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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

デキシーランドジャズを聞きに浅草へ

大学の先輩から誘われていたのだが、果たせずにいたデキシーランドジャズを聴きに浅草まで行ってきた。 私の中学・高校時代頃までは結構デキシーランドジャズはPOPULARで、ラジオやテレビで耳にする機会も多かったのだが、ふと気が付くとデキシーランドを耳にする機会がめっきりなくなっていた。
今回聞きに行ったバンドは早稲田大学のニューオリンズジャズクラブOBのバンド「ニューオリンズ・ノウティーズ」で、古希をを迎える方がメインのバンド。早稲田大学や慶応大学の音楽バンドはレベルが高くて多数のプロミュージッシャンを輩出しているが、このバンドもアマチュアのレベルを超えていた。 お年のせいかも知れないが時折「あれツ」と言う場面があったものの総じてレベルの高い演奏を聞かせていただいた。大学の先輩の話ではデキシーランドジャズは日本では絶滅危惧種になっているそうで、普段デキシーランドジャズを聴ける常設のハコはこの浅草のライブハウス「HUB」くらいしか無いのではと言っていた。
バンドの構成は、トランペット・クラリネット・トロンボーン・ピアノ・バンジョー・ベース・ドラムの7人編成。ピアノ・バンジョー・ドラムは比較的若いOB&OGが担当していた。

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  1. 2014/06/29(日) 22:10:59|
  2. 音楽
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同人誌「こうゆう」から≪私の音楽話≫

大学のゼミのOB会のペンクラブが発行する同人誌「こうゆう21号」から私の投稿した『私の音楽話』を掲載させていただく。一昨年からは編集部員としても参画しているペンクラブである。

≪私の音楽話≫

 音楽は聴くのは大好きであるが、演奏する方は苦手である。 今でこそカラオケで下手な歌声をお聞かせすることがあるが、カラオケで歌うようになったのは仕事の付き合いで歌う必然性が出てきてからで、それまで音痴を自認していた私は人前では歌うということは皆無と云っても良かった。ビートルズやベンチャーズの出現でギターなどの楽器を手にする人が出てきた私の学生時代、私もフォークブームに乗ってついにギターを手にすることになった。フォークソングなのでエレキギターではなくてアコースティックギターである。 音感・リズム感共に最悪の私だったので、ギターを手にしたものの早々と私にはギターは無理と悟りあきらめてしまった。 とにかく音感ゼロの私なので、ギター演奏の前に必須となるチューニングという作業で苦労して、ちゃんとしたチューニングができないことがわかり、ギターをあきらめざるを得なかったのである。 チューニングの出来てないギターで演奏をするほど惨めなものはないことを知った時代である。

 高校時代の親友K君は、どこにそんな才能があったのかとびっくりさせられたのだが、大学進学後ギターを器用に弾くし、そのうちドラムセットも購入してドラムの練習を始めて、グループを組んでオリジナル曲で自主制作のレコードまで出してしまった。K君はその才能を生かして卒業するや東芝音楽工業(→東芝EMI→EMI)に入社してレコーディングエンジアとして活躍した。結婚前の独身時代にK君から深夜に電話を貰い「これからスタジオで録音をするけど見に来ない」と誘われて、虎の門にある東芝音楽工業のスタジオへ行き、レコーディングの合間には音痴の私がマイクの前に立ち録音の真似事で遊ばせてもらった。本番録音でスタジオ入りしている有名歌手と身近に接する機会もあり、知らない世界を覗く楽しみを味わせていただいた。この時に初めて「カラオケ」という言葉を知った。当時はまだカラオケが流行る前で、ふつうは楽団が演奏する歌手の伴奏を地方公演などで楽団が行けない場合に伴奏だけを録音したテープを持って行ったり、レコーディングに際して前もって伴奏だけ録音して置き、歌手はそのテープを聞きながら歌うので何回でも楽団に迷惑をかけることなくやり直しができるのだそうで、その伴奏を業界用語で「カラオケ」(歌の入ってないカラのオーケストラの略語でカラオケ)というのだと友人が説明してくれて、プロの使うカラオケを何曲かテープにダビングしてもらい家へ帰って音痴の私が歌手になった真似事をして楽しんでいた。ちなみに歌手の使うカラオケは本物のCDの歌のカラオケで、レコード会社はカラオケ屋には本物を提供しないので、普段我々がカラオケで耳にする演奏は、カラオケ用に作った本物風の伴奏であることを皆さんはご存知だっただろうか。

 弾く方、歌う方の才能はゼロでからきしダメだったが、音楽を聴くのは大好きで深夜のラジオ放送にかじりついて、当時流行のポップスのベストテン番組などを聴きまくっていた。 もちろんレコードも中学生になってから聴くようになり、最初は映画音楽やクラシック音楽などを中心にレコードを買っていた。最初に買った映画音楽は「アラモのサウンドトラック」だった。渋谷の文化会館で上映された「アラモ」を見て、その映画の余韻が忘れられず、サントラ盤を求めてアラモの場面を回顧していたことを覚えている。クラッシクの主要な交響曲は、自分で購入したり知人から借りたりしてほぼ耳にした。ピアノ曲とバレー曲が特に好きで、アンセルメ指揮のバレー曲は積極的にレコードを購入して頻繁にステレオにかけて聴いていた、 一番好きなバレー曲は「くるみ割り人形」だった。
 ポップスは専らラジオ主体であまりレコードでは購入しなかったが、メロディーに惚れて好きだった「真珠貝の唄」だけはシングルレコード(EP盤)を買っていた。何故かレコードを買うのはクラッシク音楽と決めていたのである。従って、当時ヒットしたビートルズやローリングストーンズなどのレコードは買わなかったが、唯一の例外で、坂本九が大好きだったので、いつでも彼の歌をレコードで聞きたかった為坂本九のEP/LPレコードはほとんど購入している。ベンチャーズは最初にラジオでパイプラインという曲を聞いて興味を持ち、気にはなっていたのだがベンチャーズのレコードを買うには至らなかった。むしろその後に登場した日本のエレキバンド「寺内タケシとブルージーンズ」には入れ込み、彼らが演奏するエレキ版ベートーベンや日本民謡に衝撃を受けてレコードを求めたものだった。実際には弟の方が私より早く寺内タケシをすきになり最初の寺内タケシのレコードは弟が購入している。
そしてフォークソングブームとなり最初は森山良子・岡林信康などのレコードを買って聞いていたが、フォーククルセダーズの登場は衝撃的で、虜になった私は新譜が出るたびにレコード店へ行き彼らのレコードはすべて購入している。しかし彼らは一年間だけの限定演奏活動ということだったので、発売されたレコードの数は限られており、発売されたレコード全てを購入することは造作のないことだった。私のレコード購入人生の生涯に於いて発売日には必ずレコード店に行って購入した歌手は、唯一フォーククルセダーズだけである。
それほど私にとって影響を与えた音楽がフォーククルセダーズなのである。ジャズ・クラッシク・ポップス・歌謡曲などの分野で私に影響を及ぼした曲は多々あるのだが、なんといってもフォーククルセダーズはジャンルを越えて私に一番影響を与えた音楽で在ることだけは間違いない。その後、フォーククルセダーズの復活演奏会もあったが、オリジナルメンバーではなく「はしだのりひこ」氏の代わりにアルフィーの坂崎幸之助氏が加わっており全員オリジナルメンバーでの復活演奏は行われてはいない。一昨年の加藤和彦氏の衝撃的な死によって、私の望んでいたオリジナルメンバーによる再結成公演は幻の夢となってしまった。

そして、高校生活最後の頃からJAZZにも興味を持つようになった。最初はカウントベーシーやデュークエリントンなどのビッグバンドJAZZでスタートして、その後トリオやカルテットなどの小編成ジャッズバンドに惹かれるようになり、オスカーピーターソン・トリオにぞっこんとなった、なかでもザ・トリオと云われたドラムのエド・シグペン、ベースのレイ・ブラウンと組んだ時のものは秀逸であった。あとMJQも好きだった。弟もJAZZが好きでコルトレーンの「至上の愛」を買ってきたので一緒に聞いたことがあったが、私にはコルトレーンはしっくりこなくてオスカーピーターソンの方が良かった。
 JAZZといえば「マイルス・デイビス」を語らない訳には行かない、スイングジャーナル誌に触発されて、マイルスの曲にも興味を持つようになった。マイルスといえば必ず上げられる代表作のレコードが「Kind of Blue(1959)」と「Bitches Brew(1969)」でそれぞれモードジャズ時代とエレクトリクジャズ時代の傑作として知られている。私が興味を持った時期はBitches Brewの時で、正直コルトレーンの「至上の愛」と一緒で私には興味が持てなかったのでレコードを買うに至らず、そのままマイルスから離れてしまった。
しかし、その後私の好きだった「死刑台のエレベータ(1958)」の映画音楽がマイルスの作曲で演奏されていたことを知り、ミュート奏法に惹かれて、モードジャズ時代の傑作Kind of Blueを聴き一気にマイルスの虜になってしまった。Kind of Blueが録音されたときに既にメンバーからはずれていたビル・エバンス(ピアニスト)が録音の為に一時的に復帰し加わって録音されているので余計に好きなのかもしれない。ビル・エバンスは私の好きなジャズピアニストの一人なのである。Kind of Blueの中で有名なのはSo Whatであるが、私が好きな曲は、本当はビル・エバンスの作曲であると云われているBlue In Greenが好きである。この曲はマイルス・デイビス名義で著作権登録されているが、マイルスがビル・エバンスにGマイナーとAオーギュメントの2つの和音を提示した事がきっかけとなってビル・エバンスが作曲した曲であると言う事が知られている。私はこの曲を聴くとニューヨークの名もない(本当は名前があるが私が記憶してないだけ)ジャズバーでMJQ風のバイブの入ったバンドが演奏していた風景を思い出す。私がニューヨークに出張に出た冬のある日に、マンハッタンで食事しての帰り道にフラッと寄った夜更けのジャズバー、MJQ風のバンドの奏でるジャズ演奏に心地よく酔っていたことがある、その小さなジャズバーではタバコの煙がただよい、カウンターに腰掛けて音楽に身をゆだねながら大きな1枚窓のウィンドウ越しに夜のニューヨークの街を見ると、冬のニューヨークの風物詩であるスチームの湯気がマンホールの隙間から立ち昇っていた。 そんなものうい雰囲気をこのBlue In Greenは醸しだしている。
 アメリカ駐在時は、駐在の本拠地はロスアンジェルスだったので、Concert By the Seaとか Light Houseでジャズ演奏を聴いていたが、ニューヨークの出張時はマンハッタンの中にある有名・無名ジャズクラブで演奏を楽しむのが常だった。ジャズはやはり場所が大事でカリフォルニア・ロスアンジェルスの乾燥した空気の中で奏でる音とニューヨークの空気の中で奏でる音は明らかに違うのである。

 私はあまりロックミュージックには興味を示さなかったが、珍しく好きになりレコードを購入したグループがある。それはChicago(デビュー時はChicago Transit Authorityを名乗ったが本物のシカゴ交通局からクレームが入りChicagoと改名)とBlood, Sweat & Tearsである。共にブラスロックと呼ばれ管楽器を強調したロックを展開したグループで在る。ジャズ的な要素もあり、ジャズロックと呼んで方が良いような気もするが、ジャズ好きの私にぴったりと嵌まったロックグループだったと言える。

 さて、最後に演歌・歌謡曲の話をしたい。私は海外駐在するまでは演歌や歌謡曲には冷淡というか嫌っていた。そして私より先に米国駐在していた同僚が私のアメリカ出張時に空港へ迎えに来てくれて、その車内でニャッと笑って「実はアメリカに来て気に入った曲があるので聞いてくれる」と言ってカセットテープをカーステレオにセットした。そしてびっくりしたことに、スピーカーから流れてきたのは都はるみの曲であった。同僚は自分でジャズピアノを弾く人で、日本に居る時は演歌を馬鹿にして聴かないという態度だったことから、これにはびっくりして思わず「どうしたの?」と訊ねたところ、「アメリカに来てみて演歌の良さがわかったんだ」という答えが返ってきた。その時は、私としては彼のまさかの変身ぶりが理解できずにいたのだが、その後私自身がアメリカに駐在することになり、ほどなくして彼の気持ちが理解できるようになった結果、演歌・歌謡曲に対する私の偏見は見事に払拭されていったのである。しかし、父が演歌のレコードを既に多数所持していたので、私自身が新に演歌のレコードを購入することはなく、父のコレクションの演歌レコードをカセットテープにダビングして楽しむようになったのである。
都はるみ・石川さゆり・森昌子・坂本冬美などの歌手の曲が好きで、今でも彼女達の番組をチェックしてテレビから録画して演歌を楽しんでいる。

 まだまだ私の音楽に関する話は尽きず、邦楽(三味線・琴・尺八)の話もしたいのであるがそれは次回のお楽しみということにして、この辺で私の音楽談義をひとまず終わらせることにする。
つたない私の音楽談義にお付き合いいただきありがとうございました。


  1. 2014/06/28(土) 09:02:56|
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京急久里浜駅の印象

「1000人の写真展」に出展するかどうか最後まで迷った作品のを紹介する。実はこの写真展には鉄道の写真を出したいという思いが強く、今までは鉄道の写真を出してきていた。しかし今回は鉄道の写真で出展できるようないいネタがなくて、最後まで悩んだ挙句鉄道以外の写真を出展することになってしまった。出展サイズにまで引伸ばして検討をしていたのだが出展をあきらめたのがこの写真である。ホームの両脇の人物とホームの三角形の屋根の造形がアクセントになる写真なのだが、最後まで写真全体の散漫さが気になって出展を見送ることになった。

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  1. 2014/06/26(木) 09:31:40|
  2. 鉄道
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「1000人の写真展2014」新宿パークタワー

今年も新宿パークタワー・ギャラリー3にて開催される「1000人の写真展」に私の写真が展示されているので、御用とお急ぎでない方は是非お立ちより下さい。

私の写真は、新宿御苑にて撮影したこの写真が展示されてます。

20111221新宿御苑 043A

●1000人の写真展2014「私のこの一枚」

会場: 新宿パークタワー・ギャラリー3
会期: 6月25日(水曜)~6月29日(日曜)
時間: 10:30~18:00 (29日は14:00まで)

新宿パークタワーは新宿駅と初台駅(京王線)が最寄り駅ですが、距離が遠いので歩くのがきつい方は新宿駅から無料シャトルバスが出てますのでご利用ください。新宿駅の無料シャトルバス乗り場は、 新宿西口「エルタワー」1階 三菱東京UFJ銀行前(小田急ハルクの対面)から約10分間隔で運行。
  1. 2014/06/25(水) 08:21:04|
  2. 写真・カメラ
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横浜線 205系&E233系6000番台 

先日横浜駅で撮影した横浜線205系とE233系の写真を紹介したが、今年の夏までにすべてE233系に置き換わる予定で急速にその姿を少なくしている205系の写真を撮るべく友人のK氏の案内で自然の中を走る横浜線が撮れる唯一の場所といっても良い、八王子みなみ野駅~相原駅間で写真を撮ってきた。この間もずいぶんと205系が少なくなって少数派になっているのを感じたが、撮影した6月11日時点で観察した限りでは7割以上がE233系で205系は3割以下のように感じた。E233:205=75:25ではないかと思う。

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八王子みなみ野駅のE233系デビューの広告
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八王子駅から乗ってきた205系(H11編成)の6扉車(サハ204-111)を八王子みなみ野駅で撮影。置き換わるE233系には6扉車はないので時代の寵児6扉車は消え行く運命にある。
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撮影位置についてまずやってきたのはE233系。編成ごとに沿線の駅のスタンプのイラストが貼付されている先頭車を横から撮影。205系では東神奈川寄りの2両目は6扉車が連結されているのだが、E233系では御覧のように普通の4扉車となっている。
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E233系を何本か見送って後やっとお目にかかれた205系(H2編成)八王子行。
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先ほどのH2編成が八王子で折り返してきたのを撮影。
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八王子行H17編成
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八王子行H17編成を後追い撮影。
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八王子行H8編成
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先ほどのH17編成が八王子から折り返してきたのを撮影。
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H17編成の6扉車(サハ204-117)。
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H17編成の後追い撮影。
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H8編成の快速桜木町行きを八王子みなみ野駅で撮影。
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H28編成の運転席。少数派になりつつあるツーハンドルマスコン。
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八王子駅で折り返しを待つ205系H28編成。
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八王子駅6番線の205系H28編成、この編成のみ2号車はサハ205-30で6扉ではなく4扉車が連結されている。
  1. 2014/06/16(月) 10:15:10|
  2. 鉄道
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京急の現役車両(その1)

昔から京急の電車に乗ると、スピードが楽しみで運転台の後ろにかじりついていたものだった。新幹線と同じ広さの線路幅(軌間:1435mm)で安定してスピードを出せるのが京急の強みだった。乗り入れで同じ軌間を持つ都営浅草線と京成は残念ながら京急ほどはスピードを出さない。(2010年7月に開業した成田スカイアクセス区間は例外で新幹線並みの線路条件で在来線最速の160Km運転をしている)
関東の私鉄やJRではステンレスやアルミの採用で無塗装の電車がその主力となっているが、京急ではアルミカーでも塗装をしていて、2007年の新1000形第6次車から初めてステンレスの無塗装車体となった経緯があり、現有勢力は圧倒的に塗装車体である。また昨今の関東の私鉄では20m級の車体が主力となっているのに対して京急は全路線すべてにおいて18m級の車体のみという特徴もある。そして1986年まで製造が続いた800形までは会社の方針で前照灯1灯・片開き扉というスタイルを堅持していた。すでに800形は廃車が始まってはいるが、両開き扉全盛の現在に於いて大変貴重な車両となっている。
京急は列車行先種別表示器のLED化が遅くて未だ字幕を採用している車両のほうが多いという、鉄道ファンにはありがたい存在である。写真撮影時125分の一以上のしゃたースピードで撮影しても字幕車は字が読めるが、LEDだと読めないという写真になってしまう。

1.京急800形電車

1978年から1986年まで製造された京急伝統の前照灯1灯式・片開き扉最後の電車。新1000形への置き換えで2011年から廃車が始まっている。車体は普通鋼製で界磁チョッパ制御・ワンハンドルマスコン、前面非常用貫通扉を持たないので地下鉄乗り入れはできない。当初は3連で登場したが、途中で中間車3両を製造して徐々に6連化をすすめた。最後まで3連で残った801~810編成の10本は3連+3連で固定化され、中間で向かい合わせとなる先頭車は運転台を撤去して中間車化改造工事が行われた。
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仲木戸駅ー神奈川駅にて撮影。800形最終編成の827F
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仲木戸駅ー神奈川駅にて撮影。800形の812F
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仲木戸駅にて撮影。800形の824F
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戸部駅にて撮影。826Fの字幕
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戸部駅にて撮影。826F普通品川行
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戸部駅にて撮影。816F普通浦賀行
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戸部駅にて撮影。816Fの字幕
  1. 2014/06/15(日) 23:31:03|
  2. 鉄道
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京急・大師線

今でこそ京急の支線としてあまり注目されない京急・大師線は、明治31年創立の大師電気鉄道(明治32年4月に京浜電気鉄道と改称)が明治32年1月に六郷橋ー川崎大師間を我が国3番目の電気鉄道として開業させた路線である。 そして第二次世界大戦時に国策として東急に編入されて東京急行電鉄となったが、戦後昭和23年に東急から分離独立して「京浜急行電鉄」となっている。そんな京浜急行のルーツである大師線に10年に一度行われる川崎大師大開帳奉修に合わせて1501F(1500形)を赤一色にラッピンした「赤札号」が5月1日から5月31日までの期間限定で運行された。その姿は先日の京急ファミリーフェスタで撮影しているのだが、やはり本来の場所大師線で走るところを撮影したいと思い運行最終日の一日前の5月30日に訪問した。
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  1. 2014/06/08(日) 22:40:31|
  2. 鉄道
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国

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