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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

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私の本棚から(その5) 続・月刊鉄道雑誌「鉄道ジャーナル」

月刊鉄道雑誌「鉄道ジャーナル」は当初季刊としてスタートし、創刊号は鉄道車両新車年刊という異色の出だしだったので、2号の平常スタイルになった号と、月刊誌となった3号を紹介したい。
2号は表紙のデザインも変わり、季刊と言いながらも創刊号の2か月後の7月に発行されている。特集は「現在の動力車/列車運転のすべて」で、1968年9月号から始まった列車追跡シリーズの萌芽ともいえる「ルポ・特急さくら西へ」が竹島紀元氏の筆で掲載されている。

季刊「鉄道ジャーナル」2号の表紙
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鉄道ジャーナル2号の裏表紙 この号でも鉄道雑誌としては異色のお酒の広告。
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鉄道ジャーナル2号の目次
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そして2号から4か月後の11月に3号が月刊誌として発行されている。そして発行所も東亜企画から鉄道記録映画社へと変更されている。従って今に続く月刊「鉄道ジャーナル」の実質のスタートはこの3号と言っても良いのではと思う。
竹島編集長は、先行の2誌が鉄道友の会や趣味界の常連の方々に執筆を依頼していたのに対して、学生の鉄道研究会のメンバーを積極的に起用しており、3号では立教高校鉄道研究会の松本謙一氏が写真と記事を寄稿している。この号の後も松本氏は度々鉄道ジャーナル誌に記事や写真を提供しており、鉄道写真集「煙」の発行や雑誌「とれいん」発行の礎を鉄道ジャーナル時代に築いたものと思う。

月刊誌「鉄道ジャーナル3号」の表紙
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月刊誌「鉄道ジャーナル3号」の裏表紙
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月刊誌「鉄道ジャーナル3号」の社告。 月刊となったことと発行元が鉄道記録映画社になったことが綴られている。
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月刊誌「鉄道ジャーナル3号」の目次
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  1. 2015/08/30(日) 23:34:38|
  2. 私の本棚から
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私の本棚から(その4) 月刊鉄道雑誌「鉄道ジャーナル」

偶然とは言えまるで故人がそうさせたかのように「鉄道ジャーナル」誌を紹介しようとしているところへ、今月発売の鉄道趣味各誌において鉄道ジャーナル編集長を長年に渡って務められた竹島紀元氏の訃報が報じられていた。
元鉄道ジャーナル社社長で、長年に渡って月刊鉄道趣味誌「鉄道ジャーナル」の編集長を務められた竹島紀元氏が去る7月26日にお亡くなりになられた。 ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

私の本棚から(その4)は、月刊鉄道趣味雑誌「鉄道ジャーナル」である。レイルマガジンの登場までは実物を対象とした月刊鉄道趣味誌として「鉄道ピクトリアル」(1951年創刊)・「鉄道ファン」(1961年創刊)・「鉄道ジャーナル」(1967年創刊)の3誌時代が続いていた。 口の悪いファン連中からは、各誌の誌名が内容にそぐわないので「鉄道ピクトリアル」は「鉄道ジャーナル」に、「鉄道ファン」は「鉄道ピクトリアル」に、「鉄道ジャーナル」は「鉄道ファン」に誌名変更すべしと揶揄されることもあったが、それぞれが固定ファンを確保して、あるいは熱心なファンは毎月3誌を定期購読して、今日まで刊行中である。

正式には2号から編集長を務められた竹島紀元氏であるが、実質的には創刊号から編集の指揮をとられていたように筆者は感じている、創刊号の奥付には編集:新車年刊編集委員会、編集兼発行人:緑川昇、発行所:(株)東亜企画とあるが、編集後記には、「第三の鉄道趣味誌ー鉄道ジャーナルNo.1をお届けします。趣味誌とはいえ、鉄道界の今日的話題を多角的に捉え紹介していくーーそれが本誌の生命です。 特集形式の季刊として、従来の月刊ファン誌では実現困難であった点をカバーし、相たずさえて鉄道の発展につくしたいと考えています・・・・・・・・・(以下省略)」 と書かれてイニシアル(T)となっているので、文面の内容とTから判断して実質的には創刊号から編集長としてリーダーシップをとられていたと判断している。
創刊号では季刊誌としてスタートとなっているが、3号からは月刊誌になっている。 同じく1967年に創刊して1981年に終刊となっている「蒸気機関車」は当初は季刊誌でスタートして数年間は季刊を続けていたのに対して、鉄道ジャーナルは3号で月刊に方方針転換しているので、筆者はもともと月刊誌としてスタートするつもりがなんらかの事情で季刊誌としてスタートせざるを得なかったのではないかと憶測している。 先行の2誌がどちらかというと車両趣味に傾倒しがちだったのに対して、竹島氏は2号の編集後記で鉄道ジャーナルの性格を、次のように述べている。
本誌は、鉄道を知ろうとする人たちに真の鉄道を理解し愛していただくことを願って生まれた。意図している読者対象には鉄道ファンだけでなく、専門家も、鉄道関係者も、一般社会人も、そして社会科を勉強する学生・生徒諸氏も含まれている。趣味誌ではあるが、マニア的な偏りを避け、今日の時点における鉄道の姿と問題点を、特集形式で前向きにとりあげていくつもりである。

「鉄道ピクトリアル」と「鉄道ファン」は鉄道友の会のメンバーを中心にいわゆるマニア的な方々を執筆陣を持つのに対して、鉄道ジャーナルは、敢えて執筆陣をその他の方々にしている。 良くも悪くも竹島紀元氏の意図に沿った執筆陣である。
既存の2誌に対して異なる編集方針を掲げてスタートした鉄道ジャーナルは、異色の鉄道雑誌であった。そういう意味では創刊号が「1967年の鉄道車両新車年刊」となっているのに、当時は不思議であったが、今となっては鉄道ジャーナルらしさが明確に出ていたことに気づかされるのである。

1967年5月1日発行の「鉄道ジャーナル」創刊号表紙
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創刊号裏表紙、他の趣味誌ではありえない化粧品の広告が異色ぶりを発揮している。
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創刊号の目次
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創刊号の編集後期と次号予告。 季刊とうたっているのだが次号予告では翌月の6月10日発売といっている。
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創刊号の広告欄に発行所の「東亜企画」と竹島氏の会社「鉄道記録映画社」(後に鉄道ジャーナル社に社名変更)が並んで掲載されているのが創刊時のいろんな問題点を象徴しているような気がするのは、筆者の思い過ごしだろうか?
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  1. 2015/08/27(木) 00:25:53|
  2. 私の本棚から
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私の本棚から(その3) 月刊鉄道雑誌「鉄道ファン」

いよいよ「鉄道ファン」の登場である。当時の私にぴったりとはまる鉄道雑誌だった「鉄道ファン」は昭和36年(1961年)7月1日に創刊号が発行されている。発行所は交友社で編集は「鉄道友の会」。当時鉄道友の会は会報として「RAIL FAN」を発行していたが、この会報を拡充してファンのための楽しい雑誌を作り一般にも市販してひろく鉄道愛好家によびかけたいという希望があり、雑誌発行を模索していた中で誕生したのがこの「鉄道ファン」であった。理屈抜きで見て楽しむグラフィックな鉄道雑誌という編集方針に則って作られた雑誌だったので、全頁アート紙を使いほとんどが写真で埋まった大変親しみやすい本となっていた。従って創刊以来毎月購入すると共に全頁くまなく見るのはこの鉄道ファンで、鉄道ピクトリアルは毎号購読はするものの私鉄車両めぐりなど興味あるページだけ読んでそのまま本棚に収まることが多くなった。この傾向が変わるのは私が大学に入ってからで、硬派の記事が多い鉄道ピクトリアルの方に重点が移り、例えが極端かもしれないが鉄道絵本のような「鉄道ファン」はパラパラと見てすぐに本棚も収まるようになっていった。そして1980年代に入り定期購読をやめて興味のある号のみ購入するようになった。創刊号から連載された臼井茂信氏の「写真で見る機関車の系譜図」は楽しみな記事の一つで、それまでは電車がすきで蒸気機関車には興味を持たなかった私に蒸気機関車に興味を持つきっかけとなった記事でもある。 BALDWIN/KRAUSS/DUBSなどの海外メーカーの名前を知ることになったのもこの記事のおかげであった。また3号から連載が始まった「撮影地ガイド」には大変お世話になった。

鉄道ファン創刊号表紙
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鉄道ファン創刊号目次
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鉄道ファン創刊号裏表紙
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  1. 2015/08/21(金) 11:30:10|
  2. 私の本棚から
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一畑電車 デハ52

私の訪問が未だ叶えられてない私鉄の一つである一畑電車のデハ52を紹介させていただく。
写真は私の知人である出射氏から提供していただいた。デハニ50形は1928年~1929年にかけて日車で製造された電車でデハニ51~54まで4両が在籍していた。デハニ51はデハ21に改番されて1994年に廃車、デハニ54はデハ11に改番されて1986年に廃車となっていたが、デハニ52はデハ52と改番されてデハニ53は改番なしで生き残り、映画「RAILWAYS」に出演後2009年3月29日のさよなら運転をもって営業運転を終了して、車籍を有したままデハ52は出雲大社駅にて保存展示されている。またデハニ53も車籍を有したまま温州平田駅で留置されており、体験運転用として使用されている。

出雲大社駅で保存展示されているデハ52 左隣の電車は最近東急から移籍してきた1000系。(撮影者:出射氏)
畑電52AA

  1. 2015/08/20(木) 23:33:38|
  2. 鉄道
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2015年8月1日 午後 東京駅 

上野東京ラインが開通して5か月が経過したので、その後の上野東京ラインの状況査察に東京駅の東海道線ホームに立ってみた。 当たり前のことであるが、3月のダイヤ改正前には全部の列車が東京駅止まりだったのがほとんどの列車が東京駅を中間駅化してわずかな時間で発着してしているのが上野東京ラインが稼働し始めたことを示していた。

1956年の常磐線電車有楽町乗り入れ廃止以来の常磐線電車の乗り入れ復活。左は特別快速土浦行き(3197M)、右は特別快速品川行き(3184M)
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特急「ときわ30号」品川行き
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東京駅から上野東京ラインの神田方面を見た写真。中央奥で勾配になって東北新幹線の上になる線路形態が良くわかる。
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1879E 国府津行き
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左は東京駅を終着とする数少ない列車の一つ「特急スーパービュー踊り子4号」、右は特急「ときわ4号」勝田行き
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  1. 2015/08/14(金) 22:38:58|
  2. 鉄道
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国
画像使用の問い合わせ先:n.sugii@nifty.com

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