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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

「のと鉄道・能登線」廃線跡最新画像

「のと鉄道・能登線」は人気の廃線で、過去にもいくつかのBLOGで廃線跡の報告記が掲載されているが、最近の報告がないので、現状を最新の画像で報告させていただく。今回は私が訪問したのではなくて、金沢出身の私のギターの先生が里帰りしてお母様の出身地である正院を訪ねた折に、廃線跡の訪問もして写真を撮っていただけたので、その写真で廃線跡の最新画像をお届けする次第である。

のと鉄道・能登線はもともとは国鉄の能登線だった。1959年に穴水ー鵜川間が部分開業して、1964年に終点の「蛸島」まで全線開通している比較的新しい線区だったが、ほどなくモータリゼーションの波に押されて利用客が減少を続けて赤字路線となってしまい廃線対象の候補に挙げられてしまった。そして全線開業からわずか24年で廃止となってしまい、第三セクター「のと鉄道・能登線」として再出発したが、一時期黒字経営だったのが、JR七尾線の七尾―輪島間を引き受けてから赤字経営となり、ついに2005年4月1日付けで廃止となった。 復活を期待した地元の「廃止でなく休止にして線路設備をそのまま残して欲しい」という願いも空しく、廃止で線路や施設の撤去が進んでおり年月の経過と共にその痕跡もどんどんと風化して消えて行っている。

そんな流れの中でも、例外がありいくつかの痕跡が残っているので、それらを写真で紹介したい。

「蛸島」駅はNPO団体によって廃止後数年間、蛸島―正院間でNT102を動態保存して運転していたこともあって、駅舎やホームや線路が撤去されずそのまま残っている。
DSC_0505蛸島A
DSC_0509蛸島A
DSC_0510蛸島A

NPO団体によって保存運転がされていた名残で、自動販売機に鉄道GOODSが残っている。
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蛸島駅から正院方面を眺めた写真。ホームを出ると線路は右にカーブを描いて築堤を走っているが、写真の真ん中辺りに放置されているNT102が見える。
DSC_0511蛸島A
遠くから見るとまるで今も列車が走っているかのように見える。
DSC_0512A_20160627111739757.jpg

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築堤上のNT102。 実は動態保存だったこの車両が、駅のホームではなくて中途半端な場所に放置されているのかが疑問だったが、廃線跡訪問記のBLOGにあった動態保存運転の写真を見て答えがわかった。保存運転のスタート地点は蛸島駅ホームではではなくてこの写真の場所だったようで、写真には工事現場の足場のような仮設ホームが写っていた。理由は、廃止後に蛸島駅正院側に線路を横切る道路が建設されてしまい、それを避けて正院寄りのここにスタート地点乗降場を作ったことが中途半端な位置に放置されているように思ってしまったのである。
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蛸島駅と似た作りの正院駅舎。 
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正院駅ホーム、右側には春になると美しい桜の花が咲く桜並木が見える。
DSC_0526正院A

「恋路」駅は名前から観光地化されて綺麗に維持されている。
DSC_0533恋路A

レールも残っていて、手漕ぎトロッコで移動もできるようになって居る。
DSC_0534恋路A

「九十九湾小木」駅の駅舎は現在も別の目的でしようされているので、きれいに維持されている。
DSC_0540九十九湾小木A
レールは無いがホームは撤去されず残っている。
DSC_0541九十九湾小木A

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藤波駅。
DSC_0551藤波A

藤波駅の西方数百メートルのところの道路橋の下にはNT123が保存されている。
DSC_0564藤波A

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橋の下なので太陽や雨から守られて保存状態は良い。
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《参考資料》
BLOG「廃線探訪・のと鉄道能登線」
BLOG「のと鉄道廃線跡めぐり」
日本鉄道旅行地図帳6号「北信越」

《写真提供》坂口大幸氏
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  1. 2016/06/27(月) 10:45:05|
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京王線・高尾山緑のラッピング電車(8713F)

京王線・高尾山緑のラッピング電車(8713F)の写真を度々投稿させていただいていたが、今までの写真には必ずヘッドマーク(HM)が付いていた。しかし先日乗り合わせた8713Fに初めてHMが付いていないのに気が付いて早速写真を撮ったのでアップさせていただく。これからはHMなしで行くのか、たまたま付けてなくてHM付きが常態なのかはこれから暫く注目して行くことで見極めたい。

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  1. 2016/06/25(土) 22:59:21|
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京王線・サンリオキャラクターラッピング電車(9049F)

過日サンリオキャラクターラッピング電車(9049F)をすれ違う電車から撮影した写真をお見せしたが、ほぼ正面からの写真だったので側面のラッピングの写真をお見せできなかった。 しかし先日若葉台駅近くでスマホで側面を撮影する機会があったので、その写真をお眼にかける。スマホからの撮影のため画質に問題が残るのは勘弁していただきたい。

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  1. 2016/06/22(水) 21:25:31|
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銚子電鉄訪問記

『徒然草』 第52段「仁和寺にある法師」
仁和寺の老僧は「一生に一度は石清水八幡宮へ行きたい」と思っていた。ついに石清水八幡宮へ行ったが、麓の高良社や極楽寺を石清水だと思い込んで、そこのみ参拝し、他の人が山を登っていたのに、「神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と、自分は登らなかったという話。「すこしのことにも先達はあらまほしきことなり」(小さなことにも案内人が必要)と結ばれている。

日頃「銚子電鉄」を訪問したいと思いつつ叶わなかったが銚子電鉄に先日鉄友のK氏と一緒に行くことになり、やっと念願叶い全線走破し、仲ノ町の車庫見学、「地球が丸く見える丘展望館」からの海を入れた電車の俯瞰撮影などで銚子電鉄を堪能してきた。
実は行く為の行程表を作成する段階で、銚子電鉄の始発駅である銚子が大変遠いところにあり、我が家を8時ころ出て銚子に着くのがお昼くらいになることがわかり、銚子電鉄訪問は難関であることを認識させられた。この時ふと頭をかすめたのが上記の『徒然草』の1節。仁和寺の老僧の二の舞だけは避けなくてはいけないと、慎重に行程を練った。いろいろなコース(総武線・総武線+成田線・常磐線+成田線・京成電鉄+成田線・高速バス)があり、時間と金額を勘案すると高速バスが最善の選択肢なのだが、鉄道趣味者としてはバスは避けたい。最終的にK氏と相談して日暮里から京成の特急(スカイライナーではない)で成田に向かいJR成田線に乗り換えて銚子へ向かう行路となった。

JR成田線ホームに成田線の電車が並んで停車中。左の209系2100番台(千マリC605編成)は我々の乗る銚子行き、右の231系(東マト124編成)は我孫子行。ここから銚子までは各駅停車で1時間20分の旅。 ここで成田線の面白い違いを発見。成田線は佐倉―松岸間、成田ー我孫子間、成田―成田空港間の3路線からなる路線であるが、運転上は常磐線の支線の様な扱いの成田―我孫子間で使用される車両は東京支社松戸車両センターに属する車両であるのに対して、佐倉ー松岸間は総武線の延長区間のような扱いで佐倉ー成田空港間は千葉や東京からの成田空港行きの電車が総武線から多数乗り入れてくるので、総武線の支線的性格が強く、使用される車両も千葉支社幕張車両センター(千マリ)所属の車両が使用されている。
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夢にまで見た銚子電鉄の銚子駅ホームはJRのホームの終端にあった。写真では何べんもお目にかかっている特徴ある銚子電鉄の駅舎が私たちを出迎えてくれた。
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しかし、ホームに止まって私たちを待っていてくれたのは元京王の5000系である3000形。私の好きな元京王の5000系であるが、私の長年培った来た銚子電鉄の電車のイメージとはかなりかけ離れていて違和感があったのは否めない。
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身にまとう色は異なるが私の現役時代通勤でお世話になっていた5000系を前にして、なぜここにいるのかと問いたくなった。
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3000形(元京王5000系)のみならず、銚子電鉄は実は現役の車両はすべて元京王の車両である。最初に伊予鉄道を経由して入線して来たのは2000形(元京王の2010系)、2001+2501は京王時代のグリーン塗装を復刻して京王ファンを喜ばしている。2002+2052も入線時はイオン銚子ラッピング電車で、その後京王時代のアイボリーに赤のストライプに変わり、現在は昔の銚子電鉄カラー復刻塗装になっている。右にちらっと見える赤い電車は営団地下鉄丸ノ内線色を纏った1002(元営団地下鉄2000形)で2015年1月10日ラストランをして営業運転からは離脱している。
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私の銚子電鉄のイメージのまま営業中の「仲ノ町」駅舎。唯一の新しい点は銚子電鉄が最近始めた「駅名ネーミングライツ」に応募して新しい駅名「パールショップともえ」の看板が掲げられていること。現在では銚子電鉄の銚子を除くすべての駅にネーミングライツに基づく新しい駅名表示がなされている。現在「銚子駅」も募集中で近々には銚子駅にも新しい駅名が加わる予定。
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デハ2001+クハ2502は伊予鉄道のモハ822+クハ852(旧京王デハ2070+サハ2575)だった車両。2009年11月30日に伊予鉄道で廃車になり銚子電鉄に譲渡されてきた。
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デハ2002+クハ2502は伊予鉄道のモハ823+クハ853(旧京王デハ2069+サハ2576)だった車両。2009年11月30日に伊予鉄道で廃車になり銚子電鉄に譲渡されてきた。
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銚子電鉄と言えば一番の関心はデキ3.この日は残念ながら車庫で作業中でまともな姿での写真は撮れなかった。 デキ3は1922年(大正12年)ドイツのAEG(アルゲマイネ社)で製造され山口県宇部市の沖ノ山炭坑で活躍した後、1941年(昭和16年)に銚子電鉄に譲渡されて、1984年(昭和59年)の貨物営業廃止まで活躍した。その後車籍は有しているが資金難で全般検査を受けてなく本線走行はできない状態で動態保存されている。
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銚子電鉄唯一の中間で列車交換設備のある「笠上黒生(かさがみくろはえ)駅」は、駅名ネーミングライツで「髪毛黒生(かみのけくろはえ)駅」の駅名板を掲げていた。
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運転席後ろのファン特等席は片側だけ維持されていて健在だった。
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外川駅にはデハ801が静態保存されているが、資金難の銚子電鉄ではまともなメンテナンスが出来ずかなり保存状態は良くない。
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銚子電鉄は海外線に近いところを走っているにもかかわらず、車窓から海を見ることが出来ない。従って海と銚子電鉄を組み合わせた写真を撮るために「地球が丸く見える丘展望館」に登ってやっとこのような写真を撮ることができた。
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銚子電鉄で一番大きく豪華な駅である「犬吠駅」に停車中の3000形。
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犬吠駅に入線してくる上り銚子行き3000形。
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  1. 2016/06/18(土) 22:11:09|
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昭和鉄道写真館(8) 東急電鉄サハ3107

1966年(昭和41年)6月に東急碑文谷工場で撮影した廃車解体直前のサハ3107号の写真を紹介したい。 サハ3107は1926年に藤永田造船所で製造されているデハ100が起源の車両で同僚のデハ101~デハ112の12両のうちの1両として目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄で活躍、その後1934年にモハ100形に、1942年にデハ3100形に改称されたのち1957年にデハ3101~デハ3109が電装解除されてサハ3100形になっている。そしてサハ3100形のトップを切ってこのサハ3107が1966年6月21日付けで廃車となっている。同僚の中には他社で第二の人生を送ったものもいるが、サハ3107号はどこにも引き取り手が無く廃車解体されている。

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《参考資料》
鉄道ピクトリアル・2004年7月臨時増刊号「特集・東京急行電鉄」

  1. 2016/06/17(金) 00:29:12|
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昭和鉄道写真館(7) 昭和41年6月の田園都市線 延長開業区間(溝の口―長津田)

昭和41年4月に田園都市線の延長開業(溝の口―長津田)があり、その2か月後の6月に筆者は延長開業区間を訪れているが、溝の口と長津田以外は既成の街ではなく駅前は閑散としていた。 未だ沿線住民が限られていて朝晩以外は利用客が少ないので、日中の時間帯は4両編成の電車は鷺沼で切り離して鷺沼以西は2両編成で運転されていた。
そう言えば、東急線の各駅の表示が「ノ」が「の」に、「ヶ」が「が」に変わったのも昭和41年1月からだった。「溝ノ口」は「溝の口」に、「自由ヶ丘」は「自由が丘」になった。

鷺沼駅構内を溝の口に向かって俯瞰した写真。 右の車庫部分は現在は東京メトロ・半蔵門線の車庫になっているが当時は田園都市線のねぐらであった。左側の留置線は現在でも田園都市線の留置線として使われている。
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開業2か月後の鷺沼駅。駅前には商店もなくいかにも開発中の街といった風情。
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鷺沼駅ホーム。 ここから大井町方面へは4両編成となって運転されていた。
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長津田駅3番線ホーム。開業時はホームは3番線のみ使用で4番線には架線さえ張られてなかった。このあと延長区間が伸びて行くのだがこの写真で見る限りはここで終わって伸びるようには見えてない。
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長津田駅3番線に停車中の2両編成の3000系。開業時には間に合わなかった横浜線への連絡通路未成の様子が写真からも見てとれる。
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左側は4番線になるはずだが開業時にはその表示さえ準備されてない。2両編成の7000系が寂しく折り返しを待っている、今の長津田駅からは想像もできない半世紀前の光景が展開されていた。
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開業時の「梶が谷」駅西方。 現在は2面4線で優等列車の追い抜き設備のある駅となっているが、当時は広さだけ確保されているのみで2線2ホームのみの普通の駅だった。 開業当初は溝の口以西への電車は梶が谷折り返しと長津田折り返しが交互に運転されていた。 写真は梶が谷折り返しの6000系が引き上げ線から上りホームへ入線してくるところ。6000系は全編成5本が田園都市線に配属されて4両固定の分割できない編成だったので、専ら梶が谷折り返しに充当されていた。しかし、それは平日だけの話で、開業前年の1965年に開園した「国営こどもの国」への行楽客輸送の為に休日は4両で編成で運転されることが多かったので、休日には日中でも6000系の姿を梶が谷以西で見ることができた。実は鷺沼以西2両運転の時代は短くて、沿線人口の急激な増加に伴い、開業後半年で長津田行き4両編成の運転数は増えている。
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《参考資料》
鉄道ピクトリアル・2004年7月臨時増刊号「特集・東京急行電鉄」
ウィキペディア:東急田園都市線

  1. 2016/06/12(日) 20:05:40|
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富士急行・1000系・1200系 (元京王5000系)

現在富士急行に在籍する元京王5000系は5編成で、すべて異なるカラーを纏っている。

(1) 1000系 1001+1101 京王色
(2) 1200系 1201+1301 2代目マッタ―ホルン色
(3) 1200系 1202+1302 旧標準色
(4) 1200系 1205+1305 富士登山電車色
(5) 1200系 1206+1306 現行標準色

1001編成 京王色
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1201編成 2代目マッターホルン号
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1202編成 旧標準色
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1205編成 富士登山電車
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1206編成 現行標準色
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  1. 2016/06/09(木) 22:29:05|
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昭和鉄道写真館(6) 昭和40年3月の都電「荒川車庫前」

昭和40年3月に都電の専用線を求めて数カ所訪問しているうちの一つが元王電(王子電気軌道)の路線。 電停「荒川車庫前」の風景は今の荒川線のそれとだいぶ趣が異なる。 都電の代わりに郊外電車を走らせたら似合いそうな鉄柱と路盤、そして今のような広い道路ではなく線路の脇の道と言った感じの通りが左側に見える。走る都電も2系統に分かれており、32系統は荒川車庫前ー早稲田、27系統は三ノ輪橋―赤羽となっていた。左の2500形はここで終点となって折り返して早稲田に向かうので、方向幕は既に早稲田が表示されている。2500形は杉並線用に作られた形式で、狭軌だった杉並線に見合うように細身に作られている、杉並線の廃止に伴い8両すべてが改軌されて荒川車庫に異動してきていた。 2508は2500形のラストナンバー。 右側の27系統に従事しているのは8000形、都電廃止の方向を受けて耐用年数10年で設計・製造された車両なので、都電の廃止と共に昭和47年までに全車消えてしまった。

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  1. 2016/06/09(木) 21:06:30|
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昭和鉄道写真館(5)汽車製造株式会社・東京製作所

昭和40年3月に撮影した汽車製造・東京製作所の写真を紹介する。都電38系統の撮影の合間に撮影したスナップ写真なので1枚のみである。左側の線路が国鉄・総武支線(通称:越中島支線)で右側に汽車製造で作られた東海道新幹線0系が見える。 ちなみに汽車製造では大阪製作所で蒸気機関車・電気機関車・ディーゼル機関車などを、東京製作所で電車・貨車・客車などを製造していた。
1972年川崎重工業に吸収合併されて、由緒ある汽車製造の名称は消滅している。

#55都立大・中目黒019A

  1. 2016/06/09(木) 17:40:55|
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昭和鉄道写真館(4) 昭和40年3月の都電38系統「南砂町三丁目」

昭和40年3月に都電の専用線での写真を撮るべく元城東電車の路線を訪問した。写真は38系統(錦糸堀車庫前ー日本橋)の「南砂町三丁目」電停で撮影した1500形。 1500形は1200形の車体を延長改造して生まれた形式で昭和36年から38年にかけて46両が製造された。 全車錦糸堀車庫に所属して25・29・38系統で使用されたが、他の車庫の路線廃止による転入車に押し出されて昭和43年ー46年に廃車となっている。 
背景の鉄橋はJR貨物の越中島支線のもので都電はここをくぐり抜けて電停に到着していた。 鉄橋の左側の奥は汽車製造会社の東京工場だったところで、都電はこの敷地を回り込むようにして東陽町へ抜けていた。

#55都立大・中目黒022A
  1. 2016/06/09(木) 12:46:06|
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京王線・新しいチキ(長物貨物車)?

行きがけ電車から若葉台検車区にデヤ900形とDAXが留置されているのが見えた。未だまともにデヤ900形とDAXの写真が撮れてないので、もしかしてまともな写真が撮れるのではと期待して、帰路若葉台で途中下車してホームから撮影を試みたが、良い位置ではなくてまともな写真は撮れなかった。 しかし良く見るとチキらしき貨車がDAXの次位に連結されているのがわかった。 4月にデワ600形とチキ290形が若葉台に回送されて廃車解体されたことがBLOGなどで報告されているので少なくともチキ290ではない、となるとチキ290の後継の新製貨物車かもしれないが、遠目なので詳細はわからない。 貨車のまわりにだけ人が集まって何かしている様子なので、新製納車に伴う整備中なのかも知れない。

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  1. 2016/06/09(木) 10:10:05|
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JR常磐線の233系2000番台の小田急線への直通

3月のダイヤ改正から始まったJR東日本の233系2000番台の小田急乗り入れで、新百合ヶ丘駅にて233系2000番台を撮影して来た。かつて特急「あさぎり」でJR東海の371系が小田急線を走って以来久し振りのJR車両の小田急線走行で新鮮な風景が見れた。

この日小田急線に乗り入れてきていたのは233系2000番台の第一編成「マト1編成」だった。
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昼間は「多摩急行」ではなく「急行」に変更された千代田線直通。
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  1. 2016/06/05(日) 23:31:09|
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プロフィール

nighttrain999

Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国

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