ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。  

昭和の遺構 (番外編) 渋谷駅・玉川口 Tamagawa entrance at JR Shibuya station

「昭和の遺構」と題しているが、厳密には遺構ではないJR渋谷駅の「玉川口(玉川改札)」の紹介である。JR山手線の渋谷駅・外周り線のホームの原宿寄りに「玉川口」と云う改札口がある。京王・井の頭線の乗り換えに大変便利な改札口で、ホームの高さのまま改札を抜けて井の頭線まで歩いて乗換が可能な構造になっている。山手線ホームと井の頭線のホームは若干の高低差はあるが東急デパートの2階に位置している。改札を出てまっすぐに井の頭線に向かうと数段の階段があるが、右寄りのハチ公前広場に沿った通路を使うとゆるいスロープになっていて階段なしで井の頭線ホームにつながる。
この玉川口は非常に便利な改札口であるが、現在計画されている渋谷駅地区再開発で山手線ホームが島式になると消える運命になっている、東急デパートも建替えになるはずなので遺構になる可能性もなく「玉川口」は話と写真にしか残らない改札口になる予定なのである。
ところで「玉川口」とは奇妙な名称であることに気づかれたのではないだろうか。実は玉電が廃止されるまではこの「玉川口」の目の前に玉電の渋谷駅ホームがあって同じ高さで乗換ができたことから「玉川口」の名称が使われて今まで変更されずに残っていたのである。昭和44年(1969)5月10日に玉電が廃止となってその後玉電の渋谷駅はバスターミナルとして1970年から1994年まで使われてきていたので、バスの乗り換え改札口としても大変便利な存在であったわけだ。そしてご存知の通り今は渋谷マークシティビル建設によりバスターミナルはマークシティ5階に移ってしまい往時の面影を見ることはできなくなった。
玉川口のある場所は東急デパート西館2階になるわけだが、元は玉電ビルとして建てられ1938年玉電が2階に、地下鉄銀座線が3階に駅を造った。今でこそ銀座線は東急デパート東横店東館に穴を開けて入っているように見えるが建設時は東館の脇をかすめて東横店西館(旧玉電ビル)に吸い込まれるように入っていく構造だった。その後東館の南側にデパートが増築されて銀座線を覆う形になった次第である。


DSC_2300A.jpg改札の奥にホームに停車中の山手線電車が見える。ホームの高さに改札口あることがわかる。
DSC_2296A_20120129225318.jpg
改札口を背にして井の頭線に向かう通路を撮った写真。この通路が40年前まで玉電の渋谷駅ホームがあった場所。天井の配管がむき出しになっていることが当時の名残である。
DSC_2292A.jpg
岡本太郎の絵のあるこ辺りを玉電の線路が通っていた。
DSC_2294A.jpg
井の頭線から玉川口へ向かう通路。今では真ん中の銀座線への連絡階段の左右に井の頭線に乗り換える通路があって便利になったが、玉電の渋谷駅やバスターミナルが右手にあった時代には左側の狭い通路が唯一の井の頭線への乗換通路で朝夕のラッシュ時には駅員が通路でロープを持って乗客の整理にあたっていた。筆者も中学高校時代コノ通路を通って学校へ通っていたので、今でも当時の押し合いへしあいで通過するのに難儀だった狭い通路を鮮明に覚えている。
DSC_2301A.jpg
玉川口を出て左手を見た写真、左手の階段を上るとJRの中央改札と銀座線の降車専用ホームから出る改札があり左右にあり、そのまま進んで階段を下りると東横線の改札がある。階段を上らずにまっすぐに進むとJR南口改札に降りる階段がある。
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  1. 2012/01/29(日) 23:01:05|
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久留里線のキハ30・キハ37・キハ38

2008年の11月29日に小湊鉄道訪問時に木更津まで足を伸ばして木更津駅にて久留里線のキハ30・キハ37・キハ38を撮影してきているのでその写真をお目にかける。その時はいずれ久留里線だけ訪問しにくるつもりで30分ほど滞在してあわただしく撮影して五井駅に向かっているが、何故かその後久留里線は訪問しておらずその時の写真が数枚あるのみである。今年こそは早いうちに久留里線を訪問しなくてはと思っている。

昨年秋に関東鉄道に最後まで残っていたキハ35系の2両(関東鉄道ではキハ350形)が引退してしまったのでキハ35系(キハ30形・キハ35形・キハ36形)では久留里線に残るキハ30形(キハ30 62・98・100)の3両が唯一営業中の車両となっている。もし可能なら「いすみ鉄道」(元国鉄木原線でキハ35系が走っていた路線でもある)が買い取って動態保存すると良い客寄せになると思うのだが・・・・・・
キハ35系は1961年から1966年にかけて413両が量産されて日本全国の国鉄路線で活躍していたが、最後はここ久留里線が終焉の地となった。

キハ37型は1983年国鉄時代に5両が量産先行車として製造された。その後量産は継続されず5両の量産先行車のみに終わっている少数形式車。国鉄気動車としては初めての「加給器付直噴式縦型ディーゼルエンジン」(DMF13S)を搭載した車両である。2両が西日本の加古川に配置・使用されすでに廃車となって今は無い、残り3両は新製後佐倉機関区木更津支区(現・幕張車両センター木更津派出)に配置されて久留里線と木原線で活躍したが木原線が第三セクター化されて「いすみ鉄道」となった時からは3両全て久留里線専用となり今日まで活躍してきた。キハ372・キハ371002・キハ371003がいる。

キハ38形はキハ35系の改造名義で1986年から1987年にかけて国鉄の工場で7両が製造された。
キハ381ーキハ384の4両がトイレ付で、キハ381001-キハ381003の3両がトイレ無し。
エンジンはキハ37形と同じエンジンを縦型(垂直シリンダー)から横形(水平シリンダー)にしたDMF13HSである。新製後は八高線で10年くらい使用されてから1996年に久留里線に転属してきた。


20081129小湊鉄道 007A朝のラッシュ時に木更津に到着したキハ381003を先頭にした4連(キハ37とキハ38で組成されている)

20081129小湊鉄道 011A上記の列車を反対側(上総亀山側)から撮った写真。こちら側の先頭車はキハ371002.

20081129小湊鉄道 019B木更津の車庫に留置中のキハ3098.希少価値の高いキハ30形、特徴ある外吊り扉が良くわかる写真。現在久留里線に残るキハ30形3両全てが国鉄時代の一般色(クリームと朱のツートーン)に塗装変更されており、この久留里線色のキハ30形は見ることはできない。

20081129小湊鉄道 021Bキハ3098を反対側から見た写真。
  1. 2012/01/19(木) 17:26:01|
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引退の季節 Farewell season is coming

またまた引退の季節が近付いてきた。3月のダイヤ改正で毎年何らかの列車が消えて行く、また廃止になる路線がある。今年の3月で消えるのは、まずは東海道新幹線・山陽新幹線の300系・100系、寝台特急「日本海」(ブルートレインは毎年ひとつづつ消えて行くが、今年は「日本海」の番だ)と寝台急行「きたぐに」(これは予想外の出来事、利用者もまあまあいて北陸新幹線開通が引退の節目かと思っていた)両者ともに定期列車でとしては消えるが多客臨時列車としては残る、通称ワムハチ貨物列車の3461レ&3460レのコンテナ貨物化(これで貴重なワム80000の貨物列車は全滅、車扱い貨物がますます希少列車となる)、ダイヤ改正時に特急「あさぎり」が車種変更になりJR東海の371系と小田急の20000系(RSE)がすべて小田急の60000系(MSE)に代替わりする。そして私鉄では十和田観光鉄道が消えて行く。さらに、もう一つ消えていくものがある、それは東急車輛という車両製造メーカーである。正直、このニュースにはびっくりした。まさか東急車輛が消えるとは思っていなかった。オールステンレスカーの製造では一世を風靡した「東急車輛」、他の車両メーカーが消えてもここだけは消えないと思っていただけにショックの気持ちは隠しきれないものがある。説明が必要である。誤解を招かぬように経緯をお話しよう、東急車輛という名前は無くなるが実態としての工場は残る、新しい株主が東急電鉄からJR東日本に移るのである。JR東日本は既に新津車両製作所という名称で車両製造部門を持っているので、4月以降も現在の横浜市金沢区の東急車輛の工場がそのまま維持運営されるのかは未知数でわからない。
新津車両製作所の開設時には東急車輛の協力があったことが知られているが、皮肉なもので東急車輛の指導の下開設されたJR東日本新津車両製作所に吸収されることを誰が予測できただろうか。

久留里線の貴重な光景だったダブレット交換も3月のダイヤ改正以降見れなくなる。JR東日本は3月17日のダイヤ改正で、久留里線の信号保安システムを「タブレット閉塞方式」から「特殊自動閉塞方式(軌道回路検知式)」に変更することを発表している。さらに3月ではないが今年の秋以降に新型車両キハE130形10両を投入してキハ30形3両・キハ37形3両・キハ38形7両を順次置き換えていくことになっている。
さらに田町車両センターの211系をE233系3000番代に置き換るえことを2012年5月末までに完了させるとのことなので、東海道線から消えた113系に続いて211系も消えていくことになった。


20120114伊豆急行 006A8006
伊豆急行8000系8006号の製造会社銘板。

20120114伊豆急行 031A8256
伊豆急行8000系8256号の製造会社銘板。昭和47年製のこの車両の東急車輛の書体が太くなっている。

20120114伊豆急行 046B8014
伊豆急行8000系8014号の製造会社銘板(東急車輛)・改造会社銘板(東横車両電設)とアメリカバッド社のライセンスの下日本の東急車輛で製造されたことを示すプレート。日本で最初に製造されたオールステンレスカーである東急7000系でこのプレートを見た時になるほどと感心した記憶がある。


  1. 2012/01/17(火) 22:53:25|
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伊豆急「伊豆高原駅」にて Phots taken at IZUKYU Izu Kogen Station

伊豆高原駅には伊豆急の本社と共に伊豆急の車両基地である「伊豆高原電車区」がある。ここの工場で100系103号の営業復活工事がなされたし、2100系R3編成の伊豆急オリジナルカラー化塗装もなされた。
103号の営業復活運転の撮影後に伊豆高原駅まで戻って見たが103号は既にホームからは見えない車庫の奥深くにしまわれていた。
またここ伊豆高原駅では6両編成の下りの切り離しと上りの連結作業が行われるので、解結作業のある列車の時にはホーム中ほどで作業を見る人たかりが見れる。

20120114伊豆急行 036A
上り電車が伊豆高原駅到着前に車内から撮影した駅構内。左の奥に見える8000系はこれから連結されて熱海行きなる3連。右端の8000系の左横に洗車装置があるがその奥に100系103号の顔がちらっと見える。

20120114伊豆急行 042A
車庫の8000系2編成。右側が「トランス・ガバテル」赤帯ラッピング編成(TB2編成)

DSC_3262A.jpg
電車の増結作業は鉄道ファンで無くても見たくなるショーである。
  1. 2012/01/16(月) 11:43:44|
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その他の伊豆急線を走る車両たち Other trains on IZUKYU Line

実は私は伊豆急線は一昨年熱海から川奈まで行った折に乗車しただけで伊豆高原の車庫も見ることなく、川奈から先の伊豆急線は未踏の場所だった。それが今回の訪問で伊豆高原の車庫もホームから眺めることが出来たし、伊豆大川までの線路は熱海からの直通電車の先頭でかぶりついて眺めることができた。
伊豆急に免許を与える時の条件の中に当時の国鉄車両の乗り入れがあったことから線路は国鉄の「乙線規格」で作られている。今でもJRの車両が乗り入れて来ているが、過去にはEF58やEF65などの電気機関車の牽く客車列車なども乗り入れてきている。JRの乗り入れ列車の運転は伊豆急線内は伊豆急の運転士が担当しているのだが、昔は貨物列車の為にED2511電気機関車を所有していたが貨物廃止に伴い電気機関車は引退してしまった。今は電気機関車運転の免許を持つ運転手が伊豆急にはいない可能性が高いので、線路規格としてJRの電気機関車が入線可能であっても実現される可能性は低いものと思う。


DSC_3210A.jpg JRの乗り入れ車両の花形である251系スーパービュー踊り子(SVO)

DSC_3211A.jpg伊豆急の主力車両である8000系3連。元東急の8000系で海側に西武レッドアローのシートを再利用して4人掛けのクロスシートを設けてトイレも1編成に1箇所設ける改造工事がなされている。熱海ー伊豆高原間は乗客も多くて6連で運転されるが伊豆高原ー伊豆急下田間は切り離して3連となり運転される列車もある。

DSC_3226A.jpgJR直通列車の185系「踊り子号」

DSC_3240A.jpgこちらは伊豆高原駅で切り離しをせず6連のまま伊豆急下田を目指す8000系。3連+3連で後ろの3連は河津のフランス式ローズガーデン「バガテル公園」を宣伝する為にラッピングされている「トラン・バガテル」編成。

20120114伊豆急行 017A伊豆大川駅に停車中の「トラン・ガバテル」青帯編成(TA2編成) もう一つ「トラン・ガバテル」赤帯編成(TB2編成)は伊豆高原駅の車庫で昼寝中。

20120114伊豆急行 033A伊豆急下田行き下り電車として伊豆大川駅に入ってくるリゾート21「黒船電車」(R-4編成)
  1. 2012/01/16(月) 10:22:35|
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伊豆急行「リゾートドルフィン」 Named train "Resort Dolphin" on IZUKYU Line

伊豆急100系復活運転の撮影で伊豆大川駅に降り立った私のもう一つの目的は50周年記念で伊豆急オリジナルカラー(ペールブルー&ハワイアンブルー)に化粧直ししたリゾート21第三編成(2100系)の撮影である。8000系でオリジナルの色の帯が再現されているが、やはり全体がオリジナル塗装であるほうが伊豆急らしくて良い。そしてハワイアンブルー&ペールブルーは意外にも2100系にしっくりと合っているのである。
100系の上りが折り返して来るまでの1時間半の間にうまく「リゾートドルフィン」が来てくれるかはわからないが、運を天にまかせて待つことしばし、その間に8000系やスーパービュー踊り子や185系踊り子が来た。そして有り難いことに100系通過の前になんとリゾートドルフィンが姿を現してくれた。
「リゾートドルフィン」は2100系の第三編成で、潮風による老朽化で先に引退した第一編成・第二編成に続いて引退が予定されていたが、伊豆急のシンボルとも云えるリゾート21の現在の運用を賄うには3編成が必要であることから引退予定を撤回して前回の定期検査を受けて今回の特別塗装となった経緯がある。今年第三編成(リゾート・ドルフィン)は定期検査の年になるのだが、今年の定期検査は受けるようなので少なくとも後3年間は安泰である。


DSC_3222A.jpgこの位置での撮影がこの撮影スポットの定位置だが、100系の場合は編成でなく一両なので画面の構成上バランスが難しいと考えたことも、私を線路端に行かせた理由になっている。

DSC_3214A.jpg
DSC_3220A.jpgこのアングルで撮ると海も身近の場所であることがわかる。
  1. 2012/01/15(日) 11:41:41|
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伊豆で昔の恋人に逢う Meeting old sweetheart in IZU peninsula

タイトルを見てギョッとなった人がいるかも知れないが、恋人といっても「人」
ではなく「電車」である。
伊豆急行が開業50周年を記念して事業用になっていた100系電車(開業時からの電車)を営業用に復活して運転しているのでその特別運転の写真を撮りに行ったのである。
1961年12月10日が開業日であるが、乗務員の習熟と電車の試運転と東急沿線住民への宣伝効果の為に開業前の100系電車を東横線で走らせている。筆者もその姿を沿線で見て一目ぼれしてしまった。東急にはない20メーター級の車体長に上半分がペールブルー、下半分がハワイアンブルーで銀色の帯を締めた姿はほれぼれとするような端麗な容姿で電車に恋してしまった。試運転電車を追いかけて元住吉の車庫まで行き、柵の外からあきずに眺めていた。しかし当時の私にとっては恋人の嫁ぎ先である伊豆急行は遠く一人では逢いにいくことは出来なかった。修学旅行の折に熱海駅まで乗り入れてきている100系の写真を撮ることはできたが、その後も伊豆急まで行くことなく2002年の100系引退まで伊豆急を走る100系に乗ることも写真を撮ることなく時が経過してしまった。そんな時に思いもかけない50周年特別企画「100形復活」の朗報だった。
既に「100系電車復活記念の旅」は2011年11月19日を皮切りとして3回開催されており2012年1月14日は4回目の運転だった。この後もこの企画は1月28日・2月4日の2回が予定されている。
東京方面から伊豆高原まではスーパービュー踊り子で行き伊豆高原駅から伊豆急下田までの往復運転に乗る企画である。今回は撮影ということで定番のスポット「伊豆大川」駅近くで撮影した。私の個人的都合で下り電車は間に合わないので、折り返しの上り電車を撮影することにして、11時12分に伊豆大川駅に降り立った、ホームには鉄らしき人が10人前後電車を待っていて私の乗ってきた電車に乗って上りの100系撮影の為に撮影地を求めて去っていった。伊豆大川の撮影ポイントは下り電車向きで先ほど通過したはずの100系下り電車をそこで撮影した人たちである。上り電車は後追い撮影になるので敬遠されたようである。私も最初は上りは別の場所でと思ったが今回は上りだけのワンチャンスなので、ある程度電車が大きく写るコノ場所で撮る方が良いと考え敢えてここでの撮影を決意した。有名撮影地であるが100系に関しては後追い撮影になることから電車が来るまでの間一人も同好のカメラマンはあらわれず私一人で悠々と撮影できたのは望外のことであった。本来後追い一発勝負の場所であるが、せっかくの機会なので駅からの通過姿も正面から狙いたいと考え、線路に近いポジションに移動して駅通過の100系も狙い、振り返って鉄橋を渡る100系を後追いで撮る作戦にした。しかし二兎を追うもの一兎も得ずの例えどおり、両方とも今ひとつの出来の写真になってしまった。本来は後追いを撮るポジションは線路から離れているので枯れ木が邪魔しないのだが、線路寄りに寄ったことで枯れ木の枝が電車に被ってしまった、もっと駅寄りに移動すると枯れ木を避けることはできたが、そうすると駅通過の100系電車が架線柱に中途半端に被るので中途半端に妥協した撮り位置になってしまった。


DSC_3249A.jpg
DSC_3250A.jpg枯れ木がかかってしまった失敗作。

DSC_3248B.jpgこの写真を撮るために後追いの写真が枯れ木のかかった構図となってしまった。

20120114伊豆急行 019A伊豆大川駅を通過して終点「伊豆高原」へと向かう100系特別企画電車。
  1. 2012/01/15(日) 11:26:07|
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東京メトロ千代田線 16000系 Series 16000 of Tokyo Metro Chiyoda Line

2011年度のローレル賞を受賞した東京メトロ千代田線の16000系が受賞記念のステッカーを貼って走行しているのを発見、無事カメラに収めた。小田急線新百合ヶ丘駅にて多摩急行の運用に就いて唐木田行きとして発車していくところを後追いで撮影。
16000系は第一次車が5編成製造されたが、中央貫通扉が運転視界を妨げるとの指摘があったことから第二次車(第6編成)からは貫通扉の位置が左側にオフセットされている。撮影した第3編成は一次車なので貫通扉位置は中央である。
この写真本来は10両編成である多摩急行が3両しか見えないので、アレッ?と思った方がいるかもしれないが、町田方面へ向かう下り本線ホームから右側の多摩線へ転線していくところを撮ったので既に多摩線に渡り済みの車両が隠れて見えないだけである。多摩線の区間電車や直通の区間準急は多摩線の専用ホーム(3番・4番線)から発着するが小田原本線の利用者が多く乗っている多摩急行は本線電車への乗換客の便の為に同一ホームでの乗換が出来るように下り本線ホームでの発着となっている。本来は多摩線だけ考えれば10両編成は長すぎるので昔の江ノ島行きと小田原行き急行を相模大野駅で6両・4両に分割したように新百合ヶ丘で分割する方が車両の効率利用になるのだろうが、そのために中間に先頭車両を入れる必要があり、制作費用の高い運転台つき先頭車両の導入コストを考えて10両のまま多摩線へ乗り入れているのだろうと推察する。
そういえば途中の解結作業をする運用が最近は少なくなった。小田急も急行の分割を辞めて今は特急のみ相模大野で分割している。京王も高尾山口行きと京王八王子行きの高幡不動での解結が無くなって久しい。東急も田園都市線開通時は客の少ない鷺沼以遠を2両で走っていた時期があり、その時は4両編成の分割を鷺沼で行っていた。10両編成でも足りないほど乗客の増えた今の田園都市線からは想像できないだろうが。


DSC_3162A.jpg

  1. 2012/01/14(土) 22:37:31|
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1月の新宿御苑(その3) Pictures taken in Shinjuku Gyoen Park

1月の新宿御苑(その4)です。
相変わらず冬枯れで常緑樹と一部の冬咲きの花以外は枯れた木立が目立つ園内ですが、シルエットや逆光の光の中の植物というスタンスでシャッターを押してます。代わり映えのしない写真が多いのを覚悟でご覧下さい、


20120111新宿御苑 003A
20120111新宿御苑 029A
20120111新宿御苑 050A
20120111新宿御苑 052A
20120111新宿御苑 061B
20120111新宿御苑 066A
  1. 2012/01/12(木) 23:19:35|
  2. 新宿御苑
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私の子供時代を訪ねる(6)~氷川神社~ Memorial scenes of my childhood

目黒六か村時代の衾村(現在の柿の木坂・東が丘・八雲・平町・中根・緑が丘・自由が丘・大岡山)の鎮守である。私は中根で生まれ育ったので春・夏・秋のお祭りの時には夜店で賑わう神社へ親に連れられて行った思い出がある。中根のお神輿や山車も氷川神社目指して練り歩くことになっていた。
小学校の3-4年の頃からは友人達と遊ぶ場所として氷川神社やお隣の都立大学へ行く事があったが、それほど頻頻繁には行ってない。むしろ前に紹介した碑文谷八幡宮や東京工業大学(子供にはひょうたん池のある大学として有名)へお遊びに行く方が多かった。
また氷川神社は癪封じの神様として知られ、境内には遠方からの参詣者向けの宿泊所が設けられていたそうです。


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ニの鳥居から本殿へ参道。本殿までは細長い敷地が続く、お祭りの時にはこの参道の両側は夜店が連なる光景が出現する、
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本殿
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本殿に向かって左側にある舞台。ここで祭礼の折に「剣の舞」が披露される。
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本殿に向かって右側には社務所がある。
  1. 2012/01/08(日) 19:06:10|
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1月の新宿御苑(その2) Pictures taken in Shinjuku Gyoen Park

1月の新宿御苑(その2)は人物を取り入れた構図も含んでいます。自然の造形プラス人物は画面に動きを加えてくれます。新宿御苑のどこからでも特徴あるNTTタワーが見れますが、東京で東京タワーがシンボルとなったように新宿御苑のシンボルはNTTタワーかもしれません。新宿御苑を撮った中に必ずNTTタワーが入っていることが多いのです。

20120104新宿御苑 002A
20120104新宿御苑 036A20120104新宿御苑 045A
20120104新宿御苑 059A
20120104新宿御苑 120A
20120104新宿御苑 127A
20120104新宿御苑 135A
  1. 2012/01/08(日) 00:09:39|
  2. 新宿御苑
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1月の新宿御苑(その1) Pictures taken in Shinjuku Gyoen Park

 1月の新宿御苑は紅葉も終り枯れ木と落葉が目だって寂しい。そこで今月は木々の樹形や光の影やシルエットの面白さを狙って撮影してみた。
4月から撮影を開始して春・夏・秋と四季を楽しんで撮影してきたが、今年は未だ降雪はなく冬の新宿御苑は枯れ木が唯一の冬の姿となっていた。


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  1. 2012/01/07(土) 10:54:36|
  2. 新宿御苑
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東急東横線の9000系 Series 9000 on Tokyu Toyoko line

東急東横線では5050系4000番台の導入が進んでいる。副都心線に乗り入れる電車は10両編成が予定されており、その車両用として5050系4000番台(車両番号が4000番なので4000系と呼ぶ人もいるが東急の正式呼称は5050系4000番台)の東横線への投入が進んでおり当面は中間車2両をはずして8両編成で運行されている。2011会計年度中に新製配備される編成数が東横線に残る9000系の編成数をカバーすることから推察して9000系はまもなくすべてが東横線から大井町線に移籍するものと思われる。現在東横線には、9000系トップナンバーの9001Fを筆頭に9005F・9010F~9015Fの8編成がいるが、5050系が主要勢力となっているので、東横線で9000系に遭遇する確率はかなり低くなっている。仕事で東横線を利用した折に珍しく渋谷駅で9000系が並んだので、その写真をお目にかける。

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  1. 2012/01/06(金) 10:29:16|
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私鉄9社共同企画「花と寺社めぐり・スタンプラリー」

2011年秋・2012年冬のスタンプラリー「花と寺社めぐり」が私鉄9社(西武・京王・小田急・東武・東急・京急・東京メトロ・京成・つくばエキスプレス)の共同企画で開催されている。スタンプの制覇に応じて豪華商品が当たる。開催期間は2011年10月15日から2012年2月29日まで。詳しくは「花と寺社めぐり」のHPがあるので、そちらを参照いただきたい。過去にも開催されているこのスタンプラリーは私鉄各社がかつて子供向けに開催していたスタンプラリーの大人版といったところである。私鉄各社個別ではなく数社集まっての共同企画なので全線制覇するのは結構大変である。特に路線が長い東武鉄道ではスタンプ設置駅である東武日光まで行くとなると時間とお金が結構かかることになる。

DSC_2916A.jpg「花と寺社めぐり・スタンプラリー」のヘッドマークを付けて運行中の5168F。 東急東横線都立大学駅にて
  1. 2012/01/05(木) 23:49:26|
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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。 今年も「ナイトトレインの平成・徒然草」を何卒宜しくお願い致します。3.11を契機に立ち上げた私のブログまもなく1周年を迎えようとしております。あえて3.11のことには触れずに私の趣味である鉄道や音楽や自動車や写真などをテーマに書き綴ってまいりました。

3.11は私にとっては忘れられない日でした。大震災の日は、晴れた青空の下、写真クラブの撮影会で板橋宿にいました。撮影も終了して板橋駅の近くの中華料理店で遅い昼食を兼ねた打上げでほろ酔い気分で、間もなく引退となる都電荒川線の7500型を撮影しようと思いたち、都営三田線で西巣鴨で下車して荒川線の「新庚申塚」で乗り換えて荒川車庫前を目指していた。荒川車庫前の一駅手前の「梶原」駅で乗降が終りいざ発車しようとしたその瞬間に強い揺れを感じた、最初はいつもの地震と思っていたが強烈な揺れが長く続き、運転手は一旦閉めた扉を開けてホームへの避難を促した。降りてホームから荒海にもまれるように揺れている都電をみていたら都電が線路からはずれて今にも倒れそうなので乗客たちは危険と判断してホームからも離れようとしていた矢先、やっと長かった揺れも収まり始めた。このような強烈な揺れは初めてで、きっと周りの建物も崩壊してしているのではと見渡すが、見た目には何もなかったかのような周囲の様子に一瞬先ほどの大きな地震は夢だったかと思うほどだった。そのうち駅前の踏切を横切る明治通りを何事もなかったかのように自動車が横切り始めた。車内に戻り発車を待っていると、駅のホームのスピーカーから「大きな地震が発生して安全確認の為に時間がかかるので少なくとも数時間は電車は運行されない」と案内があった。これは都電だけではなく他の鉄道も止まっていて当分は動かないものと判断して徒歩での移動を覚悟した。まずは近いところにあるJR尾久駅へ向かい様子を聞こうと明治通りを歩き始めた。
しばらく歩くと病院の前に人だかりがあり、患者や医者などが集まっている、よく見ると外壁のタイルがはがれ落ちている。幸いなことに通行人はいなくて人的被害はなかったようだった。尾久駅へ着くと改札は閉められて入場禁止になっている、駅員に状況を尋ねるが動く見込みは全くつかないというつれない返事だけで、地下鉄などの状況について聞いてもわからないの一点張り。地下鉄だったら早く運転再開になるものと自己判断して最寄の東京メトロ千代田線を目指してそれに沿って歩く内に運転再開になったら乗ればいいと歩き始めた。途中の田端駅では駅前にバスとタクシーを待つ人の長い列が出来ていた。結果的にはバスにもタクシーにも乗らないのが正解だった、歩くにつれ道が車で混み始めてそのうちまったく車は大渋滞で全く動かない状況になった。満員のバスの中で動かないでいるのほどつらいことはない。新宿駅へ向かう甲州街道を歩く頃には歩道から人が溢れて車道にまで押し出されて歩くペースもスローダウン。途中のコンビにはすでに目ぼしい食料が売り切れ状態となっていた。3時頃に東京の北部の尾久を出発して早4時間、駅から締め出されて大群衆がいる新宿駅を通過したのが夜の7時だった。やっと通じた携帯電話で女房に確認して女房の実家がある代田橋で泊めてもらうことにして代田橋に着いたのは7時半だった。足が棒のようになってしまったが布団に寝れる事が最大の癒しであった。もし実家が代田橋になかったなら多摩市の家に帰りつくのは夜中の1時とか2時になっていたものと思う。歩いている間はニュースを知る事ができず東実家のテレビで東北が大きな地震と津波に大変な被害を受けていることを知り愕然とした。
義母と電気・ガス・水道が当たり前のように使える幸せを感じることを話し合い、普段あたりまえのように思っていたことがこんなに有り難いことだったのだと改めて感じた。テレビの画面で油も電気もガスも無く暗闇に寒さに耐えている被災者の姿を見て何もできない自分に苛立ちを感じた。

震度5強の揺れにもまれている時にはついに関東大震災がきたと覚悟したが、本当の関東大震災が来た時にはこんなものではないことがわかると共に、今回の地震は良い教訓になった。
福島・宮城・岩手の3県の被害には言葉を失うのみで、何を云っても私の気持ちを言い表すことはできない。その時思ったことでもあるし、被害者の方もことあるごとにいっていたことであるが、1ヶ月たち2ヶ月経ち時が過ぎると共に人々から忘れはじめることだけはしないようにしたいと思う。政府は原発事故の収束宣言をしているが被災現地はまだまだ復興にはほど遠い状況である。私は人々の関心が薄れはじめた今から現地訪問やボランティアに動こうと思う。現地にボランティに行った人の言葉「行かない人には現地の本当の状況はわからない、ボランティアでなくても良いから一度現地へ行くべきである、きっと人生感が変わるはずだ」が身にしみる。

年頭にあたってハッピーななお話はできなかったが、私にとっても日本人いや世界の誰にとっても東日本大震災は忘れることのできないできごとで、このできごとを語ることなく新年は始まらないのではないだろうか。
震災からの復興、経済不況からの脱出、国の赤字の解消など課題は山のようにあるが、それらを克服して明るい未来を取り戻す第一歩の年として2012年があるのだと肝に銘じて行く事にしたい。

20111221新宿御苑 060A希望の光を新宿御苑から眺めた


  1. 2012/01/01(日) 15:41:00|
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nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国

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