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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

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Cherry Spice @新百合ヶ丘ルート66

Cherry Spiceのライブが新百合ヶ丘のルート66で催された。ここでは1部から4部までの構成でCherry Spice 始まって以来47曲を演奏するという壮大な企画で楽しみにして来た。実際にはMCの流れの中で割愛された曲もあり演奏されたのは43曲だったが、それでも聞きごたえがあった。演奏する方も大変なマラソンのような長丁場のライブであったし、聞く方もそれなりの覚悟がいるライブではあったものの演奏するのに比べれば聞く方はそれほど大変と言うことはない。気が付くとラストの曲になっていたというのが本当のところである。この日の為にレパートリーを増やして来たCherry Spiceであるが、割愛された曲の中に私が好きな「情熱大陸」があって聞けなかったのが唯一の不満であった。

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ルート66の入り口はこんな雰囲気。
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  1. 2013/08/28(水) 23:31:43|
  2. 音楽
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再開発で消え行く品川車両基地

去る3月15日に田町車両センターが廃止されて品川車両基地跡の再開発がスタートした。かつての品川車両基地エリアは鉄道ファンのメッカだった。ここに来れば当時のファンの憧れの車両たちに会うことが出来た。旧・田町電車区は東海道線・横須賀線の車両基地として東海道新幹線開通前の特急「こだま」「富士」「つばめ」「はと」などの151系特急電車が所属する電車区だった。旧・品川客車区は電車化前の特急「つばめ」「はと」用の客車をはじめとして九州方面行の夜行寝台列車ブルートレインを擁する車両基地だった。そして一番田町寄りに位置した東京機関区は客車時代の特急を牽引した電気機関車のねぐらであった。かつて東海道線の下り電車の運転台の後ろで見ていると田町駅を過ぎてまもなく東京機関区が右手に見えてきて、夕方のブルートレイン発車前には牽引機関車がそれぞれのヘッドマークを掲げて待機する姿が見えてわくわくしながら見ていたものだった。

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わずかに残された旧・品川客車区の洗浄線で唯一残った夜行列車の「サンライズ瀬戸・出雲」285系が整備中。
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285系「特急サンライズ瀬戸・出雲」の鼻先には京急や山手線の電車が見える。
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品川駅11番・12番線ホームからかつての品川客車区方向を映した写真。にぎやかだった留置線はほとんど取り払われて残っていないのが良くわかる。
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田町車両センターの185系は全て大宮車両センターに異動となり、東海道線の特急「踊り子」は大宮車両センターの185系と共通運用になったために大宮色の185系が東海道線にも出現することになった。この日の「特急踊り子」は前7両伊豆急下田行が大宮色、後ろ5両の修善寺行が東海道色の混色編成だった。
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後5両は東海道線湘南色だった。

  1. 2013/08/28(水) 11:26:31|
  2. 鉄道
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東京総合車両センター・東エリア(旧・山手電車区)

東京総合車両センターの車両基地部分は東エリアと呼ばれる山手線電車のねぐらである。かつては山手線の電車は大崎電車区(→山手電車区→東京総合車両センター)と池袋電車区に分散していたが現在は東京総合車両センターに集中配置されている。運用の関係で東京総合車両センター・池袋派出所(旧・池袋電車区)と東京総合車両センター・品川派出所(旧・品川電車区)に留置される車両もあるので、かつての山手線のねぐらでも山手線の車両を見ることはできる。

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  1. 2013/08/28(水) 09:53:24|
  2. 鉄道
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みどりの山手線ラッピングトレイン

前に渋谷ー恵比寿間を行く「みどりの山手線ラッピングトレイン」の写真を紹介したが、今度は御徒町駅で撮影した「みどりの山手線ラッピングトレイン」の写真を紹介する。この編成は今年の12月28日までの限定運用である。
ウグイス色の山手線電車103系が導入されたのは1963年の12月でそれから50周年を迎えたことを記念して「みどりの山手線ラッピングトレイン」が運行されている。ちなみにウグイス色の前には1961年9月からカナリアイエローの101系電車が山手線に投入されていたので、山手線のラインカラーは最初からウグイス色(みどり)だったわけではなく黄色から緑色に変遷している経緯がある。
カナリアイエローの101系が総武線・中央緩行線に移籍していったことから総武・中央緩行線のラインカラーがカナリアイエローとなった。その後カナリアイエローの101系・103系が南武線にも投入されて一時期はカナリーイエローは南武線のラインカラーともなっていた。一方ウグイス色の103系は山手線の後で川越線でもそのままの塗装色で使用されていた時期がある。
山手線(やまのてせん)は1971年から「やまてせん」の呼称が「やまのてせん」という戦前の呼称に変わっている。戦前・戦中派と平成以降の若者は「やまのてせん」の呼称に抵抗が無いかもしれないが、我々戦後の団塊の世代にとっては「やまてせん」と呼んだ期間が長いので、「やまのてせん」がスムーズに出てこない。意識しないで会話しているとつい「やまてせん」と言ってしまう。未だに、「国鉄」とか「国電」と言う言葉が当たり前のように出てくるが、そのうちに「国鉄」「国電」が死語になるとこういう言葉を話さないようしないと「アレツ!?」と言われてしまうのではと心配である。


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  1. 2013/08/27(火) 11:26:42|
  2. 鉄道
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山田深夜著 「電車屋赤城」

友人の勧めで山田深夜著「電車屋赤城」を読んだ。
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元鉄ちゃんだった友人から、京浜急行に勤めていた人が書いた小説で鉄道の現場の様子が興味深く描写されていてとても面白いから是非読んでみてといわれていたのだが、なかなか本屋で見つけることができず、ようやく図書館から借りて読むことができた。
小説のメインとなっているのは主人公「赤城」の職場である湘南電鉄の久里浜工場だが誰の目で見てもこれは現存する京急ファインテック久里浜事業所(旧京急久里浜工場)であることは間違いない、そして名わき役として小説に登場する電車1000形とは京急の1000形のことであり、1000形に置き換わっていくアルミ車体の2000形は京急の新1000形のことであることがすぐわかる。著者は京急に勤めていた人なので小説に登場する専門的な鉄道用語は鉄道ファンにはうれしい限りである。故障電車の原因究明の為にアントを使って電車を動かす場面があるが、アントを知っている鉄道ファンはおもわずにやにやしながらその場面を読んでしまうに違いない。
工場内での整備場面での用語など鉄道ファンにはその場面を目のあたりにしているような錯覚に陥り一気に読んでしまった。でもこの小説の良いところは単なる鉄道もの読み物ではなく、登場人物の人間関係や男女間のキビも巧みに描かれており一般の小説としても奥が深い出来で、読み始めたら止まらず、私も図書館から借りてきてその日のうちに読み終えてしまった。優秀な電車の整備士である赤城のもう一つの顔として横須賀のライブハウスでブルースを弾き語って観客の米軍兵士たちを惹き込んでしまう描写も秀逸で、音楽好きの私としては思わずにニヤリとしてしまった。

鐡道ファンでなくても十分に楽しませてくれる山田深夜著「電車屋赤城」、是非購読をお薦めしたい。


  1. 2013/08/22(木) 22:51:14|
  2. 文学
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すみだストリートジャズフェスティバル SOLA

第4回目を迎えた「すみだストリートジャズフェスティバル」(すみJAZZ)に友人のビッグバンド「SOLA」が出演するので聞きに行ってきた。すみJAZZはプロからアマチュアまでたくさんのバンドが出演して2日間にわたってなんと31会場で演奏が繰り広げられている。「SOLA」は映画「スイングガールズ」に刺激を受けてネットを通じて募集されて結成されたアマチュアのバンドである。一部楽器経験者もいるがかなりの人がこのバンド結成を契機に楽器を手にした人たちと聞いている、したがって演奏の腕前に多大な期待をしてはいけないが、とても素敵なサウンドを聞かせてもらった。

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  1. 2013/08/22(木) 22:18:58|
  2. 音楽
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「新宿わかしお」を錦糸町駅で撮影した。

平日は東京駅始発で運転されている房総特急列車群だが、土日のみ新宿発着の房総特急が運転されている。これは気動車王国だった房総半島で運転された準急気動車の時代からのことで、平日は房総半島へ向かう列車は両国駅が始発だったが、週末のみ新宿からも運転されていた。

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錦糸町駅に停車中の上り新宿行「新宿わかしお」E257系500番台が使用されている。
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総武快速線から総武緩行線へ移り始める「新宿わかしお」
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総武緩行線への渡線に入り下り線路を越えて上り線路へ入るところ。

  1. 2013/08/20(火) 23:48:59|
  2. 鉄道
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昭和の鉄道世界(26) 1969年8月 野幌駅 夕張鉄道

1969年8月北海道合宿の行程の中で札幌を立ち、野幌駅で夕張鉄道へ乗り換えて鹿の谷駅へ出て国鉄夕張線に乗り換えて清水沢駅へ、三菱石炭鉱業大夕張鐡道を訪問し、その後再び夕張線で沼ノ沢へ出て、北炭真谷地線を訪問した。当時は函館本線の小樽ー旭川間の交流電化が完成したばかりで真新しい交流専用電車(新幹線と試作車を別とするなら国鉄初の交流専用電車である)711系で札幌から野幌まで行ったのである。

野幌FH000034A
札幌から乗ってきた711系を野幌駅1番線で見送る。右に見えるホームが2・3番線で、夕張鉄道の列車は3番線から発着していた。

野幌FH000035A
野幌駅から我々が乗車した夕張鉄道の列車キハ254(キハ252形)。夕張鉄道は貨客分離が進んでいて旅客列車はすべて気動車であった。

野幌FH000036A
キハ254の運転席。マスコンが右でブレーキが左に配置されている。

夕張鉄道FH000037A
途中駅での交換風景。駅はたぶん錦沢ではないかと思う。交換列車は国鉄の07系と同系の機械式気動車キハ202(キハ200形).

  1. 2013/08/17(土) 11:14:20|
  2. 昭和の鉄道世界
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昭和の鉄道世界(25) 南部縦貫鉄道 野辺地駅

1970年の北海道合宿は奥羽本線経由で青森から青函連絡船で北海道入りだったが、1969年の北海道合宿は、米坂線でキュウーロクを撮り、仙台市電に立ち寄り花巻電鉄を訪問して東北本線経由で青森から青函連絡船で北海道入りしている。その時残念ながら立ち寄れなかったのが十和田電鉄と南部縦貫鉄道だった。しかし運の良いことに花巻から青森へ向かう列車の車窓から野辺地駅で停車中の南部縦貫鉄道の写真が撮れた。撮影時は南部縦貫鉄道の花形のレールバス(キハ101&キハ102)ではなかったことを悔やんだが、その時に撮影されたキハ103は当時は予備車的存在で滅多に走らない車両で1980年には国鉄から来たキハ104(国鉄時形式キハ10形)と交代に廃車・解体されてしまい、今保存されている南部縦貫鉄道のキハ101・102・104に加われなかったことを考えると貴重なショットではなかったかと思っている。
キハ103は常総筑波鉄道・筑波線から1962年に南部縦貫鉄道に譲渡されてきた車両であるが、1937年の日本車両東京支店製で古い車両であった為に普段は1962年製のレールバス・キハ101・102が使用されてキハ103は予備車扱いで滅多に本線を走ることはなかったようである。

野辺地FH000033A
南部縦貫鉄道というとほとんどがレールバスのキハ101またはキハ102で、たまにキハ104の写真が紹介されてきたが、キハ103の運行中の写真はほとんど皆無なので今となっては貴重なショットではないだろうか。

  1. 2013/08/16(金) 09:56:34|
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昭和の鉄道世界(24) 1969年8月札幌市電 鉄北線

1969年8月に札幌市電・鉄北線で札幌駅前~北大正門前の国鉄・函館本線をオーバークロスする陸橋で撮影した札幌市電の写真をご紹介させていただく。
鉄北線は北27条~新琴似駅前の延長開通時は非電化だった為に全国でも珍しいディーゼル市電が走っていた。1967年に電化されたのだが、筆者の訪問した1969年の時点では未だディーゼル市電が残っていて写真を撮っている。RAILFAN誌の2010年11月号の「北海道の私鉄車両33 札幌市」の記事中に筆者が撮影したディーゼル市電D1037(D1030形)とD1042(D1040形)が掲載されているので、ご興味のある方は参照いただければ幸いである。

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国鉄を越える陸橋区間は専用軌道になっていた。陸橋を渡り終えると左にカーブして併用軌道に戻り札幌駅前に出る。「すすきの」行の連接車(表示は連結車となっているが実態は連接車)A830形

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北24条行の210形

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北24条行のA830形 この先で専用軌道を終わり併用軌道となる。
  1. 2013/08/15(木) 22:15:22|
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昭和の鉄道世界(23) 1970年10月4日 八高号

昭和の鉄道世界(21)で首都圏無煙化の最大行事「さよなら蒸気機関車・高島線」をお送りしたが、その前に行われた首都圏無煙化第二弾の八高線の「八高号」を御紹介したい。
あいにくの雨となってしまったが、1970年10月4日に八高線の無煙化を記念して八王子ー高麗川間でD51牽引の客車列車「八高号」が運転された。その1週間前の9月27日には同じく八高線の北側区間(高麗川―高崎)にて「さよならSL号」がD51とC58の重連で運転されておりその時は快晴の良い天気だったが、10月4日はあいにくの雨模様だった。雨模様にもかかわらず大勢のファンが撮影に押しかけて現場は大変な人出だった。なるべく人の少ない場所を狙って撮影したが、めばしい撮影地でファンの姿を見ないことは無く。撮影は制約が多かったことを覚えている。目当ての撮影地にはたくさんの人が出ていて、人の居ないところを探しているうちに列車の通過時刻が迫り、妥協した場所での撮影になり良い写真は撮れなかったので、今まではブログに掲載するのをためらっていたが、一応記録としてご紹介するのもありと思い今回ご紹介に至った次第である。

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高麗川で折り返し準備中のD51

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折り返しの合間にファンと言葉を交わす機関士

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撮影地不明。たぶん高麗川ー飯能ー金子あたりの何処か・

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入間川鉄橋を行く「八高号」

  1. 2013/08/15(木) 07:50:09|
  2. 昭和の鉄道世界
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Cherry Spice 1/2 本厚木イト―ヨーカドー前ライブ

チェリースパイスのライブはたくさん聞きに行っているが、路上ライブは未だなので、昨日日曜日に本厚木までライブを聞きに行ってきた。実は同じライブが7月にもあったのだがCherryの出演時に急に雨が降り出して中止になってしまったという経緯を聞いていたので、今回はそのリベンジとして通常30分の枠の中でやるのが今回は特別に40分の枠になったとのことで、たっぷりCherryの演奏が聴けると楽しみにして出かけた。しかし、嫌な予感がしていた私は家を出た時の空の黒い雲が気になっていた。小田急の電車に乗るまでは雨は降らなかったが途中で雨もポツポツと降り始めてやがて雷鳴と共にどしゃぶりになったところで急に車掌のアナウンスで代々木上原ー生田間で落雷により停電が発生したとのことで、五月台駅に着いたところで電車はSTOPとなった。やがて待つこと10分で停電は復旧して電車は動き始めたが未だ新百合ヶ丘駅には電車は入れないので出発できないとのアナウンスが入った。しばし待つと「この電車は新宿行を辞めて新百合ヶ丘行に変更となります」とのアナウンスがあり多摩線の折り返し用のホームに入線。ここで小田原方面に行きに乗り変えるのだが、1番線の各駅停車本厚木行は急行の到着待ちとのことで動く気配なし。しかし急行の来る気配はなく各駅停車の本厚木行が先の発車になるとのアナウンスがあり、ライブへの遅れを覚悟して各駅停車で本厚木へむかった。
後でわかったのだが小田急の停電は数十分で復旧して動き出したから良かったが落雷で停電してSTOPした京王線は長時間にわたって不通のままだったので、ライブの場所が京王線沿線だったらライブをおきらめることになったなった筈。
さて数分遅れで会場に着いたら丁度ライブが始まるところだった。そして演奏が始まるとすぐにポツポツと雨が落ち始めた。すわ7月の再現かと気をやみながら演奏を続けて、エレキの機材に雨がかからないようにシートをかぶせたりして、いつ雨脚が強くなるかと気をもみながらの演奏が続いた。しかし天気の神様はCherryに味方してくれて、ライブの後半には雨も上がり最後には西の空には薄日が見えるようにさえなった。

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  1. 2013/08/12(月) 09:26:31|
  2. 音楽
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昭和の鉄道世界(22) 1970年8月24日浜小清水駅

筆者が所属していた大学の鉄道研究会では1969年と1970年の2回に北海道合宿を行っていた。毎回現地集合現地解散で集合は札幌の円山ハウスというユースホステル(YH)で、解散は行程の最後の函館または青森であった。往路は直接札幌へ向かう会員は稀で、ほとんどが集合日の数日前に東京を立って自分の好きな鉄道に寄り道してから札幌を目指していた。筆者も2回ともに米坂線・花巻電鉄(廃止)・弘南鉄道・弘前電気(現在の弘南鉄道大鰐線)・仙台市電(廃止)・山形交通尾花沢線(廃止)・羽後交通横荘線(廃止)などの線区を訪ねてから札幌の集合地に向かった。一度だけ鉄道とは関係ない登別温泉に宿泊して札幌に入ったが、たぶん室蘭本線のSL列車の撮影の行程上どうせなら登別温泉のYHに泊まろうと思っただけのことだったと思う。

さて、そんな北海道合宿の2回目(1970年)の時に釧網線の浜小清水にあるYHに宿泊して浜小清水駅でC58の牽引する混合列車を撮影しているので、その写真をお目にかけたい。この写真には当時ならではの光景が見て取れる。まずは蒸気機関車の牽引する客車列車という当時当たり前の光景がある。しかも混合列車(客車と貨車を混合併結している列車)という当時でも少なくなりつつあった形態。さらに当時の国鉄の駅では当たり前のように見れた貨物用の側線とそこに留置されている貨車群。街道を並走するトラックもボンネットのある古い形である。
これこそが究極の昭和の鉄道風景ではないかという気がする。半世紀前の古き良き昭和の光景である。

1970フィルム 009A
牽引するのは釧路機関区のC58413 夏の撮影だが気温の関係で蒸気機関車の白い煙とドレインが白くはっきりと映っていて写真的にはGoodの構図を提供してくれた。

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  1. 2013/08/11(日) 08:07:13|
  2. 昭和の鉄道世界
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国
画像使用の問い合わせ先:n.sugii@nifty.com

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