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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

東京駅散策

1914年(大正3年)12月に開業した東京駅が戦災で仮復旧されて2階建てになっていたのが、開業当初の3階建ての姿になって復元完成したのが昨年2012年10月である。それ以来東京駅は新たな観光スポットとして注目を集めるところとなっている。先日大学のOB会でガイド付きで東京駅散策を行ったので、その報告を兼ねてのルポをお送りする。

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東京駅を眺める絶好のスポットがいくつかあるが、これはそのうちの一つ新丸ビル7Fのテラスから眺めた写真である。
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丸ビル5Fのテラスから撮った東京駅。新丸ビル7Fのテラスがビル全体の間口なのに対して丸ビル5Fのテラスの間口は狭くて撮れる角度が制約される。
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丸の内南口のドームを中から見上げた写真。鷲のレリーフや十二支のレリーフが見える。ドームの構造上東西南北には十二支が飾れなくなっている為に東西南北を示す4支(卯・酉・午・子)が無い。そして東京駅を手掛けた建築家「辰野金吾」が手掛けた武雄温泉楼門に4支(卯・酉・午・子)のレリーフがあることが最近分かった。
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南口ホールにある原敬首相遭難現場。1921年(大正10年)原首相がここで短刀で刺されて即死している。

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浜口首相遭難現場。1930年(昭和5年)に東京駅第4ホームを歩いて特急「燕」に乗ろうとしていた浜口雄幸首相が暴漢に短銃で撃たれて負傷し、その1年後に亡くなっている。遭難場所はホームであるがそれに該当する地点は新幹線の中央乗換口付近ということでその場所に説明板と標がある。

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このホーム案内表示でお気づきのように、東京駅には11番線・12番線・13番線がない。ガイドの方は
「無い!」という説明だけで理由はわからないとのことだった。私なりに無い理由を考えて見た。
1964年の東海道新幹線開通の時には東京駅には1番線から19番線まであった。1から16番線までを在来線が使い17~19番線までを新幹線が使った。ただし11番線と16番線は機関車を付け替えるための機回し線だったのでホームには面してない線路だけの番線。その後新幹線が4線になった時に1から15番線が在来線、16から19番線が新幹線となり16番線は機回し線からホームに面した新幹線用の番線に昇格した。
その後も新幹線ホームの需要増で在来線ホームの新幹線ホームへの転換が進んだ。そして1~10番線が在来線、12から13番線が東北新幹線、14番線から19番線が東海道新幹線となり、この時点で11番線の機回し線が廃止されたが欠番処理となり新幹線の番線の繰り上げ変更はされなかった。
これで11番線がない理由が判明した。
次の番線変更は東北新幹線のホーム増設時に起きた。当初JR東日本はJR東海に対して東海道新幹線の14・15番線の共用を申し出たが断られて、自前でホームを増設する必要に迫られたがこれ以上在来線ホームを新幹線ホームにすることはできないので、苦肉の策として1・2番線の中央線ホームを2階に上げて空いた旧中央線ホームに3・4番線(京浜東北北行・山手内回り)をもってきて順番に番線をずらして空いた東海道線の9・10番ホームの位置に東北新幹線のホームを作った。しかしホームはやりくりできたが番線は従来通り1から10番線までを在来線が使うので、本来なら10・11番線と命名したい東北新幹線の増設ホームの番線設定で困ったことになった。もし分割民営化前の国鉄時代なら、新幹線のホームは東北新幹線・東海道新幹線ともに番線の一括管理して番線名の変更ができた筈だが、今は会社が異なり無理となり、従来の東北新幹線の12番線・13番線を捨てて、新たに連番がつけられる20番から23番線を東北新幹線用にあてた。これが12番線・13番線の無くなった理由であると筆者は推理する。
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  1. 2013/05/31(金) 11:45:22|
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<昭和の鉄道世界 その19> 「足尾線」

昭和の鉄道世界は昭和45年2月23日に撮影した国鉄・足尾線(現在の「わたらせ渓谷鐡道」)をお送りする。
国鉄足尾線は1987年の分割民営化によりJR足尾線となったが、既に足尾銅山が閉山となり貨物輸送が命であった足尾線は典型的な赤字路線となっていた。そして国鉄の再建計画に基づき廃止路線のリストにあげられていた足尾線は第三セクター「わたらせ渓谷鐡道」として1989年に再出発をしている。
昭和45年2月23日に足尾線を訪問するきっかけとなったのは、日鉄鉱業・羽鶴専用線の1080号機です。当時すでにDLの予備機になっていた1080号機は現場の熱意で検査が継続されて動ける状態で保存され年に数回動いていたのですが、2月22日に動くという情報を私の鉄友がもたらしてくれて足尾線訪問の前日に日鉄鉱業葛生鉱業所・羽鶴専用線を訪れて久しぶりに貨物列車の先頭に立つ姿をカメラに収めたのでした。

ところでお詫びしなくてはならないのですが、これらの足尾線のC12がけん引する貨物列車を足尾線のどこで撮影したかがわかりません。当時筆者は撮影時に全くメモをとらず今となっては後悔しております。つたない記憶では現在は草木ダムの完成と共に水没してしまった、旧足尾線の神土(現在の神戸)~草木(現在は廃止)~沢入のどこかではないかと思ってます。ダムの完成と共に作られた草木隧道(全長5242mのトンネル)を経由して現在のわたらせ渓谷鐡道は神戸と沢入を結んで走ってますが、撮影当時は渓谷に沿って走る風光明媚なエリアで絶好の撮影ポイントであったように覚えていますが、さだかではありません。

足尾線001A
足尾線004A
足尾線002A
撮影場所は神土駅(わたらせ渓谷鐡道発足時に神戸に駅名改称)ではないかと思うが、確信はない。
足尾線003A
足尾線005A

  1. 2013/05/21(火) 09:09:43|
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鉄道標識 『勾配標』

鉄道標識の一つに『勾配標』がある。名前の通りに鉄道の線路の勾配つまり「傾き」を表している。傾きであるが単位は角度を現す「度」ではない、パーミルという千分率の数字で表す、例えば日本一の急勾配として有名だった信越線の碓氷峠の66.7‰(パーミル)が有名である。1000mで66.7m上っているという単位である。鉄道線路にとってはとても重要な情報である線路の勾配を表しているのが勾配標で、電車に乗って線路端を観察すれば必ず目にするはずである。運転士から読み易いように、通常は線路に対して直角に建植されている標識であるが場所の制約から線路に対して平行に建植されている勾配標もある。写真で紹介するのはそんな珍しい例である東京駅6番線(京浜東北南行線)にある勾配標である。ここから左側は水平(つまり平坦)なので英語のLEVELを示す「L]が表示され、右側はここからは0.6‰の下り勾配が始まっていることを表している。

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京浜東北線の勾配標。奥の一段高い線路端に見えるのは東海道線用のゼロキロポスト(東海道線の始点を表す)
  1. 2013/05/14(火) 21:16:26|
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高輪消防署・二本榎出張所

昭和8年12月に落成した高輪消防署(現在は二本榎出張所)は、近代建築の遺産(ドイツ表現主義)として、学術的、文化的にも貴重な建築物で、平成22年3月に「東京都選定歴史的建造物」に選定されています。
昔の消防署は組織上は警察に属していたようで、最初は「内務省警視局消防本署の第二消防署二本榎派出所」として明治41年7月に発足、そして昭和8年現在の庁舎が落成して「高輪消防署」に昇格。そして昭和59年10月に高輪消防署の本署が港区白金2丁目に移転して、ここは二本榎出張所となった。
この出張所は海抜25mの位置にあり、新築当時は周囲に高い建物が無く、東京湾を眼下に眺望できたことから、「岸壁上の灯台」とか「海原を行く軍艦」と評されていたようだ。

3階の円形講堂は公開されていて、1階の受付で見学を申し出ると案内の係員をつけて案内してもらえるようになっています。しかし、6階?の望楼は急な階段を上がって行かなくてはならず、危険なので一般には公開されてない。

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円形講堂。8本の梁が中心に集まり、10個の窓部アーチと一体になった独特の意匠。第一大戦後「ドイツ表現派」というデザインで、曲線や局面をモチーフにして力強く流れる躍動感のある設計が特徴。
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落成時から設置されていた停電用の照明「アールヌーボー風のガス灯」
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船の明かりとり窓のような形をした窓、これもドイツ表現主義なのだろうか。
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2階から見た階段、左の階段は3階の円形講堂へ昇る階段で、右の階段は1階の受付ロービーへ降りる階段。
  1. 2013/05/10(金) 10:37:54|
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<昭和の鉄道世界 その18> 1965年の東京モノレール

東京モノレールは昭和39年(1964年)9月17日に浜松町と羽田(1993年にルート変更されて今の羽田空港第一ビル駅に場所移転)を結ぶ鉄道として開業している。当初は中間駅が無かったが8ヶ月後の昭和40年(1965年)5月に大井競馬場前駅が誕生し、昭和42年(1967年)に羽田整備場(現在の整備場駅)が誕生している。
筆者はモノレール開業の時にも行って撮影をしているが、その時のネガが見つからないので、今回ご紹介するのは1965年の7月に大井競馬場前駅で撮影したモノレールの写真である。

ところで、東京モノレールは開業後3年目に日立運輸東京モノレールに会社名称が変わっている。なぜ日立グループが鉄道経営を?と疑問に思う向きがあるかも知れないが、そこには日立がドイツ・アルウェーグ社と技術提携して開発した日本跨座式モノレールを成功させたいという意思が表れているのである。そのことの説明がYAHOOの知恵袋の回答に詳しく解説されていたので下記に引用させていただく。

ーーーーーーーーーーーYAHOO知恵袋より引用ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日立グループが東京モノレールを経営するに至ったというよりも、日立製作所がドイツALWEG社との技術提携で開発した日立-ALWEG式モノレールをPRするために、新橋~羽田間の路線免許を持っていた日本高架電鉄に接近し、経営権を握ることで日立-ALWEG式モノレールを建設したわけです。日立は鉄道経営の素人でしたので、すでに日立-ALWEG式モノレールを採用していた名鉄に支援を求め、業績拡大のために東京進出を計画していた名鉄がその誘いにのって東京モノレールに出資したわけです。ただ、東京モノレールは経営的には大失敗で、大赤字。札束をばら撒きながら走っているような状況になり、名鉄はあまりの惨状に耐えかねて、資本を引き上げ、出向者も戻しました。日立は初の本格的モノレールを失敗させると、今度の売り込みに支障となる事を恐れ、傘下の日立運輸と西部日立運輸と東京モノレールを合併させ、日立運輸東京モノレールを設立したのです。合併に先立ち、東京モノレールは80%減資を行い、新会社には日立製作所が多額の出資を行う事で、多くの負債を解消して、経営再建に挑んだのです。

この努力が実り、運輸省の音頭で行われた日本跨座式モノレールの開発は日立の主導ですすみ、三菱と共に日本のモノレール業界を二分する地位を築いたわけです。
ーーーーーーーーーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

東京モノレール001A
100形を先頭にした3両編成。大井競馬場前駅にて撮影。開業当初は海の上に屋根もなくホームドアーもなく高所恐怖症の私にとっては大変居心地のよくない駅だったことを覚えている。

東京モノレール002A
大井競馬場前駅にて下から見上げたモノレール。転落防止用の網もなくてホームから誤って転落するとそのまま落下してしまうことが良くわかる。当時先頭車両には流線型の200形もあったがこの日の撮影ではすべて切妻タイプの100形先頭車だった。下から見上げるとモノレールの線路にあたるコンクリ―ト桁の右側についている剛体架線(直流750Vの電気を供給する)が良くわかる。
  1. 2013/05/07(火) 06:21:43|
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東京モノレール

先日東京モノレールのレトロ塗装(開業時の塗装)の1000形電車の写真を撮りそこなったので、東京貨物ターミナルの帰りにリベンジしてきた。

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大井競馬場前駅より浜松町方面を望んで下り電車を撮影。1000形(1019F開業時の復活塗装編成)
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大井競馬場前駅にて撮影
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大井競馬場前駅にて撮影
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大井競馬場前駅にて撮影
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1000形のポケモンラッピング編成。(1043F) 上の2枚は流通センター駅にて撮影。
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1000形の通常塗装車。大井競馬場前駅にて撮影。
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2000形 大井競馬場前駅にて撮影。


  1. 2013/05/06(月) 15:01:38|
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コンテナのいろいろ 東京貨物ターミナル40周年記念フェスティバル

コンテナには色んな種類があり、そのバラエティを求めて貨車ファンは写真を撮り歩いているようだが、そんなファンの要望に応えるように種々のコンテナを積んだコンテナ貨物を1編成仕立て展示してくれていたので、私も俄か貨車ファンになって写真を撮って来た。
そんなコンテナのいろいろをご紹介する。
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  1. 2013/05/06(月) 10:23:02|
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国鉄色のボンネットバス

パンフレットに記載されてなかったが、東京貨物ターミナル駅40周年記念フェスティバルでうれしい驚き企画があった。なんと燕のマークの入った国鉄色のボンネットバスが構内をお客さんを乗せて走ったのである。会場で配られたリーフレットには「ボンネットバス体験試乗(日本フレートライナー東京営業所)」とあるが、バスのナンバープレイトは土浦ナンバーなので日本フレートライナーの所有バスではなさそう。インターネットで調べてみたら4月の下旬に千葉県のポッポの丘で他の2台のボンネットバスと共に会場と駅を結ぶシャトルバスサービスに供用されている。その記事によると、このバスは1968年式のいすゞTSD40改という4輪駆動のバスであることがわかった。
鉄道ファンは同時にバスファンである人も多くて、結構な数のファンがこのボンネットバスを狙ってカメラを向けていた。
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  1. 2013/05/06(月) 09:48:40|
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東京貨物ターミナル駅・40周年記念フェスティバル

東京貨物ターミナル駅が開業40周年を迎えたのを記念して初の一般公開となった。隅田川貨物駅は毎年公開されているが、東京貨物ターミナル駅は初の一般公開なので、筆者も心待ちにして勇んで出かけた。最寄り駅の東京モノレール「流通センター」駅を降りると歩道は東京貨物ターミナルへ向かう人の列で溢れんばかりであった。パンフレットには駅から徒歩15分とあったが人波の多さと信号待ちなどで20分以上かかってやっと会場に到着したが、そこにも入場の為の長い列がありやっと会場に入れた。会場に入ってまず探したのは私にとっての目玉展示の2005年にブルーリボン賞をとった世界初の貨物電車M250系。しかし入口からはその姿が見えず心配になって係員に尋ねたら、なんと会場の一番奥に鎮座しているとのこと、見えないわけだ。他の展示には目もくれず、まずは会場の一番奥を目指して歩くと機関車展示の一番最後の場所にMC250系を見つけた。なんせ夜中にしか走らない為になかなかファンのカメラに収まらず幻の貨物電車となっているが、一般公開で白昼に堂々とまじかで写真を撮ることができた。
この日公開されたのは、東京貨物ターミナルの中の「コンテナ荷役線」エリアで、ここはコンテナをフォークリフト持ち上げた時に障害とならないように架線が無いので架線柱にじゃまされることなく撮影できるのは有難かったが、機関車のパンタグラフが畳まれたままなのは残念。東京貨物ターミナル駅は広大で、コンテナ荷役線の外に機関区・貨物区・着発線群・仕立線群などがある。

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昼間まじかに見る機会がない貨物電車MC250系
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普段は研修用機材として屋内に保管されているEF65-1001がこの日の為に久しぶりの屋外で日光浴をしていた。
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先日休車から復活したばかりの貴重な国鉄色のEF66がスーパーライナーのHMをつけて展示されていた。
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コンテナ貨物50周年記念の「たから」号の再現。
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2012年のローレル賞受賞車であるハイブリッド入換機関車HD300形も展示されていた。
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希少なヨ8000形がきれいな姿で展示されていた。
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珍品コンテナの展示もあった。
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  1. 2013/05/05(日) 23:35:23|
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東横線の山手線跨線橋

鉄道写真の名所となっていた東横線の山手線跨線橋、渋谷駅地下化に伴い使用廃止となったが、未だ取り壊しもなくそのまま残っていた。架線は鉄橋から代官山寄りでは撤去されていたが、渋谷寄りはそのまま残っていた。線路はわからないが多分そのまま残っているのではないかと思う。
地下化により東横線の電車が鉄橋を渡る姿を見ることはできないが、鉄橋の下は今まで通りJRの列車が行き来している。私にとってはごく当たり前の光景であったこの陸橋を渡って渋谷駅へ向かう東横線の電車の姿はない。地下から渋谷へ到着することには未だ慣れないで、違和感が強い。
東急の念願だった副都心線への直通は本当に東急にとってベターな選択だったのだろうか?今までは乗換客がどうせ一旦外へ出るからと渋谷の街へ立ち寄っていたのが、そのまま直通電車で新宿へ池袋へと流れてしまうような気がする。東急デパート・ヒカリエ・東急プラザなど東急系の商業施設への地下化後の客の入りに変化はないのだろうかと老婆心ながら心配してしまう。都心に乗り入れをしてる私鉄は変則の京急を除いて既存のターミナルをそのままにして途中駅から地下鉄に直通している、かつては東横線・日比谷線もそうだったが今では目黒線の乗り入れに端を発して東横線でもターミナルを中間駅化する選択肢をとっている。私は日比谷線の乗り入れ中止と共にこの渋谷駅の中間駅化を大いに危惧している。

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  1. 2013/05/04(土) 23:12:51|
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東京モノレール

天王洲方面の撮影会に行った折に、東京モノレールを撮影する機会があった。運よく久しぶりに1000形のレトロ塗装(開業時の塗装)にも出会うことができた。ただ天王洲駅を発車していく後ろ姿を慌てて後追いで撮ったので良い構図ではなく写真としては失敗作。
またガラス越しの写真が多くて鮮明度が今一になっている。

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  1. 2013/05/03(金) 21:39:16|
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みどりの山手線50周年記念ラッピング車

山手線をウグイス色の電車が走り始めて50周年を迎えたことを記念してE231系1編成が緑色のラッピング姿になって走っている。TVなどでも報道されて一般の人でも知っているので、この編成に出会った方は必ず携帯カメラを向けたりしている光景をみかけることが多い。筆者も何度か遭遇しているのだがカメラをもって無い時だったり、すでに走り去るところだったりしてカメラに収めることができないでいた。
しかし昨日品川付近で田町車輛センターの写真を撮っている時に山手線の内回りをラッピング編成が通り過ぎるのを目撃したので、外回り電車で恵比寿へへ向かい、例の旧東横線の陸橋のある跨線橋で撮影した。
山手線に最初配備された新性能電車は101系で色はカナリア色だった。101系は駅間の長い中央線では問題なく使用されていたが駅間の短い山手線では性能が合わなくてモーターの発熱の問題が生じていた。そこでオールM前提で設計された101系に代わりM:T比率が1:1で設計された103系が1963年に試作されて山手線に投入された、その時に山手線の103系の色がウグイス色となった。

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ちょっと回顧趣味になるが、1967年に山手線巣鴨駅付近で撮影した本物の103系ウグイス色の写真をお見せする。
1967山手線001B
1967山手線002B
当初はまず山手線の101系を置き換えてから京浜東北線に103系を投入する予定が、山手線の置き換えを待たずに京浜東北線に103系がスカイブルーで投入された為に、山手線の101系の置き換えが遅れた、1969年の時点でも山手線にはカナリヤ色の101系が残っていた。

  1. 2013/05/03(金) 13:32:36|
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東武・亀戸線

東武亀戸線はJRの亀戸駅と東武伊勢崎線の曳舟駅間3.4Kmを結ぶ東武鉄道の支線で、8000系2連が運用に就いている。昔途中の亀戸水神駅のすぐ前に取引先の日立製作所・亀戸工場があり商談や納品で何度か訪問しており、その度に東武・亀戸線にはお世話になっていた。しかし、日立製作所・亀戸工場は1974年移転してしてしまい、跡地は亀戸中央公園となったので、すっかり亀戸線にはご無沙汰でしたが、久しぶりに亀戸駅に降り立つことがあり、ついでに亀戸駅付近で亀戸線の写真を撮ってきた。

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右奥に見えるホームが東武・亀戸線の亀戸駅。左の一段高いところに見えるホームの屋根はJR総武線の亀戸駅。
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亀戸駅1番線で折り返しを待つ曳舟行。
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亀戸駅を発車して曳舟へ向かう8000系2連。
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  1. 2013/05/02(木) 21:57:52|
  2. 鉄道
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チェリースパイス1/2 町田IVYライブ

普段4人構成(リードギター・リズムギター・ベース・ドラム)のチェリースパイスがギター2本で演奏するのが「チェリースパイス1/2」。その2回目の演奏が、3月の北鎌倉に続いて町田のIVYであった。今回はリードギターのHarukaさんは変わらないがリズムギターは柳生さんで前回の坂口さんと違う構成で、演奏曲目は北鎌倉の時と一緒だったが、演奏スタイルは変わっていてその違いを感じながら演奏を楽しんできた。

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  1. 2013/05/01(水) 10:55:33|
  2. 音楽
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国

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