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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

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映画「ローマの休日」 Roman Holiday

こういう会話が出来る女性が好きというお話です。映画「ローマの休日」でアン王女がアパートの部屋でパジャマに着替える場面で、次のような会話がなされていた、

ANN: Can I have a silk nightgown with rosebuds on it?
JOE: I'm afraid you'll have to rough it tonight - in there.
ANN: Pajamas!
JOE: Sorry, honey, but I haven't worn a nightgown in years.
ANN: Will you help me get undressed, please?
JOE: Er...okay, Er, there you are. You can handle the rest.
ANN: May I have some?
JOE: No! Now look...

ANN: This is very unusual. I've never been alone with a man before, even
with my doress on. With my dress off, it's most unusual.
Hm, I don't seem to mind. Do you?
JOE: I think I'll go out for a cup of coffee.
ANN: Hm.

際どいセリフが交わされる場面ではあるが、映画の設定では何も起こらなかったようである。

昨今はストレートな会話ばかりで嫌になっていた筆者ではあるが、例え映画の中の世界の出来事であるとしても一服の清涼剤となるこのシーンでの言葉のやりとりにすっかりまいってしまっている自分を発見している次第である。
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  1. 2012/07/28(土) 23:54:58|
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イギリス詩 Poems written by British

映画「ローマの休日」(Roman Holiday)でアン王女が新聞記者ジョーの部屋でカウチで寝ることになる場面で、次のようなセリフがある。

ANN: Do you know my favorite poem?
JOE: Ah, you've already recited that for me.
ANN: Arethusa arose, from her couch of snows, in the Akraceronian Mountains. Keats.
JOE: Shelley.
ANN: Keats.

『Arethusa』の作者をアンはKeatsと勘違いしているが、ジョーが言うShellyが正しい。2人とも19世紀イギリス・ロマン派を代表する詩人。

このような会話に詩が使われているのが実に印象的で、しゃれている。このシーンの前でもアン王女が路上で寝ているところで、詩を口にする場面があり、ジョーがそれを聞いて「教養もあって身なりのいい女性が路上で寝ているなんて!」とびっくりする。
と言うことで、映画で重要な役割を演じているイギリス詩に興味を持ってしまった。英詩を味わうには韻律法を知らなくてはならない、『イギリス詩を学ぶ人のために』という本に、韻律法(prosody)についてという章がある。ちょっと長くなるが以下にその章の1部を引用させていただく、

精神の高揚感を覚えてそれを口にするとき、その表現にはいつもと異なるリズムが備わっていることに気づく。それは言語に固有の特性によって異なり、例えば、日本語では、和歌における五七五七七という、音節の数を整える(syllable-counting)ことで生ずる拍子となり、また、西洋古典語による詩においては、シラブルの示す音量(quantity)の長短の組み合わせによるのだが、英語にあっては、これがアクセントの強弱の繰り返しによって生ずる。アクセントが相対的に弱い音節と相対的に強い音節が交互に反復され、この一文を口にすれば自然と舌に心地よく響く。この「舌の快楽」は、詩を味読する上でまず体得しなければならない、第一の要件である。
詩の示す心地よいリズムの実際の動きは意外なまでに多様で、強弱の繰り返しという単純な図式に常に完全に一致するわけではない。後者の定式化された反復の形式はmeter(韻律)と呼ばれるが、これは現実に感じられるリズムそのものとは厳密に区別されなければならない。meterは、語源がギリシャ語で「はかり(measure)」を意味する言葉にまで遡ることから伺える通り、抽象化されたパターンんに過ぎず、現実のリズムとmeterとは不即不離の関係にありながら、両者の間には常に常に現実と理想の間にあるが如き緊張関係(tension)があると考えられる。
韻律法(prosody)は、狭義においては、このmeterのあり方の解明に他ならず、更に一般的には、作詩法全般をも意味する。それ故、韻律法とは、meterを手掛かりとして、形式面から詩を解明しようとする試みであると言えるだろう。

英詩におけるmeterは基本的に、
(1) 弱強調(iambic)
(2) 強弱調 (trochaic)
の二種類に大別され、古典詩学の用語を転用して、それぞれ、iambic(meter), trochaic(meter)と呼ばれる。

他に、三音節からなる。
(3) 弱弱強調 (anapaestic)
(4) 強弱弱長 (dactylic)
も現れるが、比較的少なく、どちらも(1)、(2)にそれぞれ余分な弱音が一つ加わっただけの変種とみなすことが出来る。それほどまでに(1)、(2)が用いられ、特にblank verseやsonnetなど、英詩においてpopularな詩形では、ほとんどがiambic調であると言っても過言ではない。

それではアン王女が口にしたShelleyのArethusaを以下に記すので声に出して読んで見て下さい。

Arethusa

Arethusa arose
From her couch of snows
In the Acroceraunian Mountains, -
From cloud and from crag,
With many a jag,
Shepherding her bright fountains.
She leapt down the rocks
With her rainbow locks
Streaming among the streams; -
Her steps paved with green
The downward ravine
Which slopes to the western gleams;
And gliding and springing
She went, ever singing,
In murmurs as soft as sleep;
The earth seemed to love her,
And heaven smiled above her,
As she lingered towards the deep.

-Percy Bysshe Shelley
  1. 2012/07/26(木) 00:20:12|
  2. 文学
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湯島聖堂 Yusima-Seido (Shrine of Confucius and the site of Shoheizaka College)

学校の歴史の教科書にも登場する「湯島聖堂・昌平坂学問所」、日本人でその名称を知らない人はいないぐらい有名であるが、何故か筆者は訪れた事がなかった。JR御茶ノ水駅の目の前にある好立地にもかかわらずこの歳になるまで一度も訪れた事がないことに気づき、先日鍬形蕙斎の本を買いに芸艸堂に行った帰りに目の前に湯島聖堂があることを知って立寄ってきた。

以下、ウィキペディアからの引用もさせていただきつつ「湯島聖堂」のおさらいをして見たい。

1690年(元禄3年)、林羅山が上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営し、将軍綱吉がこれを「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆した。またそれに付属する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めた。1797年(寛政9年)林家の私塾が、林家の手を離れて幕府の官立の昌平坂学問所となる。これは「昌平黌(しょうへいこう)」とも呼ばれる。「昌平」とは、孔子が生まれた村の名前で、そこからとって「孔子の諸説、儒学を教える学校」の名前とし、それがこの地の地名にもなった。これ以降、聖堂とは、湯島聖堂の中でも大成殿のみを指すようになる。

教育・研究機関としての昌平坂学問所は、幕府天文方の流れを汲む開成所、種痘所の流れを汲む医学所と併せて、後の東京大学へ連なる系譜上に載せることができるほか、この地に設立された東京師範学校(現在の筑波大学)や東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学) の源流ともなったことから、近代教育の発祥の地ともいえる場所である。

1799年(寛政11年)には長年荒廃していた湯島聖堂の大改築が完成し、敷地面積は1万2千坪から1万6千坪余りとなり、大成殿の建物も水戸の孔子廟にならい創建時の2.5倍規模の黒塗りの建物に改められた。この大成殿は明治以降も残っていた。1922年には敷地が国の史跡に指定されたが、翌1923年(大正12年)の関東大震災で入徳門と水屋以外の建物が焼失し、現在の大成殿は伊東忠太設計、大林組施工により、1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。これは、寛政年間の旧制をもとに再建したものである。

明治以降、湯島聖堂の構内に文部省、国立博物館(現在の東京国立博物館及び国立科学博物館)、東京師範学校(東京教育大学を経た現在の筑波大学)及びその附属学校(現在の筑波大学附属小学校及び筑波大学附属中学校・高等学校)、東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)及びその附属学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・高等学校)が一時同居していたことがある。

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  1. 2012/07/24(火) 11:09:50|
  2. 歴史
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またまたCherry Spice  Cherry Spice Live at Turuma Pretty Woman

またまたCherry Spiceで申し訳ありません。でもCherry Spiceがお気に入りで行かずにはいられないのです。Cherry SpiceのPretty Womenに会いたくて行っているんじゃないかと向こう正面からちゃちゃを入れられそうですが、もちろん全面否定はしませんが・きっぱり・音楽が聞きたくて行っているのです。
18日のライブはなんと超が付く満員状態で、立ち見客が出るほどでした。今までも観客数に関係なく全力で良い演奏を聞かせてくれていたのですが、流石に満員の客のパワーを貰ったせいかいつもに増して力の入った演奏となり最高のライブになりました。定番のナンバー「恐怖の叫び」は私には「狂喜の叫び」に聞こえたほどでした。
BCVというバンドでギターを弾いている弱冠15歳の「こうへい君」が観客で来ていて請われて飛び入りでゲスト出演してくれて、「ダイヤモンドヘッド」と「ブルースター」の2曲を披露してくれましたが、とても15歳とは思えない落ち着いた弾き方で、テクニックもしっかりしていて嬉しい驚きでした。演奏後、Cherry Spiceのメンバーから賞賛の声と共に「あの高校生とは思えないタメはどこから出てきたんだ!」と云う声が聞かれました。
私はアメリカからの友人があり行けませんが、Cherry Spiceは明日22日夕方に津久井浜の「Blue Moon」でライブです。噂によるとCherry Spiceはハワイアンコスチュームだそうで、滅多にお目にかかれないHARUKAさんのスカート姿がみれるとか・・・・・
22日はこうへい君の所属するバンドBCVのライブもあるそうで、場所は横浜線十日市場駅にある「LiveCafe2000」だそうです。もちろん演奏される曲はVenturesです。


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普段は前のほうの席は空いていてお客さんが写り込むことはないが、この日はさすがにお客さんを避けて撮ることは無理だった。
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Cherry Spice名物の二人のギターの掛け合いも熱の入り方が違っていた。

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ゲスト出演の「こうへい君」。

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キャラバンのドラムソロは圧巻でした。
  1. 2012/07/21(土) 16:14:51|
  2. 音楽
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第10回全日本自動車ショー(その2) The 10th Tokyo Motor Show

第10回全日本自動車ショー(その2)として、当時の会場に展示された車たちを紹介する。
一番目の写真は当時は未だ乗用車も作っていた日野自動車のコンテッサS、第1回日本グランプリ出場車をベースにしたコンテッサのスポーティ版。1964年にONEランク上のコンテッサ1300が発売されたので区別の為にコンテッサ900と呼ばれるようになった。
2番目はこのショーで発表されて翌年市販化された三菱の最高級乗用車デボネア。この車はモデルチェンジの激しい自動車業界にあっては奇跡とも言える長寿車で1986年までほとんどそのままの姿で生産・市販し続けた、
3番目はトヨタのパブリカ・コンバーチブル。ショーでお目見えして即市販化された。それまでは自動車のバリエーションはスタンダードとデラックスの2本立てであったが、この年くらいからコンバーチブルやスポーツやGTなど多彩な車種展開がなされるようになっていった。
4番目は日産のフェアレディ1500.国産車としては数少ない海外市場で成功した車がこのフェアレディで、それを誇示するようなディスプレイと共に外人のモデルを使っていた。
5番目はスズキのスズライト・フロンテ800.前年のショーで参考出品された4ドアーセダンをバースに洗練されたデザインの2ドアーセダンとして登場したが、翌年も同じ姿で参考出品に留まり、スズキフロンテ800として市販化されたのは1965年12月だった。今ではスズキはSWIFTが大成功して小型乗用車の分野でも大活躍しているが、その嚆矢がこのスズライト・フロンテ800である。
ちなみに筆者はBMWの2002にも共通するグラスエリアの多い2ドアーセダンのスタイルが結構気に入っていて、ショー会場できになるモデルの一つでもあった。


コンテッサ

デボネア

パブリカ

フェアレディ

フロンテ
  1. 2012/07/21(土) 08:18:07|
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第10回全日本自動車ショー(その1) The 10th Tokyo Motor Show

1963年10月~11月「10日に東京・晴海で開催された第10回全日本自動車ショーの時に撮影した写真をご紹介する。このショーは第11回からは英文名と同じく東京モーターショーとなり、全日本自動車ショーの呼称はこの年が最後であった。
乗物好き少年であった筆者は、鉄道のほか車も大好きで毎年開催される自動車ショーには同好の友人達と連れ立った行くのが楽しみだった。
このショーで車好きの友人の心を射止めた車が披露され、翌年1964年に市販されている。名前はトヨタ・クラウンエイトで90度V形8気筒OHV2599ccエンジンを搭載しており、横幅1845mmは当時として異様な大きな横幅だった。「いつかクラウン」と言うのがトヨタの宣伝文句であるが、友人のK君はこの車を見て以来「いつかクラウンエイト」が口癖になっていた。
この年のショーの訪問日は11月10日(日曜)であると思っているが、とにかく休日のショー会場は人・人・人で溢れており、とてもまともに写真を撮る事ができず、ご紹介する写真もまともに撮れたものは限られている事をお断りしておく。


トヨタC
トヨタの展示スペースを俯瞰した写真。見ての通り黒山の人だかりで展示台に近付くのも大変なら、近付いても標準レンズでは近すぎて車全体を写すのが難しかった。
ホンダA
ホンダの展示台。展示車は1963年から発売開始されたホンダ・スポーツ500.
プリンスB
プリンスA
近すぎて全体のプロポーションがわからないと思うが、これがこのショーで一番の人気だった「プリンス1800スプリント」。

ベレット1500GT
ユーミンの「中央フリーウェイ」にも歌われているベレGことべレット1500GTがデビューしたのもこのショーだった。参考出品という形での展示だったが、ほぼこのままの姿で翌1964年に市販化されている。
スカG(プリンス・スカイラインGT)・ヨタハチ(トヨタ・スポーツ800)・エスハチ(ホンダ・S800)等の略称が車好きの間の会話で飛び交っていたのが1960年代の車シーンだったと思う。
  1. 2012/07/17(火) 10:54:08|
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バックトウーザ昭和の鉄道世界(その9)  Back to the Railway World of 60's & 70's

昭和の鉄道世界(その9)は昭和38年11月の有楽町駅での写真をお見せしたい。
1番目の写真は東海道線下り線を走るEF58牽引の九州夜行急行「高千穂」。実は撮影メモがあるわけではなく、撮影された列車名は推測である。晴海で開催された第10回全日本自動車ショーの帰りに撮影しているので午後の列車であることは確か、そしてEF58163の後に続く郵便車や荷物車と1等車・寝台車の編成組成は典型的な九州方面行きの夜行急行列車の編成であり、午後の九州夜行急行は東京12:30発の「雲仙・西海」と14:35発の「高千穂」の2本しかない。12:30発を撮るなら晴海の自動車ショー会場を12時以前に出ていなくてはならず、それはありえないので、晴海を1時以降に出て有楽町には2時半頃に到着していたと見るのが一番妥当な線で、この列車は急行「高千穂」で間違いないと判断した。
2番目の写真は山手線内周りの101系を後追いで撮影している。背景のビルは読売会館で、当時は「有楽町そごう」が入っていた。「有楽町そごう」は1957年に開店して2000年9月に閉店となっていて、現在はビックカメラ有楽町店となっているが、「有楽町そごう」は開店に際して<有楽町で逢いましょう>のキャッチフレーズを作って流行らせたことでも知られている、また入り口に設置されたエアーカーテンも画期的で筆者はわざわざ体験しに行った想い出がある。
現在でも「横浜そごう」など「そごう」を名乗るデパートは全国で10店舗あるが、2000年の経営破綻後最終的にはセブンアイホールディングスの100%の子会社となっている。 西武百貨店・そごう共に名前は残っているが経営実態はセブンアイホールディングスの手にあり名実共に昔のまま残っているわけではない。


有楽町19
有楽町20
  1. 2012/07/16(月) 22:37:56|
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バックトウーザ昭和の鉄道世界(その8)  Back to the Railway World of 60's & 70's

昭和の鉄道世界(その8)は昭和38年(1963)11月の田町電車区・品川・浜松町での写真をお見せする。当時は中央線に続いて山手線にも新性能電車101系が走るようになったところで、その101系の運転台越しに車内から撮影した画像で当時の鉄道世界を紹介させていただく。
最初の写真は、山手線外周り電車の運転台越しに見た浜松町駅到着寸前の光景、山手内周りの101系と京浜東北北行73系(先頭車は全金属のクモハ73)。山手線には最初は101系が投入されたが、駅間が短い山手線には101系の走行性能が合わないとの事で103系を設計して投入する事になった経緯がある。73系は悪評だった63系の更新修繕で誕生した車両だが、その後再度の大改造が行われて全金属車として生まれ変わって誕生したのが写真のクモハ73.
2番目の写真は田町駅を出て左手に田町電車区が見えるようになったところで撮影したもの。当時の電車区は全盛期で直流形電車の最新鋭が揃って配置されていた。一番右に見えるのが165系(急行用東海形電車153系の勾配路線版)、その次は何故か本来の配置車ではない101系が、その次は電柱が邪魔しているがひげが見えているので161系(151系こだま形特急電車の上越・信越・中央線などの勾配路線用版)と判断、その次は中間車しか見えないが151系(乗物絵本の主役だった「こだま」形特急電車)、その次に2本並んで見えているのは153系(急行用東海形電車)。写真には見えてないが、155系(修学旅行専用電車)や157系(日光形電車)も配置されていて国鉄の花形電車区だった。
3番目の写真は品川駅進入直前の写真で外周り線と内周り線の間の留置線に品川止まりの電車がいる。当時は山手線の電車区は池袋と品川にあり、品川止まりの電車も結構あった。
4番目の写真は品川駅停車中の写真で、右の奥に品川電車区が見えている。目前に見えるポイント(分岐器)は品川電車区へ出入りするためのもので、右手に見える101系は電車区の留置線の電車。左手に見えるのは品川駅に進入する京浜東北の北行き電車クハ79を先頭にした73系。

浜松町22


田町電車区223

品川24

品川25
  1. 2012/07/13(金) 09:47:10|
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鍬形蕙斎「源氏絵」より Ukiyoe artist KUWAGATA KEISAI

鍬形蕙斎が人物略画式・鳥獣略画式の他にも少なからず略画式の著作があることは知っていたが、「源氏絵」と云う略画式があることは芸艸堂で手摺木版はがきで見かけるまで知らなかった。ウィキペディアで鍬形蕙斎の著作物がどこの博物館・美術館に所蔵されているかは確認できていたが、この源氏絵については、その存在すら知ることなく、ましてどこの美術館にあるのかを知ることは叶わないわけなのである。
芸艸堂の手摺木版はがきで頒布されている鍬形蕙斎の「源氏絵」はわずか10数枚なので、「源氏絵」の全貌がどのようなものなのか興味がつきることがない。
物事すべてに言えることではあるが、単純化して表現することの難しさをイヤと言うほど味わってきた筆者としては、略画式で見せる鍬形蕙斎の天才にただただ脱帽するのみである。単純な線が実に見事にすべてを代表して表されている、線が生きているとはこのことではないかと思う。凡人にはその良さは評価できても、マネは出来ないのである。


鍬形けいさい002A
  1. 2012/07/12(木) 11:04:34|
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鍬形蕙斎「人物略画式」・「鳥獣略画式」

前にご紹介させていただいていた鍬形蕙斎の「人物略画式」・「鳥獣略画式」が和綴じ豆本として京都の出版社「芸艸堂」(UNSODO)から復刊されているのを知り購入してきた。
「芸艸堂」は手摺木版の書籍を刊行している日本で唯一の出版社。残念ながら、この豆本は手摺ではなく印刷仕上げであるが、製本は京都の経師という和本職人によって<四つ目綴じ>という和綴じに寄っており、その丁寧な製本は和製アーティストブックとも言えるものである。
略筆の天才と言われた蕙斎の巧妙な筆致で描かれた人物や動物のカットはいくら眺めていても見飽きない。動きのあるカットは実に生き生きとしていて、見ていて感心させられることしきりであった。

また御店で、鍬形蕙斎の「源氏絵」の手摺木版はがきが売られているのを見つけて5枚ほど購入した。蛍・真木柱・絵合・梅枝・朝顔の5種類であるが、どれも蕙斎の略画式の手法で描かれておりすばらしい出来で、はがきとして使うのはしのびないので多分私のコレクションになることは間違いない。


鍬形けいさい001A

  1. 2012/07/11(水) 23:52:48|
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バックトウーザ昭和の鉄道世界(その7)  Back to the Railway World of 60's & 70's

昭和の鉄道世界(その7)は、昭和38年11月(1963年)の東急・東横線中目黒駅付近での写真をお見せしたい。当時の営団地下鉄日比谷線の乗り入れ工事中の頃で、下り線ホームが完成して使用開始になっているが、上り線ホームは昔のままで旧ホームと新ホームの位置の違いもわかる写真がある。新ホームは山手通り(環状6号線)を跨ぐように設置されたが旧ホームは山手通りの西側にあった。相対式ホーム2面2線から島式ホーム2面4線になり、内側2線を日比谷線が外側2線を東横線が使う設計だった。
日比谷線が全線開通して東横線との相互乗り入れが始まったのは昭和39年(1964年)8月のことだった。

中目黒27
下り電車の運転室窓越しに見た新旧中目黒駅。旧中目黒駅(上りホーム)は新中目黒駅(下りホーム)より祐天寺寄りにあるのが良くわかる。手前にある鉄橋は目黒川に架かる鉄橋である。

中目黒31
旧中目黒駅を出て渋谷へ向かう5000系上り電車が見える。

中目黒26
代官山のトンネルを出た下り電車から中目黒方面を見た光景。右の掘割が日比谷線が地下から地上へ出る部分で東横線の上下線がこの時点では並行しているが工事完了時には上り線は日比谷線を挟んで掘割の右側にある擁壁の上横へ移ることになっている。

  1. 2012/07/10(火) 10:58:12|
  2. 昭和の鉄道世界
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品川駅車両基地 Shinagawa train depot

新聞などでも報道されているのでご存知の方も多いと思うが、田町車両センター(元の東京機関区+品川客車区+田町電車区)を縮小して広大な跡地に新駅を設置してそれを中心に再開発する計画があり既に工事が始まっている。
東京駅で東海道線の列車に乗り運転席の後ろから眺めていると、田町駅を過ぎて間もなく上り線が右手に離れて行くと田町電車区の留置線が右手に現れ、程なく東京機関区が右手に見えてブルトレ牽引の電気機関車の待機しているのが眺められた、そして品川駅進入直前には品川客車区の留置線が沢山現れてブルトレ全盛期には沢山のブルトレの列車が並んで整備点検や洗浄を受けていた。そして東海道新幹線開業後もしばらく残っていた九州方面行き夜行列車が走っていた時代にはブルトレ以外の客車も沢山留置されていた品川客車区は活気と車両で溢れんばかりであった。
そんな品川駅車両基地が今大きく変わる事になったのは、ブルトレの廃止と東北縦貫線の開通(2013年予定)が大きく関わっている。ブルトレの廃止に伴い広大な元品川客車区の留置線にはサンライズ瀬戸・出雲だけが昼間の整備点検で止まっているのみの寂しい光景が最近の状況で、東京機関区はブルトレの廃止後ほど無くして更地になってしまった。東北縦貫線の開通によって尾久車両センターと直結することになるので東海道線を走る車両の基地は尾久に集約することになり、逆に東京駅まで乗り入れてくる高崎線・宇都宮線や常磐線の電車の折り返し留置線の車両基地として田町車両センターは縮小して残るが、その規模は小さくて良いので昔の秋葉原駅隣の折り返し留置線的なものとなるのだろう。
そして昨日訪れた田町車両センターは更に大きく変化していた。元の品川客車区に相変わらずサンライズ瀬戸・出雲がいるのは変わらないが、沢山あった留置線はほとんど取り払われていて更地となり再開発の工事が始まっていた。品川駅もホームの改良工事がなされている最中で、臨時ホームの1部(10番線)が湘南ライナー専用ホームになったり、11番・12番線(東海道線下り)ホームの改良工事も進行中である。


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東海道線上りホームから見た元品川客車区。
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サンライズ瀬戸・出雲の留置スペース以外は取り払われて、昔の広大な品川客車区の留置線群は過去のものとなった。ここにずらりとブルートレインが並んでいた光景は記憶の中でしか見ることはできない、
栄枯盛衰、平家物語の出だしの言葉が写真を撮る私の頭の中に浮かんで来た,

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
  1. 2012/07/08(日) 10:43:24|
  2. 鉄道
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久し振りの秋葉原で見つけたトランジスターラジオ

「トランジスターラジオ」と云っても「何?」と思う方も多いことだろう。私の中学時代はラジオといえば大きな真空管ラジオのことを指していた。それに対してトランジスターを用いた小さなラジオをトランジスターラジオと呼んで憧れのアイテムとなっていた。それまでの真空管ラジオは家族みんなで聞くものだったが、トランジスターラジオは個人のものとなり、私の勉強机に置かれてラジオ受験講座やヒットパレードそして深夜番組に耳を傾ける対象がトランジスターラジオであった。
高校時代は鉄道模型のパワーパックの制作や好きなオーディオのスピーカー作りやアンプ作りの為に秋葉原には良くでかけた。「ラジオストアー」や「ラジオ会館」はそんな私にとっては秘密基地のようなもので大変お世話になったものだった。本日、ヘッドフォンのジャックを買いに久し振りにラジオストアーへ出かけた。お目当てのジャックは難なく手に入れて、久し振りのラジオストアー内を覗いて歩いていると、2階の階段に昭和の懐かしいアイテムがあるとのお誘いの案内に惹かれて2階へと歩を進めた。そこで見つけたのが真空管ラジオやトランジスターラジオの群れだった。そしてナント見慣れたトランジスターラジオがそこにあるではないか。それは私が両親に誕生日プレゼントで買ってもらったSONYのトランジスターラジオで、完動品ということで23000円の正札がついていた。

20120707秋葉原&渋谷 003A
店の親父さんの許可を取って撮影した私の愛機だったトランジスターラジオ。懐かしい赤とアイボリーのボディー、右上の隅に付いているダイヤルを回してチューニングとボリューム調整をするようになっている、私の愛機はすでに廃品回収に出されて手元にないが、こんな形でお目にかかるとは思わなかった。値段が1万円以下だったら買ってしまっていたかもしれない。

20120707秋葉原&渋谷 007A
私が思わず誘いこまれてしまった案内板「元電気少年達集まれ」・「懐かしい昭和の店」がある階段部分。

20120707秋葉原&渋谷 012A
電気少年達のあこがれの聖地だった「RADIO STORE入口」の案内板も周辺の近代的なビルに挟まれて肩身が狭い。

20120707秋葉原&渋谷 010A
ラジオストアーに並ぶ電気少年の聖地「ラジオ会館」も未だ元気に頑張っている。今度は御茶ノ水寄りにある「鈴蘭堂」(シャーシの専門店)が健在かどうか確認しに行こう。

20120707秋葉原&渋谷 013A
この猥雑な露地の雰囲気がラジオストアーなのである。
  1. 2012/07/07(土) 23:18:45|
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浴衣でベンチャーズ Cherry Spice Live at Pretty Woman

6月18日のライブをミスしてしまったので1ヶ月ぶりに鶴間のライブハウスPretty WomanにCherry Spiceを聞きに行ってきた。
今回は夏バージョンと云うことで全員浴衣姿での演奏となったので、演奏を聞きに行ったのと浴衣姿の演奏を見に行ったのとの2本立て。
前回初めてCherry Spiceを聞きに行ってすっかり嵌まってしまったが、2回目の今回も期待通りの素晴らしい演奏だった。残念ながら音の報告はブログでは出来ないので画像で浴衣姿の報告だけをさせていただく。エレキと浴衣の取り合わせは一見ミスマッチかと思ったがそんなことはなく、夏ムードを盛り上げてくれて最高のエレキサウンドを楽しませてもらった。もともと美人揃いの文字通りPrettyWomanの彼女達ゆえ、浴衣の艶姿にうっとりさせられたのは当然のことであるが、実はリズムギターのYagyuちゃんの「男の浴衣姿」が予想外に決まっていて見直してしまった。今回のYagyuちゃんは演奏も光っていて、これまた見直をさせられてしまった。
「シークレットエージェントマン」ではインスト主体のCherry Spiceが珍しくもVocalを披露してくれた。

今月はPretty WomanでのCherry Spiceのライブは2回予定されていて、次回は7月18日(水耀)。 さらに嬉しいことにMUSIC CHARGE無料のライブが三浦半島の南端で予定されています。

ELEKI-NIGHT
7月22日(日曜) 17:00 第一部スタート 18:00 第二部スタート
場所: 三浦BlueMoon 横須賀市津久井1-4-7 TEL:046-847-2330


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Pretty Womanのネオンに誘われてはるばる鶴間まで来てしまった。

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浴衣でベンチャーズ!、日本ならではの贅沢なベンチャーズの聞き方。

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「シークレットエージェントマン」の歌声が聞こえてきませんか?

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Yagyuちゃんの浴衣姿がとても素敵で好印象。

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艶姿ギター弾き、うーん様になっている。

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浴衣でベース、可愛いですね。癖になりそう・・・

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浴衣でドラムと密かに心配してしまったが、そこは大和なでしこ七変化、しっかり防衛戦略が計られていてパワフルなドラムを浴衣の裾を気にすることなく叩けるようになっていた。浴衣のSakiちゃんの新たな魅力を発見させてもらった。
  1. 2012/07/05(木) 18:28:45|
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国
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