた。少なくとも私の小学校時代にはこのような禁止事項はなかった。

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社の裏側から境内に入るとこのような光景が目に入る。小学校当時もこのように裏から入りこの木々の在る広場で遊んでいた。多分当時のままの光景であると思われ、入った瞬間に50年以上昔の世界に戻って行った自分がいた。

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こちらが本来の参詣の入り口で細い参道を進むと2の鳥居となり、そこからは奥に本殿を望む事ができる。

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一番右端の細い石碑が「碑(いしぶみ)小学校創立の地」の記念碑。明治12年この地に創立された碑小学校は13年後の明治25年に300メートルほど東側に位置する円融寺の隣に移転している。

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台座には、この狛犬が平成5年4月28日に河田鶴松氏(明治42年4月28日生まれ)によって建立・奉納された旨記されている。
  1. 2011/10/16(日) 20:38:45|
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私の子供時代を訪ねる(1)~桜森稲荷~

プロフィールにもある通り、私が生まれ育ったのは目黒区中根。最寄り駅は東横線の都立大学、小学校の頃は近くの呑川でザリガニ採りも出来たし、畑があり肥溜めもあった。近くの森には蛇もいて女の子の机の引き出しに捕まえてきた蛇を隠しておいて驚かしたりしていた。家の前のバス通り(都立大学駅から緑ヶ丘駅へ行く道)は小学校に入った頃は未だ舗装されてなく雨が降ると水溜りが出来て自動車の通行時に水跳ねを避けるのが難儀だったことを思い出す。もちろん高学年になった時には舗装されていた。逆に晴天時は埃が舞い上げらないように散水車が水を撒いていた光景も覚えている。
小学校の頃は近くの神社やお寺は格好の遊び場で、自転車に乗れるようになると自宅から結構遠いところまで遊びに出かけたので自宅から数キロ圏内の公園や神社仏閣にまで行動範囲は広がっている。

そんな中でまず最初に訪問したのは自宅から徒歩数分のところにあった「桜森稲荷」である。中学に入ってからは電車通学なのでご近所で遊ぶことは無くなったから、「桜森稲荷」は50数年ぶりの訪問であった。
小さな社だが、様相は全く変わっていて当時を偲ぶよすがはほとんどなかった。入り口の鳥居は新しいものに変わっているし、外構も様相は一変していてまったく昔の「桜森稲荷」を思い起こすことも出来なくて何故か寂しさを感じたほどだ。本殿もリニューアルされたのかとても綺麗で、駐車スペースまで新設されていて、入りにくい雰囲気で立ち入って参詣することなく写真だけ外から撮ってさよならしてしまった。手入れもされず荒れ果てた姿も困るが、ここまでリニューアルされて整備されているのはちょっとどうかなと感じてしまう。

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  1. 2011/10/15(土) 21:39:04|
  2. 歴史
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林試の森~ミニSL運転会~

目黒競馬場跡の探索の折に、近くに在る林試の森に立寄ってみようと思い立ち、北口門まで行くと「ミニSL運転会」の貼り紙があり誘われままに門をくぐり会場へと足を進めた。

会場には沢山の親子連れが長い列を作って乗る順番を待っていた。ミニSL運転会とは言うものの実際に親子連れを乗せて走っていたのは電動の鉄道車両だった。SLを走らせるには本物と同じで準備に時間掛かるのでまずは電動の牽引車での運転がまず行われていたのだった。そのうち準備中のSLも走り始めたがSLの煙の匂いが久し振りに嗅げて何故か昔SLの写真を撮りに駆け巡っていた頃を思いだしていた。

友人がライブスチームをやっているので、多少の知識があるがSLの大きさから判断して5インチゲージのライブだと思われた。3列車同時に走らせて長蛇の列を捌いていたが、3列車を続行運転させているのを見たのは初めてで興味深くみさせてもらった。
2周して次のお客さんを乗せるシステムだったので、1周目は通過線を通り2周目で乗降場側の側線に入るような運転をしていて、ポイントの切り替えはポイントの手前に在る遠隔操作のボタンを押して行っていた。

20111008元競馬場&京急 017A
結構近い間隔で続行運転していたのが印象に残った。

20111008元競馬場&京急 040A
運転の準備作業に熱が入っている。

20111008元競馬場&京急 063A
ポイント切り替えのボタンを押しながら走るミニSL。

20111008元競馬場&京急 028A
20111008元競馬場&京急 061A
外周線がお客さんを乗せて走る本線で、内周線は準備の出来たSLを走らせて試運転する線になっている。
線路配置は日頃このような運転会をし慣れていることを物語っていた、
  1. 2011/10/12(水) 23:21:45|
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昭和の遺構(2) 目黒競馬場跡

目黒通りを走るバス路線を利用して都立大学駅北口から目黒駅や東京駅へ向かう時に「元競馬場前」というバス停があり気になっていた。車窓から覗いて見てもそれらしい遺跡もなく地図を広げてみても住宅地が広がるだけで競馬場があったようには見えなかった。
しかし、最近になって目黒競馬場跡の記念碑が建てられたり外周跡が住宅地の道路に円周状に残っていることなどを知り、バス停「元競馬場前」で降り立ちその跡地を探索することが出来たので、今回フォトエッセイにしておおくりする。

まずは、跡地に建てられた不動小学校の入り口に建てられていた案内板からご紹介する。

「目黒競馬場跡」 下目黒4、5、6丁目一帯

目黒競馬場は、明治40年12月に社団法人東京競馬クラブによって創立され、春秋2季の競馬シーズンには大変な賑わいでした。このあたり一帯がその競馬場の跡で昭和7年に第1回日本ダービーが盛大に行われた地です。その後住宅地化の波におされ敷地も手狭になったので、昭和8年に府中市に移転して東京競馬場となりました。競馬場の跡は現在、国立教育研究所、東京学園高等学校、区立不動小学校などや住宅地となっています。
今でも住宅地の中に、当時のコースそのままに曲がっている道路が残っています。なお目黒通りびはバス停に「元競馬場」の名が残り、商店会の人々によって「目黒競馬場跡」の記念碑が建てられています。

平成3年3月
目黒区教育委員会

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区立不動小学校の正門にある「目黒競馬場跡」の案内板。隣接の不動保育園が小学校の敷地を借りて運動会を開いていた。
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不動小学校正門。この辺りが長円形の外周の西の端にあたる。

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バス停に残る「元競馬場前」の名称。

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目黒通りの「元競馬場前」バス停近くに建つ記念碑。この記念碑の建つあたりにメインの観覧スタンドがあった。観覧スタンドは、貴賓室などを設けた3階建ての1号館と、間口が48間の2号館から成っていた。


DSC_2111A.jpg
トラックの止まっている一方通行の道が外周の名残の道の始まり。
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トラックが居ないと見通せるので円弧を描く道が良くわかる。

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外周道路跡を辿る。

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半円が直線になってすぐの処に在る「さくらの里街かど公園」 目黒競馬場があったときからの桜の木が1本残っている、台風で倒れた木を再生して保存に努めている旨の案内板があった。右の進入禁止の標識が立つ細い道が競馬場外周の直線部分。
DSC_2130A.jpg

DSC_2159A.jpg
正面奥の建物が区立不動小学校で、その右隣が東京学園。正面に向かって伸びる道路の左側の家の並びあたりが外周直線の延長に相当する部分で小学校の手前あたりから円を描き始めていたものと思われる。手前の白い壁に覆われている工事中の部分は元の文部科学省教育研究所跡地でマンションを建設中だった。
このように跡地の活用も第二段階に入りますます目黒競馬場のあった頃と景観が変わってしまい、日本の景観の変化のスピードに驚くばかりである。積極的に街の景観の維持・保護に力を入れるヨーロッパとの差を感じるのはこんな時である。
  1. 2011/10/09(日) 22:28:59|
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国

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