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ナイトトレインの平成・徒然草 ~心にうつるよしなしごとを書き連ねて~

《鉄道》《車》《音楽》《文学》等にまつわるよしなしごとを、つれづれなるままに書き連ねてまいります。 このBLOGに掲載された写真などを他のMediaなどに掲載される際の問い合わせ先はn.sugii@nifty.comです。 

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<昭和の鉄道世界 その18> 1965年の東京モノレール

東京モノレールは昭和39年(1964年)9月17日に浜松町と羽田(1993年にルート変更されて今の羽田空港第一ビル駅に場所移転)を結ぶ鉄道として開業している。当初は中間駅が無かったが8ヶ月後の昭和40年(1965年)5月に大井競馬場前駅が誕生し、昭和42年(1967年)に羽田整備場(現在の整備場駅)が誕生している。
筆者はモノレール開業の時にも行って撮影をしているが、その時のネガが見つからないので、今回ご紹介するのは1965年の7月に大井競馬場前駅で撮影したモノレールの写真である。

ところで、東京モノレールは開業後3年目に日立運輸東京モノレールに会社名称が変わっている。なぜ日立グループが鉄道経営を?と疑問に思う向きがあるかも知れないが、そこには日立がドイツ・アルウェーグ社と技術提携して開発した日本跨座式モノレールを成功させたいという意思が表れているのである。そのことの説明がYAHOOの知恵袋の回答に詳しく解説されていたので下記に引用させていただく。

ーーーーーーーーーーーYAHOO知恵袋より引用ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日立グループが東京モノレールを経営するに至ったというよりも、日立製作所がドイツALWEG社との技術提携で開発した日立-ALWEG式モノレールをPRするために、新橋~羽田間の路線免許を持っていた日本高架電鉄に接近し、経営権を握ることで日立-ALWEG式モノレールを建設したわけです。日立は鉄道経営の素人でしたので、すでに日立-ALWEG式モノレールを採用していた名鉄に支援を求め、業績拡大のために東京進出を計画していた名鉄がその誘いにのって東京モノレールに出資したわけです。ただ、東京モノレールは経営的には大失敗で、大赤字。札束をばら撒きながら走っているような状況になり、名鉄はあまりの惨状に耐えかねて、資本を引き上げ、出向者も戻しました。日立は初の本格的モノレールを失敗させると、今度の売り込みに支障となる事を恐れ、傘下の日立運輸と西部日立運輸と東京モノレールを合併させ、日立運輸東京モノレールを設立したのです。合併に先立ち、東京モノレールは80%減資を行い、新会社には日立製作所が多額の出資を行う事で、多くの負債を解消して、経営再建に挑んだのです。

この努力が実り、運輸省の音頭で行われた日本跨座式モノレールの開発は日立の主導ですすみ、三菱と共に日本のモノレール業界を二分する地位を築いたわけです。
ーーーーーーーーーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

東京モノレール001A
100形を先頭にした3両編成。大井競馬場前駅にて撮影。開業当初は海の上に屋根もなくホームドアーもなく高所恐怖症の私にとっては大変居心地のよくない駅だったことを覚えている。

東京モノレール002A
大井競馬場前駅にて下から見上げたモノレール。転落防止用の網もなくてホームから誤って転落するとそのまま落下してしまうことが良くわかる。当時先頭車両には流線型の200形もあったがこの日の撮影ではすべて切妻タイプの100形先頭車だった。下から見上げるとモノレールの線路にあたるコンクリ―ト桁の右側についている剛体架線(直流750Vの電気を供給する)が良くわかる。
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  1. 2013/05/07(火) 06:21:43|
  2. 昭和の鉄道世界
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<高輪消防署・二本榎出張所 | ホーム | 東京モノレール>>

コメント

こんばんは。
検索結果より参りました。
東京モノレールの開業の頃は、空港に行く人の数が今よりも圧倒的に少なかったことと思いますし、高額な切符を買って乗る人は少なかったのではないでしょうか。
まだまだ鉄道も古い世代だった当時、最新のモノレールはどのように映ったのでしょう。全国で地域の覇権を争っていた大手私鉄の一つ、名鉄も、勢いはあっても、本業の名古屋の鉄道はまだまだ旧型車ばかりで、新しい交通システムとの落差は大きかったものと思います。
今では沿線に人の住む街までできて、羽田空港もますます身近な存在になり、モノレールの位置付けもだいぶ変わりました。
オリンピックに始まり、再びオリンピックで賑わうであろう東京モノレールが、今後どのように進化していくのかが楽しみです。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
  1. 2017/09/19(火) 22:56:10 |
  2. URL |
  3. 風旅記 #O7xVy9HA
  4. [ 編集 ]

風旅記さん、コメントありがとうございます。
風旅記さんのおっしゃる通り開通当初は乗客は少なかったと思います。 初期のモノレールは動物園や遊園地のアトラクション的なモノばかりで交通機関としては東京モノレールが最初ではないかと思いますが、運賃が高く始発駅が浜松町と言うことも手伝って空港利用者が使うことは稀で、ほとんどが未来の乗り物を体験する目的で乗りに来ていたのではないかと想像しております。しかし、大井競馬場前駅などの中間駅の設置に伴い交通機関としての利用者が増えて経営が成り立つようになっていきました。そしてJR東が傘下に収めてからは積極的な施策が功を奏して、利用者も増えているようで、これからの東京モノレールの発展が楽しみです。
  1. 2017/09/20(水) 17:41:08 |
  2. URL |
  3. #-
  4. [ 編集 ]

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Author:nighttrain999
目黒区の都立大学で産湯を使い、長じて多摩ニュータウンに移り住んでン十年の”おじさん”です。サラリーマン渡世を無事に勤め上げて第二の人生を謳歌しております。
多彩な趣味のお陰で時間が足りなくて、とても仕事をしている暇がないという次第。
興味のあるものは: 鉄道・車・オーディオ・カメラ・地図・文学・歴史・音楽(特にJAZZ)・英国
画像使用の問い合わせ先:n.sugii@nifty.com

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